【2-2】赤髪の彼女
王国を出て私が向かったのは、ラグナロク公が治めるローレ公国だった。
一度目の世界で、ローレは最初に滅びた。
魔王軍との争いの前線で、最後まで剣を取って戦い続けたらしい。それでも、魔王軍の波に飲み込まれていった。その時はまだ、王国の人々を癒すことに手いっぱいで――気づいた時には、もう間に合わなかった。
あの惨状は、今も夢に出てくる。
だから今度は、同じことを繰り返したくない。
だけど、正面から助けるわけにはいかない。聖女が守ってくれると思われたら、また依存が始まる。でも、影から少しだけ力を貸すことはできるはずだ。
(守ってみせる、今度こそ)
そのためにも、まずラグナロク大公に会いに行く必要がある。前線を守るためにも、大陸最強と呼ばれるあの男の力は必要不可欠だった。
ただ、問題があるとすれば、彼が聖女嫌いだということだ。
(よりにもよって聖女嫌いなんて。どうやって協力すればいいんだろう。会いに行ったら殺されそう……)
そんなこんなで悩んでいるうちに、丸三日が経過した。
優柔不断、と言われるかもしれないが、これが本来の私なのだ。
考えれば考えるほど、悩みはあふれてくる。だけど、悩んでも仕方がない。
ラグナロク公の情報を集めるために、私は街へと繰り出した。
***
ローレ公国の首都は『鋼の都』と呼ばれていた。砂漠に囲まれた城塞都市で、何度も魔王軍の攻撃を受けてきた傷跡が城壁のあちこちに刻まれている――にもかかわらず、街は生き生きとしていた。
顔が見えないようにローブを被り、杖を持って街を歩き始めると、まず驚いたのは人々の様子だった。大人から子供まで、全員が何らかの武器を携帯している。魔王軍の近さを感じさせた。にもかかわらず、露店は繁盛し、通りはたくさんの人たちで賑わっていた。
(魔王との争いは激しいのに、どうしてこんなに笑っていられるんだろう)
ふと、人だかりに目をやると、踊り子がいた。
身長の高い、赤髪の女性。剣を手に舞う様は華麗で、思わず見惚れてしまう。その流れるような動きは、舞踊というより――戦闘の洗練された型だ。
(あっ)
踊り子と目が合う。
次の瞬間、踊り子はふわりと私の前に現れた。
「えっ」
彼女が自然な動作で私の手を取った。
そして、その手の甲に軽く唇を落とす。
(な、な……!? キス!?)
ひゅう、と周りから歓声が上がり、あまりにも恥ずかしくなった。
だけど、この人から目が離せない。
(この目――)
なぜだろう。初めて会う人なのに、どこかで会ったような感覚がした。記憶のどこかに引っかかるような、しかし引っ張っても取れないような、もどかしい既視感。
その思考は、咆哮によってかき消された。
「ワイバーンだ! 上空から来るぞ!」
「なっ」
耳を裂くような声が空から降ってきた。空を見上げると、翼竜の群れが街に向かって急降下してきていた。
こんな街中でワイバーンが出るなんて聞いていない。
(私も、戦う……? でも――)
この街の人が依存し始めたら。そうしたら。
そんなことを考えたら、足が動かなかった。
「みんな! 陣形を整えなさい!」
躊躇する私の前で、赤髪の踊り子は即座に剣を構え、ワイバーンに向かっていった。さっきまでの華美な舞とは打って変わり、戦いのための剣技だった。
彼女の剣によって、ワイバーンが次々と倒されていく。街の人々は矢を放って彼女を援護し、ワイバーンの数は減っていった。
その戦いぶりに、私は立ち尽くしていた。
(すごい。ただ強いだけじゃない。動きに、無駄がない)
戦闘術というのは、突き詰めると必ず「型」になる。剣でも魔法でも、長年磨き上げた動きは独特の流れを持つ。彼女の剣には、長い年月をかけて研ぎ澄まされた確かな型があった。ワイバーンを仕留めるたびに衣の裾が翻り、踊りの延長のような優雅ささえ感じさせる。
あれは舞台の踊り子の動きじゃない。剣が生き方に染み込んでいる人間の動きだ。
しかし、安心も束の間、一匹のワイバーンが隙を突いて火の球を吐き出した。その狙いは、人垣の端で立ち尽くしていたまだ幼い子供だった。
(危ない!)
「炎嵐!」
脳が考えるより先に、体が動いていた。放った炎の塊がワイバーンに直撃し、そのまま石畳に叩き落とす。子供のそばに火の粉が散り、母親が駆け寄って抱き上げた。
「ありがとう、お嬢ちゃん! 助かったわ!」
踊り子の声が飛んでくる。振り返ると、彼女はもう次のワイバーンに向かって走り出していた。その背中を呆然と見送りながら、私はようやく自分が何をしたか理解した。
(……やってしまった)
魔法を使ってしまった。しかも街の真ん中で、大勢の人の目の前で。
彼女と共に残りのワイバーンを片付け、最後の一匹が落ちると、歓声が上がった。私はその歓声を背中で聞きながら、その場から立ち去ろうとした。
喧騒から離れながら、私はひとり自嘲する。
この国の人たちは、自分たちで戦える。魔物に慣れ、互いをかばい、誰かに頼ることなく生き抜いてきた人たちだ。それなのに私が横から手を出してしまったら――次からは「聖女がいるから大丈夫」と思い始めるかもしれない。小さな油断が積み重なって、やがて足腰が弱る。それが怖かった。
路地の角を曲がる。人通りが減る。このまま宿に戻って、今日のことは忘れてしまえばいい。名前も顔も覚えられていなければ、なかったことにできる。
だけど――
「お嬢ちゃん、待って!」
背後から声がかかった。
足が止まる。止めるつもりはなかったのに、体が勝手に反応した。
振り返ると、赤髪の踊り子がこちらへ向かって歩いてくるところだった。剣はもう鞘に収まっている。戦闘中の研ぎ澄まされた顔つきが消えて、今は柔らかな笑みを浮かべていた。
「っ――」
私は走り出した。
踊り子の驚いた声が背後に遠ざかる。路地を曲がり、また曲がる。人波をすり抜けて、ただ足を動かす。
走りながら、思い出したくないものが浮かんでくる。
一度目の世界でも、こうだった。
最初は、ただ嬉しかったのだ。誰かの役に立てることが、感謝されることが、自分の力で世界が少しずつ良くなっていくことが。もっと救いたいと思った。もっと頑張れると思った。
でも気づけば、人々は私が来るのを待つようになっていた。
病気になっても医者に行かない。魔物が出ても逃げない。「聖女がいるから」という言葉が、いつの間にか呪いになっていた。
エドワードが死んだのは、春の終わりだった。
彼は最後まで、自分が人々を弱くしてしまったと言っていた。守ることしかできなかった自分が、世界を壊したのだと。
私は止められなかった。
何度あの日のことを考えただろう。あの時こうしていれば、あの言葉をかけていれば。答えのない問いを、何百回繰り返したか。
足が縺れる。石畳の上に、半歩よろけた。
(だから、関わっちゃいけない)
息が上がっている。走ったせいだけじゃない気がした。
路地の突き当たり、壁に背中をつける。荒い呼吸を整えながら、薄暗い空を見上げた。
追ってきていない。良かった、と思う。思おうとする。
だけど――
「――捕まえた」
その赤は、私を逃がしてはくれなかった。




