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シリウスは マシュマロのように柔らかい口と野獣のような力を持つ美青年

「しっかり僕につかまってください。」


横座りの私は、シリウスのパリッとしたワイシャツにしがみついたが、

ボタンが大きく開いていたので、

彼の胸元や、首の傷が露わに見えてしまった。

鍛え上げられた身体に驚いて、思わず手を離す。


大きく体勢を崩してしまったが、即座にシリウスが片手で私を抱えなおす。


「大丈夫…リヒトさんのつかまりやすいようにしてくれれば…

僕はどこでも支えられますから。」


私はそろそろとシリウスの首に手を回した。

「もう一度、身体を見たい」などという欲望に向き合う勇気はなかったから。


ああ…3年前と違う。

朝昼晩と思い出し、何度も何度も夢に見たあの少年は、

こんなにも逞しく、大きく成長したんだ。


**********


シリウスは黙っている。

私も黙っている。


たくさん、聞かなければいけないことがある。


でも、一つでも聞くと、また、別離が訪れる気がする。

それなら、永遠に黙って、彼の腕に包まれていたい。


シリウスは、何かから逃れるように、馬の脚をどんどん早める。

私は思わず、彼の首に強くしがみついた。


***********

白馬は町の外に走り出た。


沈黙の均衡を破ったのは、シリウスだった。


「僕は、今、貴女に対して、神通力を最小化(ミニミゼイション)して、封殺(ふうさつ)しています。」


私はよく分からずにシリウスを見上げた。


「これだけ僕と密接していても、貴女にはほとんど僕への憎悪や食欲がないはずです。

どうですか…?」


「あ…確かに…ない…」


シリウスは私の方にパッと顔を向けた。


「本当ですか?」


「あ、うん…」


「やったあ!!!!!」


私が吃驚してシリウスを見ると、彼は片手を空に突き上げている。


「やった…!やった…!!」


今度は馬上で、私を器用に抱えたまま、前傾姿勢で拳を握りしめている。


「どうしたの?大丈夫?…大丈夫?」


泡を食った私は、シリウスの頬に手をやった。


「降りましょう!リヒトさん!!」


と言うなり、シリウスは馬を止めた。

そこは、昨日私が「馬鹿シリウス」と叫んだ小高い丘。


シリウスは飛び降りると、私に手を差し伸べた。

と思うと、私の腰を両手で抱えて、くるくる回り始めた。


「やった!やった!!リヒトさん!!!やりましたよ!!!」


「ちょっ!!!

シ…シリウス!!!シリウスーー!!!!!」


「アハハハハ!!!」


シリウスは満面の笑みで私をようやく地上に降ろす。

シリウスが笑うと、大人びた雰囲気が消えて、愛らしい天使が来たみたいだ。


でも、私は目が回って、腰からストンと座り込んだ。

ぐらりと地面に倒れそうな瞬間に、隣に座ったシリウスが、私を膝の上で抱きかかえた。


このわけのわからない状況を恨みがましく思って目を開けると、

シリウスが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。


あまりの顔の近さと、見慣れない美貌に恥ずかしくなって、私は横を向いた。


「ごめんなさい、リヒトさん。

…僕、この3年間、ずっと訓練してきたんです。

神鼠(しんそ)猫族(フェリス)が、属性から解放される方法を…」


私はピクリと固まった。


「すごく難しくて…神通力を、

一つの、意思のある動く対象には最小化(ミニミゼイション)して、封殺(ふうさつ)して、

その他には最大化したり、並行して発動したり…」


私は、膝に抱かれたまま、シリウスの方に顔を向けた。

シリウスは遠くの町に目を向けている。

これまでの3年間に呼び掛けるように。


私は手をついて起き上がった。

そんな話を、寝転がったまま聞けるはずがない。


「昨日は…それを…してなかったの…?」


「はい…貴女が泣いているのを見て、心配になって、忘れてしまって…」


私は、自分がひどく恥ずかしくなった。


「ああ…でも…」


シリウスは急にゴロリと仰向けになり、アクアマリンの瞳をゆっくり閉じる。


「実際にリヒトさんにやってみると…力が要る…

まだ、もう少し…訓練しないと…」


シリウスの、目を閉じた美しい顔の静けさに、私は不安になった。


この超人的な体力の持ち主が疲労を覚えるほど、

神通力の最小化(ミニミゼイション)封殺(ふうさつ)は負担なのか…?


術を解除しないと、休めないのでは…


もしかすると、これが原因で…


「…あの、私、遠くに行くから、術を解除したら…」


「ダメです、絶対に。」


シリウスはパッと目を開けて、私の手首をつかんだ。


「お願いですから、何も考えないで。

僕が心配なら…


…今は、ただ、ここにいると、約束してください。」


「わかった…」


シリウスはまたスッと目を閉じる。


私は、成長した、彫像のような美しい顔をまじまじと見つめた。


青空には雲が流れ、日差しの中で、風がさやさやと草の上を滑っていく。


その風は、シリウスの銀髪も透き通るように揺らしていく。


(前髪…ちょっと分け目がついてる…)


何をしてもそれが一番であるかのように似合う、

憎らしいほどの美しさに見惚れる。

風で流れる前髪の隙間から、神鼠(しんそ)の刻印が見え隠れする。


規則正しい呼吸…シリウスは眠ってしまったようだ。


私は、シリウスに顔を近づけ、

勇気を出して、自分がつけた口元の大きな傷を見つめた。


…痛々しい。

近くで見ると、本当に痛々しい。

これは、あの夜、私が、

肉を食いちぎり、血を舐め回して、つけた傷だ。


どれほど痛かったろう。

もう痛くはないんだろうか…


私はおそるおそる手を伸ばして、その傷跡にそっと触れた。


「気になりますか?」


シリウスが薄目を開けて、私の指を優しく握った。


「あの…ごめんなさい…こんな…傷をつけて」


「これは名誉の傷跡です。」


「…もう痛くないの…?」


「もう全然…」


とシリウスは言いかけて、ふと思いついたような顔になると、


「ああ、まだ少し痛むかもしれません…」


と、自分の口を押えるような仕草をした。


「リヒトさんが、またここに口をつけてくれたら、治るかも…」


噴火が起きたかと思うほど、顔が熱くなり、

頭はぐらぐら煮え立つのを感じた。


シリウスは、なぜか寂しそうに…虚空を見つめるように目を伏せると、


「冗談ですよ、リヒトさん…」


と言いながら、グッと上体を起こした。


でも、その横顔を見ている私の頭は、まだ茹っているようだ。


私は、シリウスににじり寄ると、彼の肩に手を掛けて、顔を寄せた。


シリウスは、目を大きく見開いて固まっている。


私の眼前に、これ以上ないほどシリウスの顔が広がると、

私は目を閉じて、

その痛々しい口の傷に、そっと私の唇をつけた。


私の唇が少しでも柔らかいならば、

その柔らかい部分で、私自身がつけた彼の痛みを上書きできるように、

唇の柔らかさが集中するように、押し付けた。


彫像のようだ、といつも思うシリウスの口は、

思いのほか柔らかく、マシュマロのようだった。


手と口の震えが伝わってしまいそうになったときに、

私は、ようやく、彼の傷から唇を離した。


「リヒトさん…」


シリウスは、まばたきを忘れたかのように、

熱を帯びたアクアマリンの瞳で、私を見つめる。


「…痛くなくなった…?」


私が尋ねた瞬間、シリウスは野獣のように私を押し倒した。


****

押し倒された私が、はしたなくも悦びに戦慄いた次の瞬間、

シリウスの背中をかすめて、何かが地面に幾つも突き刺さった。


弓矢だ。


シリウスは、私と共に地面に伏したまま、その弓矢を片手で引き抜き、周囲を探っている。


「喋るな。ここにいろ。」


聞き取れるかどうかという低い声で私に言うと、今度は大声を出した。


「何の用だ?」


すると、いかにも人相が悪い5、6人の男が木や岩の陰から出てくる。

リーダー格と見られる男が、


「こんなところで大王様が女と乳繰り合ってるなんざ」


ヒュッ ヒュッ


「ガァッ」

「ゲッ」


リーダー格とその後ろの男の片目に、先ほどの弓矢が刺さっている。


それを見た他の男たちが、ほんの一瞬ひるんだときに、

シリウスは身を低くして一気に走り出し、

狙っていたらしい砂利を両手いっぱいに掴んで、猛然と彼らの顔に投げつける。


「あ゛!!!」


ここで倒れた二人には見向きもせず、残る男たち総出の攻撃を軽々とかわすと、

腰に引っ掛けていた残る弓矢を、的確に彼らの片目に突き刺していく。


最後に、砂利で倒れた男たちが立ち上がろうとしたところを、

シリウスは、強烈な回し蹴りとかかと落としで沈没させた。


…瞬く間の出来事だった。


****************

「おい、君」


シリウスは、回し蹴りで沈没した男の髪を、片手で引き掴んで持ち上げる。


「クロエの殺害に関係しているのか?」


「ハッ…誰がイキッたお坊ちゃんに…」


シリウスは、その片頬にドスッと弓矢を刺した。


「すまない。今は事情があって神通力が使えない。

だから、スマートに質問できないんだ。

悪いが、次は股間だ。」


「クロエ…クロエ様は、俺たちの女王様だ!殺すわけ…あるか!

あんただろう!クロエ様を殺したのは…」


「…笑えるな。君たちと僕、お互いでクロエの敵討ちか?」


シリウスは静かに立ち上がった。


「調査に協力するなら、これ以上罪は問うまい。

傷を癒したら、君たちはもう、君たちのために生きるんだ。

クロエの死は僕が引き取る。

それが大王としての、友人としての、僕の責任だ。」


男たちは完全に戦意喪失した。


*************


この時を見計らっていたようなタイミングで、

遠くから、コルデール衛兵の一隊が、私たちの方向へ駆け向かって来るのが見えた。



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