(ブロマンス回)さようなら、オスカー先生 こんにちは、深淵
「それでは、神通力の土台を言ってみてください。」
僕は背筋を伸ばして、元気に言う。
天に神
我は器
刻印は錠
指は鍵
腕は路
言葉は力
これすなわち神通力なり
「よくできました。発声もいい。」
オスカー先生は長い指で静かに拍手する。
「常にこのことを念頭に、訓練を積みましょう。
ユーリ君は、ようやく、神通力を入れる器を作り始めた段階です。」
オスカー先生は、石板にさっき僕が言った言葉を書き出す。
「我・刻印・指・腕・言葉…このうちのどの一つが欠けても、
神通力は発動しません。
ですから、まずは『我』を知・体・心の全方面から鍛える。
そして、錠である『刻印』、
それを開ける『指』と通路となる『腕』、
力を発動する『言葉』を研究し、訓練する。」
先生は石板の言葉を1つずつ指差して、
ゆっくり刻み付けるように説明する。
「例えば、私が貴方と遊んであげるときの『羚羊』。
あの術の指・腕・言葉は、全て、私自身が研究しています。
過去の神羊の技であればできる、というわけではありません。
古今東西の歴史などを学び、自分に最もふさわしい『言葉』、『指』、『腕』を研究するのです。」
「こうすれば、これができる…ていうわけじゃないんですか?」
「そのとおりです。知識、教養、体技、センス…様々なものが問われます。
例えば、印ですが、これもどの印を結べば、
自分に一番しっくりくる技が発動できるかは分かりません。
研究し、訓練するしかないのです。」
「それって無理じゃ…」
「十二支は神に選ばれますが、
どの人物にも一致しているのは、
継続して努力できる力があることです。
頭の良さ、身体能力の良さは二の次、三の次という印象があります。」
「どうして…?」
「砂の中から、小さな金を探す…
そんなことができるのは、継続して努力できる力がある人だけです。
私の友人の十二支にアダムという、大変素敵な女たらしがいます。
一見、ちっとも継続して努力しそうにない人物ですが、
酒を飲んでいるときでも、ずっと指を動かしていますね。
印を結ぶために、指の鍛錬が必須だからです。」
「えええ―――!!!」
「どの十二支も多かれ少なかれ、そんな人物ばかりです。
そうそう、指と言えば、シリウス様に至っては、赤ん坊の時から訓練しているので、
今では指の先から手首まで、骨がないかのようにグニャグニャと動かせます。」
「ひえええ――――キメェ……イテテテテテテ!踏まないで!!!」
「…神馬のツムギ女王も、この人も大変面白いのですが、
『どうも詩の中で言葉が見つかりやすいかもしれない』と言って、
この国に転がっている数千遍の詩を集めて暗唱して、
『3つも言葉が見つかった』と喜んでいましたね。」
「…僕、無理じゃないですか…?」
「だから、言ったでしょう?
神に選ばれると。
やってみると、意外と楽しい部分もあるんです。
特に、我・刻印・指・腕・言葉がすべて一致して、
自分の思った術が発動できた時の快感は素晴らしいです。
そんな日は、夜はもう…」
「夜…?」
「…いいえ、何でもありません。
ですから、ユーリ君はまずは、器。
勉強、教養、体技を進めていきましょう。
そうこうするうちに、貴方の可愛い顔にふさわしい品格も備わるでしょう。
今日の授業が終わったら、
貴方の大好きな、エクウス特産のニンジンパイがありますから、頑張りましょうね。」
「やったァ!!!頑張る!!!頑張ります!!!」
…5歳から8歳までの3年間、
親も知れない盗っ人だった僕は、オスカー先生という光の中で、
こんな毎日を過ごしていたのだった。
************
僕が8歳になったとき、神羊コルデールを去り、王として、神兎のクローリク州に行った。
オスカー先生は、3年前からクローリクの者を何名もコルデール宮に呼び寄せて、
僕に仕えさせていた。
この者たちも、僕と共にクローリクに行く(この者たちからすると『帰る』になる)が、
生まれて初めてクローリクに、
しかも王として赴く僕が、
少しでも安心して過ごせるように、
というオスカー先生の計らいであることは言うまでもない。
僕は、クローリク州に行く日が近づくにつれ、
気が塞ぎ込んでいた。
でも、慌ただしく日々は過ぎ、
あっという間にクローリク出立の前夜になった。
*************
メイドが蝋燭の火を吹き消して退室すると、
妙な静けさが漂う部屋の暗闇が、怖くてたまらなくなった。
僕は、泣くのを堪えて、枕の中に顔を突っ込んだ。
でも怖い。
カタリと風の音がした瞬間、
僕は枕をギュウと抱きしめて、廊下に走り出た。
暗い廊下はさらに怖い。
枕で顔を隠して、ヒッ、ヒッと喉を鳴らしながら走り出した。
オスカー先生の部屋が見える廊下を曲がると、
先生の部屋のドアが開いて、
光の筋がスゥと暗い廊下に広がった。
先生の白い顔が僕の方を向いた瞬間、
僕はウワァと声を上げて泣き出して、
全力で走って、先生の長い脚にかじりついた。
「おやおや…」
でも、先生はいつものような冗談は言わなかった。
僕を抱き上げると、
背中をトントンと規則正しく叩きながら、部屋をゆっくり歩き回る。
僕は、ヒィ、ヒィと声を上げて、
涙と鼻水を先生の肩にこすりつける。
ようやく収まって来ても、僕は先生の肩に頬を乗せてグスグスしていた。
先生はトントンしながらゆっくり部屋を歩くと、
自分のベッドに僕を寝かせ、毛布でくるんでくれた。
「今日はここで寝なさい。」
「先生…」
「ここにいますよ。」
「行きたくない…」
先生は静かに寝転がると、
僕を抱き寄せて、またトントンとしてくれる。
「行きたくないです…ここがいい…」
僕はベソベソと先生の胸に顔をこすりつける。
先生は何も言わずに、僕の頭を撫でてくれる。
僕が少し落ち着いてきたとき、
思いついたという様子で先生が「そうそう」と言う。
僕がピクリと泣くのを止めると、
「ユーリ君にあげようと思っていたものがあるんですよ。」
と静かに言う。
「何を…?」
「泣く子には言えません。」
僕は、クウクウ鼻の奥を鳴らしながらも、何とか涙をこすった。
先生は「いい子です。」と僕を起こして、頭を撫でると、スッと立ち上がり、
棚から何かを取ってきた。
小さな箱だ。
何だろう。僕はソワソワして箱と先生の顔を見比べる。
先生はそんな僕を見て微笑み、「さあ、なんでしょう?」と問いかける。
実に、子供の…僕の扱いに長けている。
「勲章?」
「蝶々?」
「四葉のクローバー?」
僕が答えを挙げるたび、
先生の綺麗な顔に、綺麗な笑顔が広がっていく。
どんどん頓珍漢な方向に行くのが可笑しいのだろう。
「先生、ヒント、ヒント!」
先生は、自分の目にスッと長い指を当てる。
「あ、分かりました!先生の目!」
「そんなわけないでしょう」と、先生は吹き出した。
「さあさあ、それでは答えといきましょう。」
先生は僕の顔の前に箱を持っていくと、そっと蓋を開けた。
それは、エメラルドのピアスだった。
僕は「アッ」と言ってその箱を先生からつかみ取る。
「こらこら、乱暴に取らないんですよ。」と言いながら、
僕を膝に座らせてくれた先生は、僕の頭を撫でながら静かに話す。
「随分前に、宝石商が来たときに、エメラルドに興味を持っていたでしょう?
『この石なんて言うの?』っていきなりつまんで走り始めて…
そのエメラルドを買い取って、これに加工して…」
先生と出会ったとき、絶対欲しいと、思った石…
「…触っていいですか?」
「もちろん。貴方のものですよ。」
僕はピアスをつついてみる。
燭台の灯りを反射して、胸が痛いほど、深い緑が煌めいている。
「大きくなるまで取っておいて、意中の女性へのプレゼントにしてもいいでしょう。
なかなか立派なものですから。」
僕は先生を見上げようとしたが、
視線が合う前に、力なくピアスに目を落とした。
「さあ、そろそろお眠りなさい。」
先生はピアスの箱をそっと取ると、
もう一度僕をベッドに横たえて、毛布でくるんだ。
が、僕は起き上がった。
「もう大丈夫です。部屋に戻ります。」
オスカー先生は少し驚いたように僕を見たが、
「ではどうぞ」とピアスの箱を手渡してくれる。
部屋から出るとき、僕は先生に言った。
「クローリクに行った後も、ときどきコルデールに来ていいですか。
神通力も特訓してもらいたいですし…」
先生は僕を長い腕で優しく抱き締めた。
「もちろん。私も、クローリクに行きますよ。
シリウス様にも事前にお伺いしておきますからね。」
シリウス様…
シリウス様…
口の中に入って、なかなか取れない髪の毛のようだ。
僕は、気が抜けたように廊下を歩き始めた。
先生の部屋から漏れ出る光が、僕の背中を照らしている。
曲がり角に来て振り返ると、
先生の手が、扉をスウと閉めるのが見えた。
途端に、一切の光は消え、
僕の眼前の廊下は、深淵の闇に落ちた。




