【毒殺事件編】幸せはどこにある
あの夜から数日ほど、リヒトさんは、
眠っては起き、起きては眠り、回復の一進一退を繰り返していた。
もともとほっそりしている彼女がいよいよ痩せて、肌は透き通るよう。
僕は会うたびに、ギクリとして彼女の手足をさすって温める。
頬を両手で挟んで温める。
そのたびに、リヒトさんは嬉しそうに微笑んで、
桜の花びらが一枚かすめるほどの微かさで顔を赤らめ、いたずらっぽく言うのだ。
「ほら、生きてるでしょう?」
*****
リヒトさんが息を吹き返した朝、
神亥ステファニーと大王付きたちに、僕が、リヒトさんに結婚を申し込んだことを伝えた。
こんなタイミングで、しかも、承諾を受けていないにもかかわらず、
皆、泣くほど喜んで互いに抱き合ったりするものだから、面食らってしまった。
僕がなかなか結婚を申し込まないことを歯がゆく思っていたんだろうか?
僕はリヒトさんに恋しているから相当盲目だが、
リヒトさんの立場で大王妃になることを快く思わない者がいることは心づもりしている。
だから、近い者たちが手放しで喜んでくれることは心強い。
これも、リヒトさんの人徳の為せる業だろう。
また、僕は、リヒトさんに血の誓約をする「リヒトさん付き」従者を編成した。
僕の従者の「大王付き」と同じように、
剣となり盾となりリヒトさんへの忠誠を誓う者たち。
リヒトさんの容体はまだ不安定で、何かあったとしても、今のリヒトさんに逃れる手段はないからだ。
それに…正直に言うと、リヒトさんに結婚を承諾してもらえるように、
さりげなく外堀を埋めたい気持ちも十分にある。
リヒトさん付きは、エデのほか、
親衛隊のえり抜きの女性騎士が二人、
現在大王付きのメイドから一人、
大神殿のメイドの中から、僕とステファニーが選抜した者が一人。
このリヒトさん付きは、既にリヒトさんにぞっこんという空気で、
「お嬢様」「リヒト様」と彼女を大事にしている。
本当にリヒトさんという人は不思議だと思う。
彼女が持つ揺るぎない芯のようなものが、大きな引力を持っているし、
その一方で、どこかに行ってしまいそうな不安定さと神秘性があって、それがまた人を惹きつける。
猫族の継承者になる人は、こういう強い磁力を持った人なのではないかとふと思うのは、
やはりエーレントに会ったからだろう。
怨霊として復活するほど憎んでいる神鼠に、
自分の命すら危うくなる救いの手を差し伸べるのは、エーレント自身の揺るぎない芯があるからだと思えてならない。
僕は、リヒトさんを助けることが「純血種を残す」というエーレントの利点になると言ったが、
それを言わなくても、エーレントは彼女を助けたように思う。
血まみれになって、減らず口を叩きながら。
あのとき、リヒトさんを覗き込んだエーレントの姿、僕に叫んでいたエーレントの声には、
純粋に目の前の命を救おうとする意思しかなかった。
そして、実際、自分の役目が終わるとさっさと帰ってしまった。何も要求せずに。
エーレントも不思議な…悔しいが、引力と魅力のある男だと思う。
*****
それに、その日以降、
僕はもう、人目を気にしないことにした。
リヒトさんの調子がよいときは、一緒に食事もとる。
執務の間に、リヒトさんのお見舞いの時間をとるように予定を組ませる。
人がいても手を握り、頬に触れる。
夜は、リヒトさんの部屋に行って、彼女の顔を見ておやすみなさいを言う。
無感情だった3年前のように、
女の尻を追いかけていると思われようと、
やましいことをしていると思われようと、
どうでもいいと思うようになった。
リヒトさんは、そんなやけに前のめりな僕を見るたびに、
もじもじして、桜の花びらひとひらを、青白い頬に浮かべるのだ。
血まみれでリヒトさんを救ってくれたエーレントや、最近は鎮静化している独立運動が、
いつまた動き出すか分からない。
でも、僕は、不思議と、
なるようになるし、なんとかなると思っている。
リヒトさんが生きている世界で、
リヒトさんがいる大神殿に帰り、
生きているリヒトさんに会える喜びが、
今、この瞬間に存在しているならば…
僕は、幸せの中に生きているのだ。
僕がめくろうとする人生の一ページは、
ただの彩に溢れただけの一枚じゃなかった。
もうすっかり、幸せ色に染まった一枚だったんだ。
ロベルト、お前は馬鹿だ。
お前が力づくで引き寄せようとした僕の本当の幸せは、僕の心にあった。
お前の幸せだって、お前の心にあったはずなのに。
お前は馬鹿だ。
あの世でクロエの下僕となってアダムの幸せを祈るがいい。
***
リヒトさんは、日ごとに、
頭も言葉も、はっきりしてきて、
起きている時間の方が多くなってきた。
一番問題なのは、毒の影響で、
足にしびれが残り、歩行が困難になっていることだ。
でも、リヒトさんは泣き言一つ言わず、
侍医の勧めにしたがって、
必死に痛みをこらえ、歩く練習をしている。
一歩一歩、足を踏み出すリヒトさん僕が支えようとすると、
「それじゃあリハビリにならないわ!」
とプリプリしながら、フラフラ危なっかしく一歩踏み出し、
途端に崩れ落ちて、僕が抱きとめる。
あの、屋根までスルスルと登っていた、しなやかなリヒトさんが、
もしかして、二度と普通に歩けないのか…
と思うと、胸が苦しくなる。
でも…
それでも、
彼女は生きているんだ。
*******
リヒトさんは、まだ、僕のプロポーズの話をしない。
そろそろ返事を聞きたい、とも思う。
返事のことを思うと、覚えず心臓がドキンとする。
でも、リヒトさんは、僕と二人きりになりそうになると、
慌てて、「リヒトさん付き」を呼んだりするし、
僕が甘い空気を出そうとすると、逆に塩辛い発言をしたり…
この彼女の反応は、以前の僕なら、
心を激しく乱していただろうが、
ちゃんと彼女がプロポーズを認識していることの証左だし、
彼女の中では、まだだという思いがあるのだろう…
と考えている。
とはいえ、僕としては、
僕が「結婚したい」という意思表示をしたことは大きいと思っている。
彼女は、僕の気持ちについては大いに安心して、
自分が承諾するかどうかだけを、考えればいいんだから。
***
そして、その一方で、僕は、
リヒトさんを毒殺しようとした犯人を捕まえるべく動いていたのだった。
(次話に続く)




