少年の探し人
空が赤らみ、影が長く伸びていく時刻。
聖エリュシア学園。
少年は一本の木に身を預け、遠くそびえる大聖堂をじっと見つめていた。
やがて重厚な鐘の音が響き、ゆっくりと扉が開く。
(定刻通りですね)
大聖堂からは、招待客や生徒たちが続々と姿を現した。着飾った貴婦人や紳士。色とりどりの髪をした少年少女たち。新たな門出を迎えた彼らの表情は、期待に輝いている。これから始まる学園生活に胸を躍らせるように、誰もが自信に満ちた足取りで歩いていた。
少年はそんな新入生たちの姿を、瞬きすら惜しむように一人ひとり確かめていく。
その手には、一枚の肖像画が固く握られていた。端が擦り切れるほど何度も見つめたその紙には、艶やかな漆黒の髪、宝石のような赤い瞳、褐色の肌を持つ少女が描かれている。
少年は、この息を呑むほど美しい少女を、必ず見つけ出さなければならなかった。
(前列に、お座りだったのでしょうか……)
どれだけ目を凝らしても、肖像画と同じ色彩は見当たらない。焦りが胸の奥を焼く。この人混みの中から一人を探し出すのは、あまりにも骨の折れる作業だった。
その時、視界の端に見覚えのある影が映り込んだ。
下卑た笑みを浮かべた男が、取り巻きを引き連れてこちらへ向かってくる。
(……なんて間の悪い)
人探しどころではなくなった。これから起こるであろう理不尽を察し、少年は深く、重い溜息を飲み込んだ。
⚜️⚜️⚜️
薄暗い体育館へと連れ込まれても、少年はただじっと立ち尽くしていた。
「ハムザ様ぁ、準備はよろしいですかぁ?」
嘲るような甲高い声が響く。わざとらしく確認を取る自称“審判”の周囲からは、少年へ向けて侮蔑の視線が突き刺さる。
けれど少年は何も言い返さず、静かに佇んでいた。
少年の視線の先で、茶髪の男子生徒——ハムザ・ハウゼンが、入念に身体を解している。やがてハムザが顎をしゃくり、準備完了の合図を出した。審判が高く手を上げる。
「——それでは、訓練開始!!」
その瞬間、ハムザが容赦なく拳を振りかぶった。
軌道は見えていた。けれど、少年は避けなかった。急所だけを庇うように身を固め、それ以上の抵抗はしない。下手に抗えば彼らの自尊心を刺激し、かえって事態が長引くことを知っているからだ。今は一秒でも早く、この不毛な時間を終わらせなければならない。
「はあぁぁぁっっっ!」
鈍い衝撃とともに拳が腹にめり込み、少年の身体がくの字に折れ曲がった。
「っ……!」
視界が一瞬、真っ白に明滅する。
胃がせり上がるような痛みが走り、咳き込むたびに喉の奥から乾いた音が漏れた。
「ハムザ様流石ですぅ!」
「まだまだ、ここからだ」
息をつく暇もなく、激しい蹴りと重い殴打が次々に降り注ぐ。制服の生地が擦れ、肌に鈍い熱が広がっていく。何度目かの衝撃の後、少年はついに、冷たい床へと叩きつけられた。
「ハハハ、見ろよ。下民にはお似合いだろ?」
地に這いつくばる姿を見下ろし、取り巻きたちが一斉に手を叩いて嘲笑う。
「悔しかったらやり返してみな、おチビちゃん」
ぐい、と前髪を乱暴に掴まれ、無理やり顔を上げさせられた。首の筋が引きつる。
しかし、少年の瞳には悔しさも憎悪も宿っていなかった。腹部を蹴り上げられた鈍痛も、口の中に広がる鉄の味も、彼にとっては日常の延長でしかない。無駄な感情を波立たせても体力を消耗するだけだ。心を麻痺させ、息を潜めてやり過ごす。それが彼の生きる術だった。
だからこそ、彼の思考はすでにこの下らない現実から離れ、別の場所へ飛んでいたのだ。
(早く行かなければ)
(まだ、あの方を見つけられていないのに)
あとどれほど耐えれば、彼らの興は尽きるのだろう。
口の中に広がる血の味を飲み込みながら、ただひたすらに嵐が過ぎ去るのを待っていた、その時——
「——おやめなさい」
凛とした、よく通る声が響き渡った。
そのたった一声が、少年の未来を一変させる始まりであったことを、まだ誰も知らなかった。




