【1-3】一度目の地獄
私は宿屋で目を覚ました。窓の外から喧騒が聞こえる。
「リナ! よかった。目を覚ましたのか」
「ジーク……あの後、どうしたの?」
「倒れた君を宿屋に運んだんだ。鍵をかけたから、ここには彼らは入ってこれない」
「……そう」
一旦、安堵した。だが、すぐにその安堵が消える。
「実は……エドが帰ってこないんだ。みんなを説得すると言って出て行ったきりで」
「え……」
(なんだろう、嫌な予感がする)
「なんだか広場のほうが騒がしいですね」
「っ!あれは……」
午後の光が広場に満ちていた。村の中央に立つ時計塔――煉瓦造りの古い塔の、その頂に人影があった。
茶色の髪。騎士の装束。
エドだった。
「エド!!」
私たちは、急いで宿を飛び出した。村の人々が何事かとざわめき立ち、広場に集まってくる。気づけば、数百人はいるだろうか――村人たちが時計塔を見上げていた。
塔の上のエドは、ゆっくりと広場を見渡した。
風が彼の茶色の髪を揺らす。その目は――穏やかだった。
怒りでも絶望でもなく、ただ、静かに凪いでいた。
「みんな、聞いてくれ」
エドの声が、広場に響き渡った。騒めきが、すっと静まる。
「俺はこの国一番の剣士だと言われてきた。誰かを守ることが、俺の誇りだった。強くあり続けることが、俺の使命だと思っていた」
エドは一度、空を見上げた。
「だが、俺が強くあろうとするほど、お前たちは弱くなっていった。俺が守るたびに、お前たちは自分で守ることをやめていった。それを気づかなかった俺の、これは……罪だ」
「エド、何をするつもりなの……!」
叫んだが、声が震えた。足が動かない。
エドは私を見て、微かに笑った。
「リナ。お前と初めて会った時に言ったこと、覚えてるか」
「……え?」
「命をかけて、お前を守る。そう誓った」
「エド――!?」
エドは広場に向き直った。
「頼む。みんな、目を覚ましてくれ。もう聖女に依存するのはやめるんだ。俺たちの存在がお前たちを狂わせるなら、俺は――勇者パーティは、今日で死ぬ。これからは自分の力で生きるんだ!」
「エド!! ダメだッ!」
ジークの絶叫が広場を切り裂いた。
エドは目を閉じた。
「殿下、聖女を……世界を、頼みます」
そして――静かに、前へ踏み出した。
時計塔の頂から、エドワードの身体が落ちていく。
風が鳴いた。
石畳に、音がした。
広場が、息を呑んだ。
誰も動けなかった。誰も声を出せなかった。
私は走った。
転びそうになりながら、それでも走った。
エドの傍に跪いて、その身体を抱き起こした。
「エド……っ!エド、エドぉ……!」
エドの目は、開いていた。
空を見ていた。
その口元に、かすかに笑みが残っていた。
「……これが、俺の守り方、だ」
それが、最後の言葉だった。
この国一番の戦士は、死んだ。命をかけて人々に訴えかけた。
だけど、その事実が人々の心を動かすには――もう遅すぎた。
***
エドが逝ってから、パーティは変わった。
前衛を失ったことで戦闘がひどく苦しくなった。ジークとユリウスが交代で前に出て、私が後方から支援する形で何とか戦い続けた。だが消耗は蓄積していった。ユリウスはパーティのブレーンとして、あらゆる作戦を考えてくれた。だが、それもうまくいかず、ユリウスは眠れていないのか、目の下の隈が濃くなっていった。
そしてある日、ユリウスの研究室に呼び出された。
「リナ。少し話を聞いてもらえますか」
いつになく静かな声だった。机の上には魔法の計算式が散乱している。ユリウスは椅子に座ったまま、私を見た。
「エドが死んで以来、私はずっと計算し続けています。どうすれば人々を元に戻せるか。どうすれば魔王を倒せるか。何千通りも試算しました」
ユリウスの目は、どこか遠くを見ていた。
「でも、どの計算でも、答えが同じになるんです。何もないんです。この世界を救う方法が」
「……ユリウス?」
「ねえ。どうすればいいんでしょう。どうすればいいのか、教えてください! 聖女!」
ユリウスはゆっくりと手を伸ばした。私の手に触れようとして――そのまま、床に崩れ落ちた。
「ユリウス!? ユリウス!!」
揺すっても反応がない。呼吸はある。脈もある。
だけど――目が虚ろなまま、何も映していない。
「誰か! 誰か医者を呼んでください! 」
***
次にユリウスに会った時、ユリウスはとても楽しそうにしていた。
「くまさん、うさぎさん、ふふふ」
ユリウスは自分の魔法で作ったゴーレムたちと遊んでいた。
その姿はまるで、子供のようだった。
だけど、その目が、虚ろだった。
「ユリウス……」
「……ッ!? 嫌だ! 嫌だ嫌だいやだ! 助けて! 助けてぇ!!」
私が声をかけようとすると、ユリウスは狂ったように声を張り上げた。
医者の話によると、ユリウスは心的外傷を負ってしまっているらしい。そしてそのトリガーは聖女である私だった。
「リナ。君は何も悪くない。ユリウスがこうなったのは君のせいじゃない。……もしかしたら、これが、ユリウスにとっては幸せなのかもしれない」
戦士が死んで、魔法使いが壊れた。
残ったのは――勇者と、聖女だけだった。




