孤立
授業は、入学式典の翌日から始まった。
文学や算術といった必修科目に加え、精霊術、神聖術、馬術などの選択科目も用意されている。
生徒ごとに履修内容が異なるため、時間割も使用する教室も、実に様々だ。
しかし——
三日も経てば、新入生たちはそれぞれ小さな集団を作り、自然と共に行動するようになっていた。
(退屈ね……)
放課後。
ジャミーラは教室の窓際で頬杖をつき、ぼんやりと外を眺めて小さなため息を漏らした。
(まさか、ここまで忌み嫌われているなんて思わなかったわ)
入学してから今日に至るまで、同級生が彼女に声を掛けたことは一度もない。
勇気を出してこちらから話しかけようとしても、露骨に一歩距離を取られるか、嫌悪を隠さない視線を向けられるだけ。
故郷を離れ、この国にやってきたジャミーラにとって、“悪魔の民族”と呼ばれるランデュート王国に向けられた偏見の刃は、想像を遥かに超えて重く、鋭かった。
教室のあちこちからは、小さな集団ごとの楽しげな笑い声が弾んでいる。その賑やかさの中で、ジャミーラだけが透明な壁に阻まれたように、ぽつりと取り残されていた。
「ご覧なさいよ。シャマル様、今日もおひとりだわ」
「仕方ないわよ。あの暗闇のような黒髪に、血みたいな赤い瞳……気味が悪いもの」
「呪われたりしたら、たまらないわ」
「しっ、聞こえるわよ」
わざとらしく声を潜めたひそひそ話は、耳を塞ぎたくなるほど鮮明に届く。
ジャミーラは傷つく心を必死に隠し、聞こえないふりをして静かに鞄へ教科書をしまった。ここで涙を見せることだけは、彼女のプライドが許さない。
「……今日も、図書館に行こうかしら」
少しでもこの重苦しい空気から逃れたくて、ジャミーラは小さく呟くと、逃げるように席を立った。
⚜️⚜️⚜️
図書館に足を踏み入れると、ふわりと紙とインクの匂いが鼻をくすぐり、ジャミーラのこわばっていた心が少しだけ解き放たれた。
司書に軽く会釈し、静まり返った空間へと進む。背丈より高い本棚が規則正しく立ち並ぶ厳かな空間で、空いている席を探しながら歩いていると——
(あら……?)
ジャミーラの目に、雲のようにふわふわとした金色の髪が飛び込んできた。図書館の薄暗い隅にいるというのに、不思議とそこだけ光が宿っているかのように目を引く後ろ姿。
見覚えがあった。この学園で唯一、自分を偏見の目で見ずに接してくれた少年だ。
ジャミーラは胸を躍らせ、足早に近づく。人違いでないことを確かめてから、そっと声を掛けた。
「アルテリスさん」
優しく呼びかけると、少年が静かに本から顔を上げた。あの時と同じ、吸い込まれそうな琥珀色の瞳が、穏やかにジャミーラを映し出す。
「シャマル様」
「ごきげんよう。ここ、座ってもよろしいかしら?どこも満席で……」
本当は空席もあったけれど、少しだけ嘘をついて、ジャミーラは困ったように微笑んでみせた。また彼と話してみたい、というささやかな願いからの、小さな我が儘だった。
「どうぞ」
アルテリスが静かに頷く。
ジャミーラは嬉しさを噛み締めながら向かいの席に腰を下ろし、ふと彼の手元にある教科書へと視線を落とした。そこに書かれた文字が目に入った瞬間——
「えっ——!」
思わず素っ頓狂な声が上がり、図書館中の視線が一斉に集まった。ジャミーラは顔を真っ赤にし、慌てて口元を押さえて姿勢を正す。
「……どうかなさいましたか?」
不思議そうに小首を傾げるアルテリスに、ジャミーラは机に身を乗り出し、消え入りそうな小声で尋ねた。
「アルテリスさん、あなた……上級生……なの?」
彼が開いていたのは、明らかに新入生のものではない、高度な学術が記された上級生用の教科書だった。
「はい」
悪びれもせず、当然のように返されて、ジャミーラは頭が真っ白になる。
自分より小柄で、どこか儚げで可愛らしい顔立ちだったから、てっきり同級生だとばかり思い込んでいたのだ。
(わ、わたくし、上級生に向かってなんて口の利き方を……!)
今までの自分の無礼な態度を思い返し、ジャミーラは青ざめて、勢いよく頭を下げた。
「申し訳ございません!上級生とは知らず、大変な無礼をいたしましたわ!」
「シャマル様……どうか、顔をお上げください」
ジャミーラの慌てぶりに驚いたのか、アルテリスはぱちくりと瞬きをくり返した。そして、ふわりと微笑む。
その笑顔は、思わずジャミーラの胸が跳ね上がるほど、優しく、綺麗だった。けれど同時に、どこか絵画のように整いすぎていて、一瞬だけ現実味のない冷たさを感じさせる不思議な微笑みでもあった。
「先程のように、接していただけますか」
「ですが……」
「礼を尽くさねばならないのは、私の方です」
アルテリスのどこか頑なな態度に、ジャミーラはわずかに眉を寄せた。
「……それは、身分の違いからでしょうか?」
恐る恐る、尋ねる。
もし彼が、自分が上位貴族だから一線を引いているのだとしたら、違うと言いたかった。ここでは皆、同じ学生。重んじられるべきは身分ではなく、学年のはずだ。孤独な自分に対等に接してくれた彼と、そんな壁を作りたくはなかった。
だが、アルテリスはただ困ったように微笑むだけだった。
「はい。しかし、それだけではございません。
今は申し上げられませんが……いずれお分かりになります」
「そう……ですの。なら、一先ずは従いますわ」
釈然としない思いが胸に残り、ジャミーラは小さく唇を尖らせたが、それ以上は追及しなかった。深く踏み込んで、彼に嫌われたくはなかったから。
——アルテリスの言葉が持つ本当の意味。
ジャミーラがそれを身をもって知ることになるのは、それから数日後、新入生歓迎パーティーの場においてだった。




