恐怖はゾクゾクする
「大丈夫ですか?――リヒトさん?」
優しい声が近づいて、ふわりと私を包んだ。
「まあ、真っ青。
――誰か、気付け薬と葡萄酒を持ってきてちょうだい。
あと、暖かい毛布も。」
慌ただしく足音が行きかう。
「可哀そうに。
さあ、これをどうぞ。」
私は、美しいグラスに注がれた液体を口にした。
少し視界が広がる。
目を上げると、
栗色の髪を品よくまとめた貴婦人が、
ロベルト様と話している。
「だから申し上げたでしょう。
あの状態で謁見など……
可哀そうに、息も絶え絶えになって……」
「ステファニー様、私の落ち度です。
事前に鎮静薬を投与したので、油断を…」
ステファニーと呼ばれた貴婦人が、
私を覗き込んだ。
「具合はいかがですか?
――どうしましたか?
苦しいのですか?」
まだ震えは止まらない。
しかし、私は声を振り絞った。
「私が襲った、あの子は……
死んだのですか…?」
「あの子?
――ああ、それは大丈夫ですよ。
傷を負いましたが、命に別状はありません。」
私は、貴婦人に飛びついた。
「生きているんですか!!!」
「ええ。」
貴婦人は私の肩に優しく手を置いた。
「生きていますよ。」
その言葉を耳にした瞬間、
私は、手を揉みしだいて崩れ落ちた。
「ああ、神様、神様……
もう処刑されても構いません!」
ただ、ただ、良かった……
――安堵のあまり涙が溢れる。
今後、私がどのような罪に問われても、
狂った私が襲ってしまった、
あの少年が死なずに済んだ。
――それがどれほどの救いか。
抱き起されてソファに座ったときには、
震えは止まり、私の心は静謐になっていた。
「大丈夫ですか?」
「はい。
あの子に許してもらえるとは思いませんが、
処刑の日まで、
あの子の傷が早く癒えるよう、祈り続けたいと思います。」
貴婦人とロベルト様は、
驚いた表情で顔を見合わせ、何かを言おうとした。
***
――その時、廊下がざわめいたかと思うと、
ノックもなく扉が開いた。
「シリウス様!!」
ロベルト様とステファニー様は、
叫ぶと同時に私を拘束した。
コツ…コツ…
静かな、美しい靴音が、私に近づいてくる。
急激に湧いて出る憎悪と食欲にもがく私……
だが、ロベルト様の鋼鉄のような腕の隙間から、銀色に光る髪が見えるばかり。
ロベルト様が何かを呟くと、私の体に波動が伝わってきた。
おそらく私の動きを制圧する神通力。
私がぐったりすると、ようやくロベルト様とステファニー様は私を解放した。
と、パッと開かれた私の視界に、
まばゆいばかりの銀髪とアクアマリンの瞳の美しい少年。
――私が襲って傷付けた、
あの少年が涼やかに佇んでいた。
「僕は、シリウス・ソイリ。
――貴女が、リヒト・ネコミヤ嬢ですね。」
――シリウス?
――シリウス・ソイリ!?
――このツヴェルフェト王国の…大王!!!!!
少年大王は私を見つめ、澄んだ声で言う。
顔は青ざめているが、表情は石像のように動かない。
私は微かにうなずいた。
「貴女が、僕が生きているかどうかを心配していると聞きました。
僕は、この通り、無事です。」
首元には血がにじんだ包帯が、痛々しく巻かれている。
しかし、私の頭は、ぐらぐらと煮え立っている。
この少年大王を可哀そうなどと思わない。
ただ、憎くて、食いたいのだ。
私は、ロベルト様の神通力で身動きが取れないのに、
目の前の獲物を襲おうとして、必死にもがいた。
ふいに、少年大王はスッと膝をつくと、
もがく私の唇に手を伸ばし、
こびり付いた自分の血に触れた。
が、すぐにビクリと手を離した。
顔が真っ青だ。
「ロベルト、神通力を緩めるな」
少年大王は短く命じると、
もう一度、私の唇に手を伸ばした。
そして、唇にこびり付いた血を、
指でゆっくりこすり始める。
震えているが、少年大王の指は優しい。
「これが、恐怖……?」
少年大王は、
鼻の頭がつくほど私に顔を近づけると、
首を傾げてささやいた。
「――ゾクゾクするんですね。」
憎悪と食欲が溢れ出す。
――顔から火が噴き出るようだ!
「気安く触るな!……シリウス!!!」
ようやく声を絞り出した私は、
顔を火照らせてシリウスを睨みつけた。
***
「シリウス様、ここは一度お戻りを。」
ステファニー様に言われたシリウスは、
アクアマリンの瞳を私に注いだまま、無表情で手を引き、立ち上がった。
マントを翻して扉まで行った。
――が、振り返ると、急に私の方に戻ってきた。
「シリウス様!!」
駆け寄るロベルト様を片手を挙げて制する。
私はまた激しい憎悪に駆られてもがく。
「僕は――」
少年大王は、眉一つ動かさずに私を見る。
全身を血が駆け巡る。
食べたい!噛みちぎりたい!コイツを――――
「感情を、取り戻さなければならない。
――大王として――」
私は暴れながら少年を見上げた。
その顔は土気色で、アクアマリンの瞳ばかり光っている。
「お戻りください!シリウス様!」
私を押さえながらステファニー様が叫ぶ。
「――ぼ、僕が……受け身では……駄目なんだ……」
シリウスは、激しく口元を震わせながら私に手を伸ばす。
「もっと恐怖を……」
震える手が目の前に迫る。
私は嚙み千切ろうと牙を向く。
氷のような指が私の唇に触れ、アクアマリンの瞳が見開かれた、
次の瞬間、
フッと瞳の輝きが消え、私に向かって倒れかかる。
――ロベルト様は、シリウスを抱き抱えると静かに部屋を出て行った。




