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Jardin miniature 神々の箱庭で、少年少女は軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第4章 学園の影で闇は嗤う
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気配なき来訪者

大聖堂の外周を取り囲むように、聖騎士団の灯りが点々と揺れていた。


夜風が吹き抜けるたび、燭台の炎は不安定に歪み、古びた石壁へ長く伸びた影が、まるで生き物のように蠢く。

湿った空気には、焼けたマナの残滓と、張り詰めた緊張の匂いが混じっていた。


誰一人として、前へ踏み出せない。


大聖堂を覆う闇の結界は、ただ“壁”として存在しているわけではなかった。

境界へ近づくほど空間そのものが微かに軋み、景色が水面のように揺らぐ。

石畳へ伸ばした足先が、一瞬どこへ沈み込んだのか分からなくなるほど、空間感覚が狂わされていた。

不快で粘ついた冷気が、じわりと肌を這う。

息を吸うたび胸の奥へ黒い泥が流れ込むような感覚に、若い聖騎士たちの表情が強張る。


神聖術師が結界へ光を走らせる。

だが、放たれた術式は境界へ触れた瞬間、音もなく沈み込んだ。

まるで深い沼へ石を投げ込んだかのように、光は波紋一つ残さず呑み込まれていく。


続けて精霊術が放たれる。

風刃も炎も雷も、結界へ届いた瞬間に輪郭を失い、静かに掻き消えた。


誰かが息を呑む音だけが、重苦しい静寂に響いた。


「……入れないな」


低く落ちた呟き。


剣を抜く者はいなかった。

いや、抜こうという発想そのものが消えていた。

ここでは刃に意味がない。

誰もが、それを理屈ではなく直感で理解していた。


——内部で、何が起きているのか。


外へ漏れ出てくるのは、断続的な“歪んだ気配”だけ。

脈打つように濃淡を変えながら、大聖堂の奥底で何かが蠢いている。

それが、生きている者のものなのか。

あるいは、もう別の何かなのか。

誰にも判別できなかった。


⚜️⚜️⚜️


黄金の光の中、彼は静かに佇んでいた。

アルテリス。

揺らめく光の粒子を身に纏うその姿は、澱みきったこの大聖堂にはあまりにも似つかわしくない、純然たる聖性そのものだった。


ディーターは、自身の目を疑うようにわずかに眉を動かした。

大聖堂は今、彼が張り巡らせた強固な結界によって完全に外界から隔絶されている。物理的な侵入はもちろん、空間転移やマナの干渉すらも一切を弾き返す絶対の防壁。外を包囲しているはずの聖騎士団ですら、手出しができないほどの代物だ。

通常ならば、侵入など不可能。

それなのに、彼は“そこにいた”。


さらにディーターを驚愕させたのは、彼から“気配”というものが全く感じられないことだった。

これほどの光を放ちながら、息遣いも、足音も、空間を歪めるマナの波動すらも一切ない。まるで最初からそこにある大気の一部であるかのように、自然に、ただ存在している。


「……驚きました」


ディーターは感嘆の吐息を漏らした。

その瞳からは先ほどまでの冷酷な嗜虐心は消え失せ、代わりに純粋な知的好奇心が輝いている。


「これ程までに洗練された神聖術を見るのは、私も初めてです。結界を破るのではなく、空間の綻びと同化してすり抜けたとでも言うのでしょうか……」


顎に手を当て、探るような視線を向けながら、ディーターは興味深そうに尋ねた。


「あなた、一体どこから入ってきたんですか?」


純粋な問い。

だが、アルテリスはその言葉に答えない。

いや、ディーターを一瞥することすらしていなかった。彼の視線は、ただ真っ直ぐに、満身創痍で石床に膝をつくムスタファのみに向けられていた。

静かな足どりで、アルテリスはディーターの存在など意に介さないまま、ムスタファのそばへと歩み寄る。


「……アル……お前、なぜ……」


限界を超えた肉体で辛うじて顔を上げたムスタファの前に、アルテリスはふわりと膝をついた。

自らを焼き焦がした痛ましい傷跡。ひび割れ、炭化しかけた腕。


「お側へ参じるのが遅くなり、申し訳ございません」


アルテリスの細く白い指先が、その痛々しい頬へそっと触れる。


「《傷に伏せし いのちよ

その痛み あるべきものにあらず

光は そなたを満たし

欠けしものを ここに還さん》」


アルテリスの掌から溢れ出した温かな光が、ムスタファの全身を真綿のように優しく包み込む。

それは、ムスタファが先ほどまで自らに強いていた焼き切るような暴力的なマナとは対極にある、限りなく優しく、圧倒的な癒しの力だった。

光が浸透するたび、焼け爛れた皮膚が、悲鳴を上げていた筋肉が、急速に生気を取り戻していく。

ただ肉体を修復しているだけではない。ディーターの闇によって深く傷つけられ、摩耗しきっていた精神の疲労までもが、清らかな泉に濯がれるように溶けていくのがわかった。

痛みが引いていく。

代わりに満ちてくるのは、抗いがたいほどの温もりと、再び戦いへ立ち上がるための確かな力強さだった。


「……っ」


深呼吸をし、自らの両手を見つめるムスタファ。完全に失われていた力が、再び全身を脈打っている。


しかし、ムスタファの胸中を占めたのは、回復の歓喜よりも深い安堵と、それに勝る強い懸念だった。

彼は傍らにしゃがみ込むアルテリスの横顔を、そっと盗み見る。

大聖堂の闇を退けるほどの眩い光を放ちながらも、その肌は痛ましいほどに青白い。

この絶望的な状況で助けに来てくれたことは、これ以上なく心強い。だが、できればアルテリスに力を使わせたくはなかった。精霊術より多くのマナを消費する神聖術なら尚更だ。アルテリスが力を行使することが、その身体にどれほどの負担を強いるか——その残酷な事実を知っているのは、ムスタファだけなのだから。


(無理は、するな)


喉まで出かかったその言葉を、ムスタファは奥歯を噛み締めて飲み込んだ。

絶体絶命の死地。身を削ってまで助けに来てくれたアルテリスの覚悟を前に、そんな無責任な言葉を吐けるはずもない。

千切れるほどの気遣いと、重すぎるほどの感謝。

すべてを胸の奥に押し隠し、代わりに口をついて出たのは、たった一言だった。


「すまない」


短く不器用なその言葉に込められた万感の思いを、アルテリスは静かに受け止め、ただ儚く、美しい笑みを返した。


「無視、ですか。……随分と冷たい方だ」


背後で、自分へ一切関心が向けられていないことを悟りながら、ディーターは薄く笑った。だが、その声には明らかな警戒の色が混じり始めている。

絶対の死地と思われた大聖堂の空気が、ひとりの少年の介入によって、今、決定的に塗り替えられようとしていた。

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