【ユーリ編】さようなら、僕のオスカー先生
次の日の閉会の儀は、驚くほど普通だった。
シリウス様は、「腫れ物ができた」という理由で、
顔の半分をスカーフで覆い、目だけを出していたが、
いつもよりも元気だ、と思ったくらいだった。
だから、オスカー先生の言葉は想定外だった。
「シリウス様に大事が起こった後ですから、私がクローリクに宿泊するのは延期しましょう。」
心臓に何本も氷の針が刺さった。
一瞬言葉を失っていると、さも当然というように僕の肩を叩く。
「ユーリ君は気を付けてお帰りなさい。
クローリクにはまた改めて行きますよ。
そのときは…」
「アァァ、うるさいうるさい!」
僕は、とうとう爆発した。
「なんだよ?口を開けば、シリウス様シリウス様、バカじゃんか!?」
オスカー先生は目を見開いた。
「ユーリ君、シリウス様は…」
「聞きたくない!!
そんなにシリウス様が好きなら、先生が結婚すれば!!!」
頭の中で、シリウス様への妬み、オスカー先生への恨みが、
竜巻を起こしている。
「落ち着きなさい。シリウ…」
「黙ってよ!!!」
言葉を吐き出すことを止められない。
「もう僕は生徒じゃない!
クローリク州王、神兎ユーリだ!!
…二度と、先生面して、うちに来るな!!!
オスカー、さ・ま!!!!!」
僕は扉がぶっ壊れそうなほどの音を立てて扉を閉め
(これも、昔、よくオスカー先生に注意されていた)、部屋を出た。
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クローリクに戻ってからもずっと、
僕の心臓は蜂の巣のようにポソポソと穴が開いて、キシキシ痛んでいた。
特に、シリウス様の堂々としたスカーフ姿を思い出すと、
憎々しい気持ちが込み上げる。
あんな可愛い猫族がそばからいなくなっても、へっちゃらかよ。
なんでも揃っている大王様は、
ちょっとくらい何か失くしても気づかないのかよ。
おもちゃで埋もれた部屋から、猫のぬいぐるみ一匹なくなったところで…
その頃、王国内は州独立運動で不穏だったが、それはシリウス様と大人たちの仕事。
十二支会議から随分経ったある日、僕は夕闇が忍び込む部屋の寝台で、不貞腐れてゴロゴロしていた。
実際、あの日から苛々して、日中に包帯なしでうろつくことも多かったから、
太陽の光で身体が蝕まれている気がする。
それもこれも、シリウス様が――
――ここでアッと気付いた。
そうだ、猫族!!!
あの女の子…リヒトをここに呼べばいいんじゃないか!
庭園の東屋で見た、可愛い顔が目に浮かぶ。
リヒトは、シリウス様から捨てられた。
僕も、オスカー先生から捨てられた。
それじゃ、一緒にいればいいんだ!!
僕は跳ね起きたが、さて…
どこにいるんだろう?
大人たちに「探すな」と散々言われたけど、どうでもいいや。
とはいえ…僕にもちょっとしたものなら探せる神通力があるが、
シリウス様のような、ものすごい探索術はない。
(僕も大人たちの会話を聞いただけだが、
どっかの州の鉱物が枯渇したときに使われた、
方位陣が足元に出現する「男なら一度は使ってみたい」術があるらしい。)
「猫か…猫…猫…」
部屋を動き回るうちに、アッと叫んだ。
あわてて机に積み上がった本の中から、一冊のノートを引き抜くと、
つるべ落としのように暗くなる部屋の燭台に火を灯し、
急いでノートをめくる。
まだコルデールにいるときに、オスカー先生から習った…
200年くらい前に、神鼠から大虐殺された猫族が祀られているところ…
ノートをめくる手がピタリと止まる。
あった!!!!!
「神山ゴテスベルクの…猫の天神!!!!!」
思わず笑みがこぼれる。
そりゃ、ここに行くとは限らない。
もうかなり時間が経っているし…
でも、捨て猫が行くとしたら、やっぱ仲間のところじゃないのか?
偶然出会えるかもしれないし、行けば何か分かるかもしれない。
そうと決まれば、行くしかない。
誰かにリヒトをとられる前に…オスカー先生がシリウス様にとられたように。
「神路開門 神通力 【如脱兎】」
僕は、机に「ちょっと出かける」とメモ書きを残すと、
部屋を【脱兎のごとく】抜け出し、
雷光のような速さでゴテスベルクに向かった。
*************
神通力全開で疾走し、
翌朝の未明、僕は神山ゴテスベルクの猫天神に到着した。
闇と霧の中、猫天神はなんとなく白く浮かび上がっている。
もう呼吸も苦しいけど、あと少し。
僕は息を整えると、中に入って…
エッ!?
心臓が飛び上がるかと思った。
中から…光が漏れている!!!
僕は走り出した。
リヒト!?
まさかの大当たり!?
僕が猫天神の石の間に飛び込むと…
そこには、リヒトはおらず…
代わりに、もっと意外な人物が、
そこで祭壇を見上げていた。
「ロ…ロベルト様!?!?」
僕は素っ頓狂な声を上げた。
何が何だか分からないが、とにかく、「怒られる!」と思った。
探すな、と言われていたリヒトを探していることがバレた!?
「いや、本当に…君の言う通りだね…
ねぇ…」
なぜか祭壇の方を見上げたまま呟く…
「エーレント…」
僕が立ち尽くしていると、
低い、低い歌声が静かに流れてきた。
―眠れ 坊や
―甘い 夢の中
僕の目の前に、ピカッピカッと緑の宝石がちらつく。
身体が自然と、祭壇に向かう。
低い、低い声で、
ゆっくり、ゆっくり歌は続く。
***********
―神の山が
―救いたもう
僕の頭にも目にも、白い霧が流れ込んでくる。
身体は宙を舞っているよう…
記憶も浮かび上がるように蘇る…
…そっか、ここはオスカー先生のコルデール宮なんだっけ…
…ああ…あの日…
廊下を曲がるまで、ずっと、僕の背中は、
先生の部屋の光で照らされていた…
もしかして、
扉を開けて…
僕が戻って来るのを…
待ってくれていたの…?
先生が扉に掛ける手…
手のひらが、こちらを向いてなかったか…?
あのとき、僕が戻っていれば…
…気づけば僕は、あの日あの時の曲がり角にいた。
僕は振り返って、走って先生の部屋に戻る…
先生は長い腕で僕を優しく抱き締めて言う…
【よく戻ってきました。
ユーリ君は、ここにいていいんですよ…】
先生の綺麗で優しい笑顔、
綺麗で優しいエメラルドの瞳が、
フワフワと浮かんで溶けていく。
【私は、ここにいますよ…】
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―遥か 紅き
―朝の 光
いつしか、歌声はオスカー先生の声に変わっている。
【このエメラルドのピアスは、必ずユーリ君が着けてくださいね…】
*******
―坊やを 待つ
【シリウス様は、お仕えすべき主…】
もう、エメラルドの光がうっすら見えるだけ…
遠く、遠くに聞こえる声に、耳を澄ます…
【これだから、味噌もなんとかも一緒にするお子様は…】
僕は、先生とずっと…
【私は、ユーリ君とずっと…】
*********
――緑の 庭
歌が終わると、霧がゆっくりと引いて石の間が戻ってきた。
しかし、僕の頭が白く濁っていく。
さっきまで何を考えていたんだっけ?
ゆっくり、ゆっくりと、
黒髪のロベルト様が振り返り、
横顔で僕を静かに見つめて――
――白く薄れていく景色の中で、
漆黒だったはずのロベルト様の瞳が、
夕日色に輝いていた。




