「噛みちぎって一生させてあげない」と急所を噛む 慌てるシリウスと中の人
「噛みちぎって、一生させてあげない」
リヒトさんのその言葉に、僕は、猛然と身を起こした。
リヒトさんは、僕の股間に顔を埋め、
ズボンの上からかぶりついて咥えたまま、
オレンジの目を光らせて、ギリギリと僕を睨みつけている。
「リヒトさん…」
僕は、声を絞り出すと、
震える手を伸ばして、もじゃもじゃになったリヒトさんの頭をそっと撫でた。
「シリウス!!!」
リヒトさんはパッと飛び上がって僕の股間から離れ、
上体を支えてくれる。
僕は唸りながらリヒトさんに倒れ込む。
「髪の色が…戻ってる…」
リヒトさんは僕の髪を撫でながら、膝の上でしっかりと頭を抱えてくれる。
「髪…?」
「さっき、白く…白銀になってた…」
「…」
「目も、アクアマリンが…もっと薄くなって…
ブルーダイヤモンドみたいに異様に光って…」
「…」
「あれは…」
僕は首を横に振った。
リヒトさんは深いため息をついた。
「ロベルト様が私を襲ったときも…同じような違和感があったの。
違う人みたいな喋り方だったから…」
僕はギョッとしてリヒトさんを見上げる。
リヒトさんを襲ったのは…ロベルト…じゃない?
リヒトさんは僕の目を覗き込むと「ああ、シリウスの、君のアクアマリンだ…」と、
僕の瞼に優しく口づけをする。
「もう変わらないで」と祈るように。
僕は目を閉じて、彼女の唇の感触を刻み付ける。
「少し待ってて。大神殿の馬車を呼んでくる。」
立ち上がろうとするリヒトさんの服の端を掴む。
「僕、歩けます。
少し、リヒトさんと歩きたいです。」
リヒトさんは僕に手を差し出した。
「私の肩に掴まって。」
***************
僕は、リヒトさんに寄りかかって歩く。
ほっそりして壊れそうと思っていたリヒトさんの身体は、
預けてみると、思いのほかしっかりと僕を支えてくれる。
「くじ引きのお店を出てから、話そうと思ってたことがあるの…」
リヒトさんが静かに話し始める。
「君は…私が獣化しないで済む方法を研究してくれた。
おかげで、ずっとディモイゼにいるのに、
3年前みたいに病気にならないし、
こうやって…獣化しないで、近い距離でいることもできる。
全部、シリウスが、3年間必死に頑張ってくれたからだよ。」
彼女が、結論として何を言おうとしているのか全く分からない。
「さようなら」と言われるのでは、と緊張が高まってくる。
「それでも、君の苦心した研究や術が、何かの条件で崩れて…
私が、君を殺してしまう可能性はある。
それを…君を殺してしまうことを…
君が死ぬことを、
ただ恐れて、逃げ回ってた。
自分にできることはないと、勝手に思い込んで、
何もしないくせに…」
リヒトさんの声は、困惑してもないし、不安げでもない。
僕の体重に息を切らしながらも、芯の通った声で話す。
「レイチェルさんから、さっき聞いたの。
絶望してたときに、ある人が、
『貴女にできることがあるはず』ってメッセージをくれたって…」
どこにしまっていたのか、
小さな銀鼠のぬいぐるみを少し見せて、
その鼻をつつく。
ああ、あのくじ引きの…僕はクスリと笑う。
「アッて思った。それだ!って。」
急にリヒトさんは、僕を振り仰ぐと照れたような顔で笑った。
そしてそのまま、月が浮かび上がる宵の空に目を移す。
「私も研究するよ。
猫族の立場から、獣化を防ぐ方法を。」
僕は思わず立ち止まった。
そのまま2、3歩進んでしまったリヒトさんは、
立ち止まって僕を振り返る。
「君に全部任せているくせに、
結果をただ不安視して、闇雲に逃げ回って…
結局、君を傷付けた。
もう少し、早く気づいていれば…
せめて、この話を少しでも早く切り出せば、
さっきのことは起こらなかったかもしれない。」
「そんなこと…リヒトさんは悪くなんか…」
「ある!」
リヒトさんは、
なんだかよく分からないことで憤然としながら、
僕の隣に戻って、
また僕に肩を貸して歩き出した。
リヒトさんと僕は、
よろめきながらも踏ん張って、
人気のない、雑草が点々と顔を出す石畳を前へ進む。
「研究って…
もしかして、猫の天神…?」
尋ねる僕に、リヒトさんは頷く。
「…違和感のあることが多過ぎる。」
「…その違和感が、猫族に関係する…
そして、それが獣化を止める方法に繋がるかも、ということですか?」
リヒトさんは頷いて、「お願いがあります、大王様」と立ち止まった。
「私は、大学を休学します。
今回の怨霊祭や各地の独立運動の極秘の調査官として、
私を雇用してください。」
リヒトさんの夕日色の瞳は、最初の日、
僕を襲って来た時のような強い輝きを見せている。
僕もリヒトさんをじっと見つめる。
「確かに、怨霊祭は、
ロベルトの独りよがりの動きで留まるようには思えない…
独立運動と関係している可能性もある。」
「ええ。
…私は、ロベルトの計画や独立運動の調査は、
十二支が極秘に行うものだと認識しております。
しかし、ロベルトから、直接、話を聞いているのは私だけ。
そのときのロベルトを様子を見たのも私。
しかも場所は猫の天神、私は猫族。
さっきの大王様やロベルトの変貌も無関係とは思えません。
私を使ってください。
必ず役に立ちます。
また、私を使っていただけるなら、さらに…」
「…猫族の獣化防止の研究もします、ということですね?」
リヒトさんは、急にもじもじと目を逸らした。
「それももちろんですが…
あの…【報告】という…その…名目で…」
「そうだ!その手があった!!」
僕は思わずリヒトさんの方に駆け寄ろうとしたが、倒れ込んでしまう。
リヒトさんが飛んできて、僕の頭を抱えてくれる。
「毎日、報告の時間を設けましょう。
リヒトさんのお好きなお菓子を用意して…
そうだ、僕の部屋で、食事を一緒にしながらでもいいかもしれない。
エデとダンテスに命じて、人払いをします。
極秘ですからね?」
「御意のままに、大王様…」
リヒトさんが、頭上でフフフと笑う。
僕もつられて少し笑う。
「リヒトさんが『大王様』っていうと、新鮮です。
最初、僕を「大王様」とか「シリウス様」と呼ぼうとするだけで獣化して、
『鼠には「ドブ」で十分だ!』って大暴れして、
ステファニーを真っ青にしていましたね。
それで、呼び捨てに落ち着いたという…」
「そうだった…」
気まずそうに笑うリヒトさんの胸が揺れて、
その弾力を感じた僕の顔に、血が上る。
「シリウス様。記憶が新しいうちに、気になる点を整理したいと存じます。
まずは馬車で、1回目の会議はいかがですか?」
おどけたように言うリヒトさん。
「それはいい。
今ここから、本当の、
神鼠と猫族の再生計画を始めよう。」
僕は、3年前、血を流しながら誓ったあの夜のことを思い出しながら、
身を起こして、月の下の、
世界一可愛くて、優しくて、聡明な猫族を見つめた。
「馬車に乗り次第、まずは気になる点を紙に書き出せ。
お前の雇用については、帰還後に正式な契約をする。
それでいいか、リヒト?」
言い終わると、僕もいたずらっぽくリヒトさんを見たが、
なぜかリヒトさんは耳まで赤くして、目を逸らし、モジモジしている。
「冗談のつもりだったんですが、お気に障りましたか?」
「違うの!違う!…なんか、あの…」
と、僕をチラリと見てポツリと言った。
「こういうシリウスもいいなって…」
「アァァ――――――――――――ッ…」
僕は頭を抱える。
リヒトさんの、そういうところが、僕を…僕を…
でも…
今は、これでいい。
彼女の優しさと孤独に思いきり乗ってしまおう。
彼女の心を不安視して、
闇雲に追い詰められるくらいなら、
この『恋』に踊らされればいい。
頭を抱えた僕を本気で心配して、
背中をさすってくれるリヒトさんの腕の中で思う。
自分の心が、逃げ場がなくなるくらい追い詰めらないように…
僕は深呼吸をしてから、言った。
「さあ、リヒトさん。
大神殿に一緒に帰りましょう。」
リヒトさんに手を貸してもらって立ち上がろうとすると、
思いがけず顔が近付いて、
僕とリヒトさんは、しばらく、お互いの顔を見つめ合った。
前夜祭の賑やかな音楽が、遠くから風に乗って流れてくる。
ふいに「一生させてあげない」と言ったリヒトさんの言葉と姿が思い出される。
僕は、慌てて音楽が流れてくる方を向いて、「リヒトさん」と切り出す。
「さっきの『一生』…あれは…逆に…」
と、そのとき、遠くの方から、
「シリウス様!」
「リヒト様!」
と転がるように走りながら叫ぶ、
ヤンやエデの声が聞こえてきた。
エデは号泣してリヒトさんを抱き締めるし、
追いついたダンテスとヤンが僕を両脇から抱え上げながら、男泣きするし、
僕たちの周りも、祭のように賑やかになって、
月の下を馬車に向かって歩いたのだった。




