少年王に感情はない
「お掛けください。」
気を取り直したように、ステファニー様は優しく言った。
「貴女にお願いがあって、ここにお呼びしたのです。」
ステファニー様は私に向き直った。
「…この国の大王、神鼠シリウス様の感情を再生する計画に、
協力していただけませんか?」
「計画……?」
ステファニー様はゆっくりと話し始めた。
「八年前の誘拐戦争はご存じでしょう?」
「はい。シリウス…様が二年間、隣のクラウンに誘拐された……」
「そうです。
――――あれから、シリウス様は感情を失っています。」
私は息を飲んだ。
同時に、石像のようなシリウスの顔が瞼に浮かんでくる。
「どうして感情を……?」
「表向きには、シリウス様は単に幽閉されていたことになっています。」
いつの間にか戻って来ていたロベルト様が静かに話す。
「しかし、実際は虐待を受けていたのです。
二年間ずっと……
そのせいで感情を失ってしまったのです。」
胸にズシリと鉛の玉が落ちる。
「猫族が神鼠に恐怖を与える属性を持っていることを
――知っていますか?」
「はい、知識としては……」
私は曖昧な記憶を辿りながら答えた。
が、次のロベルト様の発言で頭が真っ白になった。
「リヒトさんは……ご自分が猫族だとご存じですか?」
私はしばらく言葉も出なかった。
「――猫族は……二百年前の【猫狩り】で絶滅したのでは……」
「貴女は生き残りの血を引いています。」
急にステファニー様が鏡を手渡す。
「うなじに【١٣】が見えますね?
――これは猫族の継承者の刻印です。」
鏡に映る刻印を見て、私は言葉を失った。
いつからこんなものが……
ロベルト様が私を真っすぐ見つめる。
「猫族の貴女なら、シリウス様に【恐怖】を与えることができる。
恐怖をきっかけに、
シリウス様の感情を再生する――
それが、この計画なのです。」
私が猫族……
神鼠が治めるディモイゼに来てから不調続きだったのは、
私が猫族だったから……
しかし、まさか私が、人を食べようとするなんて……
――どんなに信じたくなくとも、
口元に残る血の味と、少年の氷のような指先の感触が、
残酷な現実を告げていた。
「先ほどの再生計画ですが…」
私は顔を上げた。
「自分を制御できるとは到底思えません。
――大王が死んだらどうするのですか?」
「貴女が、シリウス様を死なせる結果になったとしても、
貴女に罪を問うことはありません。」
「死なせたくない!!!」
思わず叫ぶ私を、ロベルト様のカラスの濡れ羽のような瞳が見つめる。
「シリウス様が感情を取り戻し、神通力を安定させなければ、
この国は崩壊します。
……今回のあなたへの依頼は、十二支会議の決定です。
そして、シリウス様は、大王の重責を負う聡明な方。
この計画が重大な意味を持つことを、よくご存じです。」
私は、謁見の間に浮かぶシリウスの暗い影……
恐怖に耐えて唇に触れた震える手を思い出した。
――胸が掻きむしられるように苦しい。
「私が、この話を承諾したら……」
「承諾していただければ十分にお礼をします。それに……」
「私が承諾したら!!!」
私はロベルト様を遮った。
そんな話はしていない。
「シリウスは……大王は、
――少しでも幸せになるんですか?」
「幸せ…?」
ロベルト様とステファニー様は一瞬顔を見合わせる。
「正直に申し上げると、分かりません……
この計画は国の安寧を図るためのものですから。
シリウス様も国の安寧を望んでいます。
その意味で、成功すればシリウス様は幸せになるかもしれませんが、
反対に苦しむ可能性も否定できない。」
ステファニー様が静かに後を続ける。
「国が乱れた場合に苦しむのは国民。
……私たち十二支は、シリウス様が幸せになるかどうかを考慮に入れることはできないのです。」
二人の声を聞きながら、私は固く目を閉じた。
――首を傾げて私を見つめる澄んだ瞳
――優しくて冷たい指
私は拳を握りしめ、
泣き出すのを必死に堪えて言った。
「再生計画が終わるまで、
私に、あの子を殺させないでください。」
「猫族」の「野性」が蘇らないよう、
私は、必死に「自分の」「理性」にしがみ付いた。
「理屈は分かったつもりです。
でも、私は、あの子には死んでほしくない。
あの子の命が危なくなったら、
私の首を刎ねてでも、
あの子を助けてください。」
私は、真っ直ぐ前を向いた。
「――それを、約束してください。」
お二人は小さくため息をついた。
「分かりました。お約束しましょう。」
「では、承諾いたします。」
ロベルト様とステファニー様は立ち上がり、
私に深く礼をした。




