【2-1】世界最強の男
私は、あの夜のことを思い出していた。
魔物との戦闘を終えた後、私たちはとある村の宿に泊まっていた。話題はいつの間にか、エドが所属する王国騎士団の面々へと流れていった。やれ彼は弓の名手だの、やれ剣ならあいつが最強だのと、誰が一番強いかという話になった。
炎の揺れる燭台の光の中で、ふと、私は口を開いた。
「そういえば、この世界で一番強い人って、誰なの?」
三人が顔を見合わせた。
「この世界で?」
「うん。王国ならエドが一番だと思うけど、世界全体だとどうなのかな、って」
エドが苦笑した。
「王国内なら俺がそうかもしれないが、大陸全体となると話が違う」
「そうなの?」
「大陸で最強と呼ばれているのは、ラグナロク=ドラゴニール公でしょう。ローレ公国の大公です」
「ローレ公国……?」
聞いたことのない名前だった。ジークが卓上の地図を引き寄せて広げた。
「この大陸の西端にある城塞公国だよ。砂漠に囲まれていて、常に魔王軍との境界争いに晒されている。王国とは少し複雑な関係でね――まあ、端的に言うと、王国が見捨てた土地なんだ」
「見捨てた、か」
エドが苦々しくつぶやいた。その表情には、王国への複雑な思いが滲んでいた。
「ただ、ローレ領はそれを逆手に取った。誰にも頼れないから、自分たちで強くなるしかなかった。結果として今じゃ、大陸最強の戦力を誇る公国だよ」
「すごいね。どうしてそんなに強くなれたんだろう」
「それはひとえに、今の大公――ラグナ公の手腕だと思う」
ジークは卓上の杯を傾けながら続けた。
「年は確か、二十七か八のはずだ。貴族の出ではなく、先代大公に才能を見出された孤児上がりで、実力だけで今の地位を築いた人なんだ」
「へぇ……!」
思わず声を上げると、ジークは頷いた。
「先代大公は、才ある子供を集めて教育する制度を作っていてね。その中でも、最も大公の器にふさわしかったのがラグナ公だった。だからローレ領には、身分より能力が重んじられる風土があるんだ」
そこでジークは少し間を置いて、苦く笑った。
「王子という肩書きで勇者の座についた僕とは、対照的だよね」
自嘲するような笑みだった。けれどその奥に、笑い飛ばしきれない何かが透けて見えた。
「殿下……」
エドが低く呼んだきり、続く言葉を探しあぐねているようだった。
「そんなこと、ないと思う」
私はゆっくりと首を振った。
「たしかにきっかけは、王子だったからかもしれない。でも、ジークは自分に与えられた責任を果たそうと、ちゃんと頑張ってる。私には、同じくらい立派に見えるよ」
ジークの目が、かすかに揺れた。
「リナ……」
「それに、私だって異世界人ってだけで聖女なんかに選ばれたわけだから。ジークと一緒だよ」
「リナは違うよ……! ごめんね、僕、ちょっとナイーブになってた。昔からあの人と比べられることが多くて……」
ジークが弱音を口にするのは、珍しかった。いつもは誰よりも毅然としていて、重圧を抱えていることすら気取らせない。彼が弱音をはくというのは、よっぽどのことなんだろう。王子として、勇者として、ずっとそうやって育ってきたのだろう。私はなんと言えばいいかわからなくて、黙ったまま彼の横顔を見ていた。
「比べる必要はないっすよ。殿下には殿下の良さがありますから」
エドはそう言いながら視線をジークに向けた。不器用だけど、確かに本心だとわかった。
「そうですよ。現大公は、かなり性格がキツイと評判ですしね」
ユリウスが眼鏡の縁を押し上げながら、いつもの淡々とした口調で言い添えた。フォローのつもりなのか、そうでないのかが判然としないのが彼らしかった。
「ユリウス、お前にだけは言われたくないと、当の大公も思ってるんじゃないか」
エドが呆れたように言い、場に小さな笑いが起きた。ジークも、つられるように口の端を緩める。
一瞬、笑いが場を和ませた。
「それで……その人の腕は、本当に大陸一なの?」
「俺も手合わせしたことがあるが……あれは別格だった。訓練でなかったら、どうなっていたかわからない」
「私も彼の戦闘データを分析したことがありますが、桁違いの力でしたね」
「ユリウスが素直に褒めるなんて……」
皮肉屋のユリウスが手放しで人を褒めるのは、これまで一度も見たことがなかった。思わず地図のローレ領に目を落とす。
「その人に、勇者パーティに入ってもらったりはできないの?」
「へ?」
「ん?」
ジークとエドがきょとんとした顔を向けてきた。
「その発想はなかったな……」
「いやいや、考えるまでもないでしょ」
エドがすかさず突っ込んだ。
「なんで?大陸最強なら、いてくれたら心強いじゃない」
二人は何か気まずそうにして、視線を交わしている。きょとんとしていると、ユリウスが口を挟んだ。
「無理ですよ、リナ。あの方は聖女嫌いで有名ですから」
「……聖女嫌い?」
聖女である私にとって、あまり歓迎できない言葉に、思わず聞き返してしまった。
「あっ、別にリナのことが嫌いとか、そういうわけじゃないからね」
ジークが慌ててフォローをする。
「ユリウス……お前なぁ」
エドが額に手を当てながら、フォローするように続けた。
「公国はずっと聖女召喚に頼らず、自分たちで戦ってきた。その自負があるんだろうな。聖女召喚には、ラグナ公が最後まで反対していたそうだ。だから他国からは『聖女嫌い』と呼ばれて、距離を置かれている」
私はその話を聞きながら、何かが胸の奥に引っかかる感覚を覚えた。
(なぜ……反対しているんだろう。本当に、ただの自負からなのかな……?)
「どうした? リナ」
「ううん、何でもないよ」
私は笑ってごまかした。
でも心の中では、その名前を繰り返していた。
ラグナロク=ドラゴニール――。
(いつか、会って話を聞いてみたい)
それは、どこか予感めいた思いだった。




