表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/13

【2-4】ラグナロク=ドラゴニール

 連れて行かれたのは、公城の一室だった。


「ちょっと待ってて。支度するから」


 そう言ってラナさんは奥の部屋に消えていった。

 一人残された私は、ぼんやりと室内を眺めた。質素だが機能的な部屋だ。壁には無数の剣傷が刻まれ、地図が何枚も重なって貼られている。机の上には書類の山。窓の向こうには砂漠が広がっていた。


 (……相変わらず、強引な人だな。憎めないけど)


 改めて部屋を見渡して、私は気づいた。


 (待って。ここ、誰かの私室じゃない? しかもけっこう上の立場の人の……)


 嫌な予感が、するすると這い上がってきた。もしかして、もしかしなくても――。


「ふう、さっぱりした」


 戻ってきたのは――男だった。

 赤い髪に赤い瞳。長い髪を無造作に束ねた、見上げるほど背の高い男。大きな傷跡がいくつも刻まれた、戦士の体だ。

 ただ立っているだけで、圧がある。

 前の世界でジークたちから聞いた、『大陸最強』という言葉が頭をよぎった。


「あなたは……」

「俺がアンタの探し人だよ。聖女様。俺がラグナロク=ドラゴニール。ローレ大公国の大公だ」


 頭の中が真っ白になった。さっきまで一緒にヤクの串焼きを食べていた女性が、今目の前に立つ男と同一人物だと脳が処理しきれない。


「待って。なんであなたが……!それに、私のことを聖女って……」

「アンタが俺に用がありそうだったから、俺のほうからわざわざ出向いたんだよ。この数日、俺にどうにか会おうとして嗅ぎ回ってただろう」


 ラグナは壁にもたれ、腕を組んだ。その目は鋭いが、敵意とは違う何かを帯びていた。観察、とでも言うような目だ。


「なのに地団駄を踏んでばかりで、なかなか直接来やしない。このまま放置しとくのも気に障るしな。だから俺本人が問いただしに来たってわけだ」

「う……」


 恥ずかしかった。三日間、あれだけ悩んで迷って堂々巡りしていたのに、当の本人にすっかり気づかれていたとは。


「……なんで私が聖女だって分かったの?」

「簡単だよ。俺も聖女召喚の場にいたからな」

「え? あの場は王国の重鎮しか入れないはずじゃ……」

「間者を使えばどうとでもなるだろ。王国はザルだしな。それから間者にアンタの後を追わせたら、行き先が俺の国だって言うじゃないか」


 淡々と話すラグナを、私はじっと見つめた。


「……殺そうとしてるとか思わないの? 聖女嫌いの国に、聖女が来たのに」


 試すように言った。本当のことを知りたかった。この人がどこまで読んでいるのかを。


「まあ、可能性としてはあった。だが俺は俺の直感を信じた。あの場での行動はすべて演技だってな」

「……! なんで」

「言ってることが至極真っ当だったんだよ」


 ラグナの声は、どこか呆れているようでもあった。


「自分の国のことは自分たちでなんとかしろ。それは当たり前のことだろう。聖女なんかに頼ったら、この世界はどんどん弱くなる。あんたはそれを危惧して、あえて大芝居を打った。そうだろう」


 ラグナは私の目を見る。


「だが、この世界が危機に瀕しているのは事実だ。だから、こっそり俺に力を貸しにきたんだろう」

「……全部当たってる」


 思わず笑ってしまった。

 策を練るのに三日かけたのに、会って数分で全部見抜かれた。悔しいのに、どこかほっとしていた。これ以上隠す必要がないことへの、安堵だったかもしれない。


「だが」


 ラグナの声が、少しだけ変わった。低く、静かになった。


「魔王討伐は俺たちの問題だ。アンタには関係ない」


 突き放された、と思った。やはりそうか、と身構えかけた。

 だけど、次の言葉は――。


「だから、アンタが傷つく必要はないんだ」

「……え?」


 息が止まった。


「俺の城にアンタの部屋と世話人を用意する。王国の奴らが殺しに来たら絶対に守る。だから、魔王討伐のことなんか忘れて、自由に生きろ」


 自由に、生きろ。

 その言葉が、胸の奥のどこかに直接刺さった。


 召喚されてから今日まで、誰かにそう言われたことは一度もなかった。役に立ってほしい、力を貸してほしい、助けてほしい――そういう言葉ばかりだった。それが当たり前で、それ以外を望む資格など私にはないと、いつの間にか思い込んでいた。


 (何もしなくていい。ただ、生きていていい)


 目の奥が熱くなった。まずいと思ったが、もう遅かった。


「おい、泣いてるのか」

「だって……何もしなくていいなんて、この世界で初めて言われたから……っ」


 声が震えた。手が震えた。涙が出てきた。

 この世界に来てから泣くことを我慢していた。泣いてしまったら、全部崩れてしまいそうで、ずっと耐えてきた。それがこんなに簡単にあふれるとは思わなかった。


「あー……やっぱり王国のクソどもが許せないな。だから聖女召喚なんて反対だったんだ」


 ラグナは大きくため息をついた。それは怒りを含んだため息だった。私にではなく、この理不尽な状況に向けられた怒りだと、なぜか分かった。

 しばらく沈黙があった。ラグナは何も言わなかった。急かすことも、慰めることも、どちらもしなかった。ただ、私が泣き止むのをじっと待っていた。


 やがて、ラグナが深々と頭を下げた。


「俺の謝罪なんか、なんにもならねえ。それでも謝らせてくれ。俺たちが不甲斐ないばっかりに、アンタにつらい思いをさせちまった。挙げ句の果てに殺そうとするなんて、本当に馬鹿げてる」


 そんなふうに言ってもらえたのは、この世界に来て初めてだった。

 私は涙を拭いて、息を整えた。

 泣いてしまったことは少し恥ずかしかった。でも不思議と、後悔はなかった。泣いた後に残ったのは、不思議な軽さだった。


「……でも、やっぱり協力させてほしい。これは私の問題でもあるの」


 ラグナが顔を上げ、私を見た。


「女神との契約で、魔王を倒したら元の世界に帰してもらえる。だから、魔王討伐は私にとっても無関係じゃない。だから、私に力を貸してほしいの」


 嘘だ。

 本当は帰れるはずはない。その権利は、一度目の世界で使ってしまった。

 どうか、どうかこの嘘がバレませんように。


「……なるほどな」


 ラグナはしばらく黙っていた。腕を組んで、じっと何かを考えているようだった。私は口を挟まなかった。この人が何を考えているのか、急かして崩したくなかった。

 やがて、ラグナが口を開いた。


「ひとつ、間違いを訂正させてもらう。お前に力を貸すんじゃない」


 その言葉に、一瞬どきりとした。断られたのかと思った。

 だがラグナはそのまま、私に手を差し出した。


「魔王を倒すために、一緒に戦おう。リナ」


 胸の奥で、何かがゆっくりとほどける感覚があった。

 この世界に来てから、誰かにこんなふうに手を差し伸べられたことはなかった。頼まれたことはあった。すがられたことも、命令されたことも、懇願されたことも、あった。でも、こんなふうに――対等に、互いの意志として頼まれたのは、初めてだった。


「……うん。よろしく、ラグナ……さん?」


 語尾が疑問形になってしまったのは、まだ名前の呼び方が決まっていなかったからだ。


「ラグナでいい」


 あっさりと言われた。さん付けを軽く払いのけるような、気の置けない口調だった。


「……うん。よろしく、ラグナ」


 今度は迷わず言えた。

 ラグナはそれを聞いて、少し表情を緩めた。厳しい顔のまま、目元だけがわずかに和らいだ――そういう笑い方をする人だと分かった。


「しかし驚いたな」


 ラグナが腕を組んだまま、こちらを見た。値踏みとは違う。観察、とも少し違う。どちらかというと、面白がっているような目だった。


「聖女召喚の場では、えらい怖ぇ女だと思ったが、まさかこんなやつだったとはな」

「こんなやつって……」

「俺に会いに来るのに、数日もふらふら悩みやがって。城の前でうんうん唸ってただろ」

「な……っ!」

「あと、食べ歩きを満喫しすぎだろ。こんなやつが俺を殺しに来たなんて言われても、説得力がねぇ。観光客の方がまだ分かる」

「な、な、な……!」


 見られていたのか、と思ったら急に恥ずかしくなった。三日間、この街をうろついては考えて、うろついては考えて、結局何の決断もできずにいたところを、当の本人に全部見られていたとは。

 そしてローレのグルメをこっそり楽しんでいたことも。


「……あの場では悪女を演じていただけで、こっちのほうが素だよ」


 少しだけ開き直って、言った。


「優柔不断で、すぐ悩んで、すぐ迷う。それが本当の私」


 言ってしまってから、少し後悔した。こんなに正直に話す必要はなかったかもしれない。でも、この人に嘘をついてもすぐ見抜かれる気がした。だったら最初から、本当のことだけ言おうと思った。


「それに、私だってびっくりしたわよ。世界最強のローレ大公が、まさか女の人だったなんて……」

「はぁ!? 逆だ逆!」


 ラグナが低い声を上げた。眉間に皺が寄っている。本気で心外そうだった。


「この姿を見て女だって信じるほうがおかしいだろ。まあ確かに俺の女装姿は美しいが……」


 仕返し成功。


「ふふっ」


 笑いが漏れた。抑えようとしたが、無駄だった。

 ラグナが少し間を置いた。何かを言いかけて、止めたような間だった。

 それから、ほんの少しだけ声を落として、言った。


「……でも、悪女なんかより、そうやって笑ってるほうが、お前らしくていいな。リナ」

「……!」


 私らしい。聖女ではなく、私自身を見てくれた人が、この世界にいただろうか。

 思わず目尻が熱くなる。


 (ああ、この人とはきっと、いい仲間になれそうだ)


 そう思った。

 だからこそ、隠し通さなければならない。


 ――私が、前の世界で彼を殺したことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ