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Jardin miniature 神々の箱庭で、少年少女は軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第4章 学園の影で闇は嗤う
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王子と影

背を向けたまま静かに佇む金髪の少年、アルテリス。そして、死の淵から劇的な生還を遂げたランデュートの王子、ムスタファ。

二人を凝視するディーターの細めた瞳の奥では、冷ややかな警鐘が乱打されていた。


(この幼さで、聖級の術を扱うとは)


初級、中級、上級、そして聖級、神級。

上級までの神聖術師が“詠唱”という言霊によって術を行使するのに対し、そのさらに上の領域——聖級に至った者は、言霊に祈りや願いといった強い感情を重ね、“旋律”として響かせることで奇跡を顕現させる。


(しかもこの少年、並の聖級神聖術師ではありませんねぇ)


ディーターは表面上、優雅な笑みを顔に貼り付けたまま、内心ではじっとりと冷や汗を流していた。

あの治癒術は異常だ。瀕死だったはずの肉体を瞬く間に修復し、限界まで張り詰めていた精神の消耗すらも、波一つ立てずに拭い去ってみせた。

結界を通り抜けた手腕もそうだ。力任せに破壊したのではない。周囲を固めていた聖騎士団はおろか、術を張った当人にすら気づかれぬよう術式に干渉し、幻のようにすり抜けたのだ。


底が見えない。己の知る『聖級神聖術師』の枠組みを完全に逸脱した、異質の存在。

数多の死地をくぐり抜けてきた悪魔の本能が、ディーターにひっきりなしに警告を送っていた。


——こいつは、不味い。まともに正面からやり合えば、確実に“消される”、と。


だが、ディーターの唇はゆっくりと弧を描き、あくまで余裕めいた笑みの形を作った。

恐怖や焦りを表に出せば、それが致命的な隙となる。生き残るためには、相手の間合いに飲まれてはならない。相手が“聖なる者”であるならば、その尊き美徳こそが最大の弱点となるはずだ。


「いやはや、素晴らしい」


ディーターは芝居かかった仕草で、大げさに拍手をしながら、一歩前へ出た。

その足取りには微塵の焦りも感じさせない。あくまで舞台を支配する役者のように、余裕に満ち溢れた態度を崩さなかった。


「まさかこのような場所で、これほどお若く卓越した術師様にお会いできるとは。感無量です」


肩をすくめておどけてみせる悪魔に、ムスタファが鋭い眼光を向ける。

だが、アルテリスはゆっくりと立ち上がり、ただ静かな、深海のように底知れない琥珀の瞳で初めてディーターを見据えた。

一切の感情を読み取らせないその冷たい視線に、ディーターは再び内なる警戒を跳ね上げる。


(問答無用で消し飛ばされる前に、盤面に“縛り”を設けなければ)


「さて、神聖なる御使い様。あなた方、聖職者の皆様は、常に“正しさ”を重んじるはずですよね?」


ディーターはわざとらしく胸に手を当てた。


「そこで、命がけの戦いの最中ではありますが……一つ、あなたに“講義”と称して、問いを差し上げましょう」


「何を企んでいる」


ムスタファが低く唸るが、ディーターは気にした風もなく薄く笑う。


「単純な謎掛けですよ。あなた方の“正義”が、どこまで通用するかを試すためのね」


ディーターは自らの胸——乗っ取っている人間の肉体——を軽く叩いた。


「ご存知の通り、私はこの哀れな人間の青年に取り憑いた悪魔です。そして今の私は、宿主の魂を喰らい尽くし、肉体を完全に支配した“完全憑依体”であると断言しましょう。

——さて、ここで問題です。このように“完全憑依体”に相対した時、禁忌とされる行いは何でしょうか?」


その問いの意味を理解した瞬間、ムスタファの顔が険しくなった。ディーターは満足げに頷く。


「おや、王子殿下はお分かりいただけたようですね。正解は“神聖術による浄化”です。

二度と戻ることのない肉体を、そうと知った上で浄化の光で焼くのは、物言わぬ骸を無用に苦しめ、冒涜する行為。この場合は、私ごと肉体を滅ぼす“討伐”こそが、慈悲にして正解となります」


本来、目の前の悪魔が完全憑依体であるか否かなど、常人に見抜くことはできない。

悪魔化した人間と相対した場合、救済のための“浄化”が第一の選択となる。それが間に合わず、あるいは宿主を取り戻せる見込みがない場合に限り、即座に“討伐”へ移行するのが鉄則である。

しかし、見極めを誤り、まだ救えるはずの人間を殺めれば、それはただの人殺しへと成り下がる。その重圧と板挟みこそが人の心に迷いを生み、致命的な隙を作るのだ。


だが、ディーターは敢えて自ら、完全憑依体であることを明かした。

狙いはただ一つ。アルテリスに神聖術を使わせないこと。

聖職者の正義感に訴えかける体裁をとってはいるが、本音はただの恐怖だった。アルテリスのあの異常な完成度を誇る術で浄化されれば、抵抗の暇すらなく、跡形もなく消し飛ばされると直感したからだ。

アルテリスの神聖術さえ封じ込めれば、残る敵はムスタファ一人。精霊の使い手である人間だけであれば、恐れるに足らない。


「さあ、慈悲深き御使い様。魂なきこの体を、無意味に焼き焦がしますか?それとも——」


ディーターの挑発に対し、アルテリスは静かに瞳を閉じた。

光を孕んだ金色の睫毛が伏せられ、再び見開かれた琥珀の瞳は、ひたすらに凪いでいる。


(……下劣な)


アルテリスはディーターの稚拙な策を見透かし、心底軽蔑した。

自分は聖職者ではない。人の説く倫理や正義を、無条件に尊ぶほどおめでたい人間でもない。ムスタファの命より、すでに失われた宿主への配慮を優先することなどあり得なかった。


だが、アルテリスには別の目的があった。

——この場を収めたのは、あくまでムスタファでなければならない。

周囲の目にそう映るだけの実績が必要だった。ここで自分が悪魔を討ち払ってしまっては、都合が悪いのだ。

アルテリスは答える代わりに、無言でムスタファの後ろへ一歩下がった。


「賢明なご判断です」


ディーターは内心で会心の笑みを漏らした。最大の脅威を無力化することに成功したのだ。


『殿下、恐れながら、殿下が成されたこととさせていただいても?』


頭の中に直接響くアルテリスの思念に、ムスタファは力強く応じた。


『ああ。俺が討つ。援護を頼む』


『御意にございます』


アルテリスは深々と頭を下げた。


「《火の精霊よ、我が刃に宿り、闇を裂く業火となれ》」


ムスタファが静かに詠唱を紡ぐと、引き抜かれた漆黒の剣に、赤黒く渦巻く灼熱の炎が纏わりついた。大聖堂の冷たい空気が、一瞬にして焦げる。

炎の剣を上段に構え、ムスタファは石畳を蹴った。一直線にディーターとの距離を詰め、その心臓を両断すべく業火の刃を振り下ろす。

だが、ディーターの口元には、まだ余裕の笑みが貼り付いていた。


「愚直ですね」


ディーターが指先を振るうと、炎の剣が通過するはずの空間が、陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。空間を捻じ曲げる闇の術。直撃するはずだった必殺の一撃は不自然に横へと滑り、ディーターの頬を掠めることすらなく、背後の石柱を深々と抉り飛ばした。


ムスタファは体勢を崩さない。刃を即座に返し、横薙ぎ、下段からの斬り上げ、そして鋭い刺突と、息もつかせぬ怒涛の連撃を繰り出した。

厳しい鍛錬によって磨き抜かれた彼の剣術は、間違いなく一流だった。一切の無駄がなく、流れるような剣閃が次々と悪魔の急所へと迫る。


「その程度の力押しが、私に通じるとでも?」


しかし、ディーターは歩法すら変えず、ただ指揮者のように指先を振るうだけだった。

その度に空間が歪み、距離の概念が狂う。必中と思われたムスタファの刃は、まるで蜃気楼を斬るように空を切った。ある時は刃が触れる直前で軌道が逸れ、ある時は刃そのものが別の空間へと誘導され、虚しく周囲の床や柱を燃やして黒焦げにするのみ。


(くそッ、当たらない……!)


ムスタファは奥歯を強く噛み締めた。

剣術では圧倒している。しかし、どれほど剣技が優れていようと、どれほど強力な炎を纏って威力を増そうとも、当たらなければ全くの無意味だ。

純粋な力では負けていなくとも、長き時を生きる悪魔の経験からくる空間操作の術が、ムスタファの卓越した剣技を完全に上回っていた。


己のマナを自在に操れなくなった種族——人族。

そして言霊を必要とし、精霊から力を借りることでしか発動できない精霊術。

“理”という名の強固な制約をかけられている以上、己の魔力を息をするように操る悪魔の理不尽に抗おうなど、本来は不可能なのだ。


(恨むなら、その力を奪った神々を恨むことです)


ディーターの眼底に昏い光が宿る。


「今度は私から行きましょうか」


精神を侵食する闇の術だ。音もなく、不可視の猛毒のような魔力がムスタファの脳髄を直接狂わせようと迫った。抵抗する間すら与えず、恐怖と絶望を植え付ける悪魔の常套手段。

——しかし。

甲高い硝子が割れるような音が弾け、ディーターの放った闇の術は、ムスタファの目前に展開された“見えない壁”に弾き飛ばされた。


「……何?」


ディーターが思わず声を漏らす。ムスタファの周囲には、いつの間にか極薄の光の防壁が展開されていた。物理的な攻撃ではなく、精神や魂への干渉を完全に遮断する絶対の盾。

背後に控えるアルテリスの仕業だと気づくのに、時間はかからなかった。直接的な攻撃は封じられても、守護と支援まで放棄したわけではないらしい。


「チッ……小賢しい真似を」


ディーターは忌々しげに舌打ちをし、一旦距離を取ろうと後方へ大きく跳躍した。長期戦になれば、あの得体の知れない“従者”がいつ心変わりをするか分からない。大聖堂の奥へ続く回廊へと身を翻し、戦いの場を移そうとした。

しかし、彼の背中が硬い“何か”に激突した。


「な……!?」


振り返ったディーターの目に映ったのは、空間を完全に隔絶する強固な光の結界。しかもそれは、ディーター自身が外部からの侵入を防ぐために張っていた暗黒の結界の“内側”に、ぴったりと沿うように構築されていた。

外に出られない。退路が完全に塞がれている。


(いつの間にこんな結界を)


「《猛る火の精霊よ、限界を超え我が剣に集え。一切を灰燼に帰す、紅蓮の閃刃となれ》」


ムスタファの剣に纏わっていた炎が、さらに強烈な輝きと熱を放ち始める。荒れ狂う業火が刀身に極限まで圧縮され、刃そのものが白く灼けるように発光した。逃げ場を失った閉鎖空間の中、ムスタファは渾身の力で炎の剣を薙ぎ払う。


「舐めるなァッ!」


余裕をかなぐり捨てたディーターは両腕を前に突き出し、最大出力で空間を歪めた。迫り来る炎刃の軌道を、強制的に捻じ曲げようとする。

ディーターの思惑通り、炎刃の軌道がぐらりと揺らいだ。そのまま空を切る——はずだった。


「……っ!?」


突如、ディーターが構築した歪みの中心に、無数の淡い光の粒が介入した。アルテリスが放った微弱な、しかし決定的な術式の干渉。

たったそれだけでディーターの術は一瞬にして瓦解し、歪曲していた空間は元の平滑さを取り戻した。


「バカな、私の術式が、こんな容易く……ッ!」


軌道を逸らされたはずの炎の刃は、まるで最初からそこに向かう運命だったかのように、完璧な軌道へと引き戻される。


旋律などなかった。詠唱すらなかった。

言霊すら必要としない、次元の違う術の行使。

そんな真似ができるのは——あの血脈しかいない。


「そうか、貴様は……“サンシャイン”の——」


言葉を最後まで紡ぐ暇もなく、驚愕に見開かれたディーターの瞳に、逃れようのない死の業火が迫った。


「終わりだ、悪魔」


ムスタファの冷徹な宣告と共に、荒れ狂う炎の刃はディーターの肉体を、その内に巣食う悪魔の魂ごと完全に呑み込んだ。

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