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Jardin miniature 神々の箱庭で、少年少女は軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第4章 学園の影で闇は嗤う
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理論と現実

放課後の生徒会室。

その一角に設けられた自習スペースには、穏やかな静寂が落ちていた。

聞こえるのは、紙を繰る微かな音と、ペンが走る擦過音だけ。

そこに、ライルとジャミーラ、二人の姿があった。


ジャミーラの机の上には、分厚い『対魔学』の教本と、講義内容をびっしりと書き留めたノートが広げられている。ページの端には、彼女が何度も読み返したことを示すような、細かな折れ目や手擦れの跡が残っていた。


「シャマル様は、対魔学を選択されたのですね」


ふと、自らの書類仕事から顔を上げたライルが、ジャミーラの手元の教本に視線を落としながら穏やかな声で尋ねた。


「ええ。聖騎士団の見習いとして必要な学問だと、ルイーズ様に勧められまして」


ジャミーラはペンを置き、姿勢を正して微笑む。


「お聞きしていた通り、とても勉強になりますわ」


「確かに。我々が悪魔を相手にする以上、避けて通れない分野ですから」


ライルは小さく頷き、目を細めた。


「イルハン様も、対魔学を学ばれたのですか?」


「はい。四年時に履修しました。殿下やアルテリスも同じです」


そう付け加えてから、優しく言葉を続ける。


「教本だけでは理解しがたい部分もあるでしょう。分からないことがあれば、遠慮なく仰ってください」


「ありがとうございます」


ジャミーラは丁寧に一礼した。

そして、少し言葉を探すように、視線を再びノートへと落とす。そこには、今日の講義で学んだばかりの、おぞましい“段階”についての記述があった。


「では……ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「もちろんです」


「本日の授業で、悪魔化の段階について学びました」


ジャミーラは、ノートに記されたインクの文字を指でなぞりながら言う。


「干渉期、侵食期、そして完全憑依期。

完全憑依体というのは——悪魔がただ取り憑いているだけではなく、宿主の魂そのものが悪魔と完全に一体化してしまった状態。

神聖術による浄化は効かないか、効いたとしても宿主の存在そのものまで消え去ってしまう」


一度、小さく息を整える。


「ゆえに、“戻すことはできない”——と」


淀みのない復唱だった。


(魂が、一体化——)


ライルは無意識のうちに、その言葉を脳内でなぞっていた。

理屈としては筋が通っている。だが、その言葉には実感が伴わない。まるで、人の預かり知らぬ高みからすべてを見下ろしている誰かが、無理やり定義付けたかのような——そんな、薄寒い違和感が胸の奥にじわりと広がっていく。

ライルはあえて訂正を挟まず、彼女の次の言葉を待った。


「では——」


ジャミーラが顔を上げる。その瞳には、純粋な学究心とは違う、切実な疑問が浮かんでいた。


「完全憑依体かどうかは……現場では、どのように判断されるのですか?」


ライルは、すぐには答えなかった。

窓の外から聞こえていた生徒たちの喧騒が、急に遠ざかったように感じられた。


「……完全憑依体かどうかを事前に見極める手段は、我々にはありません」


静かに紡がれたライルの声は、先ほどの穏やかなものから一変し、張り詰めた冷気を帯びていた。


「我々が討伐に移行するのは、完全憑依体だからではありません。現場で“救出不能”と判断されたからなんです」


「救出不能……」


「神聖術による浄化が間に合わず、あるいは効かず、宿主を取り戻せる見込みがない場合。

浄化を強行すれば、救えないまま無用な苦痛を与え続けることになる。かといって悪魔を放置すれば、周囲の無関係な命が危険に晒される——」


ライルは、机の上で組んだ手に少しだけ力を込めた。


「討伐以外の手段は存在しない。そう判断された場合、我々は討伐へ移行します」


感情を排した、淡々とした説明。

だが、その一言の裏にある生々しい質量に、ジャミーラは思わず息を呑んだ。


「では……」


声が、わずかに揺れる。彼女の聡明さは、残酷な真実へと辿り着く。


「討伐した相手が、本当は……まだ戻れた段階だったということも……」


言葉が、そこで途切れた。

ライルは目を伏せたまま、残酷な事実を肯定した。


「浄化を試みるための“時間”が、周囲の命を奪う場合もあります。

目の前で暴走が始まっている。被害が刻一刻と拡大している。そしてその場に、自分が守るべき命がある——」


ライルが顔を上げ、まっすぐにジャミーラを見た。

その瞳の奥には、彼自身が過去に見てきたであろう、凄惨な景色の残滓が揺らめいていた。


「そうなれば、どちらかを切り捨てなければならない。それが、我々が現状で取り得る唯一の手順です」


「それでも……」


ジャミーラは、震えそうになる声を必死に絞り出す。


「救出不能だと“判断して”討伐した相手が、もし、そうではなかった場合……その判断を下した騎士は——」


「その重さを、一生背負います」


ライルは、ジャミーラから決して目を逸らさなかった。

剣を握る者が、絶対に逃げてはならない真実だった。


「正しかったかどうかなんて、誰にも分かりません。

分かるのは、自分がその命を絶つことを“選んだ”という事実だけです」


「……」


「救出不能だと判断して討つのは——正解だからではありません」


少し、声が低くなる。

それは祈りのようでもあり、自戒のようでもあった。


「それ以上、犠牲を出さないためです」


深い沈黙が落ちた。

ジャミーラは深く息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出した。


その場で戻すことが叶わないのなら討伐するしかない。

文字列としてなら、簡単に理解できる。

——だが。

その“判断”を下す瞬間の重さを、剣を振り下ろす手の震えを、自分は想像していただろうか。

人の命を、自分の裁量で区切らなければならないという絶望を。


「……対魔学は」


静かに、ジャミーラが呟く。

その声はもう揺れてはいなかった。


「単に、悪魔の生態を知るための学問ではないのですね」


机上の美しく整った理論と、血と泥と後悔に塗れた現実。

その境界線は、想像していたよりもずっと近くに引かれていた。

そしてその線を、いつか自分も越える日が来るのだと——。

夕陽に染まる教本を見つめながら、ジャミーラははっきりと自覚していた。

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