【1-4】壊れた勇者
ある朝。目が覚めたら、誰かの白い髪が、視界に入った。
いや、誰かじゃない。この髪は――
(ああ、そうか。これは)
そこに映っていたのは、白髪の私だった。
黒かった髪が、根元から白く変わっていた。
魔力の酷使が限界を超えた時、身体がそれを教えるのだと、言われたことがある。
気づかないうちに、私はもうとっくに限界を超えていたらしい。
「……リナ、君の髪の色が」
ジークが隣に座り込んだ。
その声が、掠れていた。
「大丈夫……だよ」
「リナ……!」
ジークは私を優しく抱きしめた。その目が、普段とは違った。
どこか、焦点が合っていなかった。
「……絶対に、許さない」
そう小さく呟いたジークの声を、私は聞き逃していた。
***
変化は、静かに始まった。
ユリウスが壊れてから一ヶ月ほど経った頃、騒ぎが起きた。
「助けてください! 聖女様、どうか!」
一人の男が私にすがりついた。呼吸が荒く、目が血走っている。
「私の家族が、魔物に――!」
「……分かった。行く」
私が答えた瞬間だった。
「リナ、待って」
ジークが男の前に出た。穏やかな声だった。いつものジークの声だった。
ただ――何かが、違った。
「僕が行ってくるよ。リナは休んでいて。君は魔力の使いすぎだ」
「ジーク……」
(……私の髪が白くなってから、ジークは過保護だ。でも、なんだろう。この違和感は)
その「何か」が確信に変わったのは、三日後だった。
* * *
隣村から悲鳴が聞こえた。
私が駆けつけると、広場に人々が集まっていた。その中心に――ジークが立っていた。
剣を、人につきつけて。
「ジーク! 何をしているの!」
「聖女を呼べと喚いていた連中だ」
ジークは振り返らなかった。その声は、静かだった。
だからこそ――ひどく、恐ろしかった。
「自分で戦わない人間は、弱い人間を生む。弱い人間が群れると、また誰かが死ぬ。エドが死んだように。ならば――」
「やめて!」
私は飛び出した。ジークと人々の間に立ちはだかった。
「どいて、リナ」
「どかない」
「どいてくれ。僕は君のためを思って――」
「私はそんなこと望んでない!」
ジークがようやく振り返った。
その顔を見て、私は息を呑んだ。
泣いていた。
剣を握ったまま、金色の目から涙が伝っていた。
「……分かってる。分かってるんだ。でも、もう、どうすればいいか、分からない。エドがいなくなって、ユリウスがいなくなって、僕は……君だけが、残っていて」
ジークの声が、ひどく幼く聞こえた。
「僕は2人から君を託された。君を守れれば、それでいい。でも……君を守るためには、君の邪魔をするものを全部、消さなくちゃいけないんだ」
「……ジーク」
「ねえ、リナ。君はいなくなったりしないよね? ずっと、僕のそばに――」
その夜から、ジークの行動は、加速していった。
***
聖女に助けを求めて騒ぎを起こした者が、翌朝、動けなくなっていた。
誰かの魔法で昏倒させられていた。
その次の日は、聖女の名を呼んだ者が、声を失っていた。
それが何者の仕業か、私には分かった。
でも――証拠がなかった。いや、正確には、証拠を突きつけることができなかった。
夜、ジークは私の部屋の扉を叩いた。
「リナ。今日はそばにいてもいいかな」
「……うん」
ジークは床に座って、私の手を握った。子供のように。すがるように。
「ああ。良かった。君が生きていてくれて。君だけが、僕の全てだ」
その言葉が、静かな恐怖を連れてきた。
(これは、愛情じゃない。これは――依存だ)
人々が聖女に依存したように、今、ジークは私に依存している。
でも――それを止める術を、私は持っていなかった。
***
限界が来たのは、それから2ヶ月後のことだった。
王都の民が大量に殺されるという事件が起きた。
ついに彼は、命を奪い始めたのだ。
「やめて! ジーク!」
「……リナ。邪魔をしないでくれ。俺は君を守りたいだけなんだ。こいつらが君を消耗させる。こいつらが君を苦しめる。だから――」
「ジーク、聞いて」
私は一歩近づいた。
「あなたはいつだってまっすぐだった。勇者として、あなたは精一杯頑張ってきた。みんなの期待に応えてきた」
「……」
「だけど――これは違う。これをエドは望んでいない。ユリウスも望んでいない」
「じゃあ、何を望んでいたんだ! 教えてくれよ、リナ! 僕は、僕は何をすればよかった!」
ジークが叫んだ。
剣を握る手が震えていた。
私は答えられなかった。
答えを、持っていなかった。
ジークは静かに剣を収めた。そして俯いたまま、足早に立ち去った。
「僕は君を苦しめた全部が許せない。全部消えてくれれば、君は楽になれる。僕が全部消してあげる。だから――だからリナ、君は僕だけを信じてくれれば、それでいい」
(ああ、もう――手遅れだ)
私は目を閉じた。
「ごめんね、ジーク」
私は杖を構えた。
ジークの目に、初めて恐怖が浮かんだ。
「……リナ、なに、を」
「もう、休んで。聖なる眠り 」
柔らかな白い光がジークを包んだ。
ジークの身体が、ゆっくりと傾いた。
私は走り寄って、その身体を受け止めた。
ジークは眠っていた。穏やかな顔だった。
だけどこの聖なる眠りは、もう二度と醒めることはない。
もう、ジークが私に笑いかけることもない。
「……ごめん……っごめん、ジーク……っ!」
その声は、誰にも届かなかった。




