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Jardin miniature 神々の箱庭で、少年少女は軌跡を紡ぐ  作者: kitty
第4章 学園の影で闇は嗤う
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祝福

大聖堂を満たす静寂は、もはや神聖なものではなかった。

頭上の豪奢なステンドグラスから差し込む光は、夕暮れと呼ぶにはあまりに禍々しい。凝固した血のような暗赤色が、荘厳な石造りの空間をどす黒く塗り潰している。


目に見えない圧力が、重厚な石壁をひしひしと軋ませる。肺の奥まで侵食してくる淀んだ大気は、不快な湿り気を帯びて肌にねっとりと絡みついていた。


「紹介をしておきましょうか。私の仲間の悪魔たちです」


祭壇の中央で静かに微笑む女神像——その足元では、意志を持つ泥のように蠢く闇それがゆっくりと持ち上がる。

肉体を持たぬ“意志”だけの存在。

輪郭は曖昧でありながら、確かに“視える”——高位の悪魔。

三つの影は、まるで獲物を見定めるようにムスタファたちを見た。


「彼らはまだ“空”でしてね。器を欲しているのですよ」


「ふざけるな!」


ライルが一歩前に出る。


「《——風の精霊よ

我が意に応じ、敵を穿て!》」


ライルの詠唱が空気を裂いた。

放たれた風刃が一直線にディーターへと向かいその腕を両断した——はずだった。


「……なっ!?」


ライルが驚愕に目を見開く。

確かな手応えなどなかった。風刃はディーターの身体を幻影のようにすり抜け、後方の石壁を空しく穿つのみだった。


「無駄ですよ」


ディーターの穏やかな、だが底冷えのする声が響いた。


「あなた方が私に攻撃を当てることなど不可能です」


「なんだと!?」


ディーターは、妖艶な笑みを浮かべ、まるで祝祭の司祭のように両手を広げた。


「それでは、祝福を始めましょうか」


瞬間。


世界が、落ちた。


⚜️⚜️⚜️


(……あれ、俺は……何をしていたんだ?)


気づけば、ライルは見慣れた学園の回廊に立っていた。


高い窓から差し込む午後の光が、石床にやわらかな影を落としている。

行き交う生徒たちの足音。遠くの吹き抜けから聞こえる、他愛のない笑い声。

風に揺れる中庭の木々の葉擦れさえ、やけに鮮明に耳に届いた。


——あまりにも、いつも通りの光景だ。


(……さっきまで、俺は——)


何かが引っかかる。

大聖堂。血のような赤い光。息の詰まる空気。

確かにそこにいたはずなのに、その感覚だけが薄い霞の向こう側にあるように遠い。


代わりに、靴の裏から伝わる石床の硬さや、指先に触れた壁の冷たさが、こここそが現実なのだと強く訴えかけてくる。


一歩、足を踏み出す。


(……夢、じゃない)


そう思った瞬間——


(いや、本当に?)


かすかな違和感が、胸の奥で波打った。

音はある。人もいる。景色もある。

なのに——誰一人として、こちらを見ていない。

すれ違う生徒たちは、ライルの肩をかすめて歩いていくのに、避けるそぶりすらない。

まるで最初から“そこに存在しないもの”として扱われているかのようだ。


(……何だ、これ)


思わず足が止まる。

だがその違和感は、すぐに別の強い感情に塗り潰された。


視線の先。

いつも見慣れた背中が、そこにあった。


(……殿下)


ムスタファの姿。そして、その隣には——


(……アルテリス)


二人は並んで歩いている。

交わしている言葉までは聞こえない。だが、二人の間に流れる穏やかで揺るぎない空気だけは、痛いほど伝わってくる。


ほんの少しだけ、距離がある。

手を伸ばせば届くはずなのに、決して埋まることのない隔たり。


視界の中で、二人の肩がほんのわずかに近づく。

ほんの些細なこと。普段なら、気にも留めないはずの距離感。

それなのに、胸の奥が、ひり、と焼け焦げたように痛んだ。


(また、だ)


その感情は、自分でも驚くほど自然に湧き上がってきた。


(結局、殿下の隣に立つのは、あいつなんだ)


足が動かない。

いや、追いつく必要がないのだと、心のどこかで理解してしまっている。


(護衛として、俺も傍にいる。命を預けられている。それでも——)


視線が、自然と二人の背中に吸い寄せられる。


(“特別”なのは、あいつだ)


胸の奥深くに沈めて鍵をかけていたはずの感情が、黒い形を成していく。

それは、激しい苛立ちでも、熱い怒りでもない。

もっと静かで、冷たくて、どうしようもなく粘りつく劣等感。


(……いや。そんなことで、俺は——)


喉の奥で引っかかった言い訳は、最後まで形にならなかった。


(アルテリスは、いつも優秀で冷静だ。

判断が早くて、迷いがない。俺とは違う。

殿下だって、それを分かっている)


だから——隣に立つのは、当然だ。


すとん、と。

冷たい思考が、心の中に綺麗に収まった。

不気味なほどの納得感と共に、先ほどまでの違和感はもうほとんど消え失せている。


(じゃあ、俺は何だ)


答えは、すぐそこにあった。


(忠誠しか、ない)


その言葉が、重い石のように胸の奥底へ沈む。


(俺は本当に、必要なのか?)


視界の端で、ムスタファが何かを言い、アルテリスがわずかに頷く。

完璧に調和したそのやり取りが、ひどく遠い。


(ああ、そうか)


諦めが、全身を麻痺させていく。


(あそこに、俺の居場所は——ない)


その瞬間。

世界が、不自然なほど完全に静まり返った。

風の音が消える。生徒たちのざわめきが遠のく。

色のない虚無が迫り来る中——。


「——イルハン様!」


声が、聞こえた。

遠い。深い水底から水面を見上げているように、くぐもって聞こえる。


(……誰だ)


思考が鈍い。確かに、よく知っている声だったはずなのに。


(……気のせいか)


そう結論づけて目を閉じかけた瞬間、胸の奥に、わずかなざわめきが波打った。


——違う。


心のどこかで、必死に叫んでいる自分がいる。


(……違う、はずだ)


だが、その抵抗は長く続かない。

すぐに、目の前の圧倒的な光景が意識を塗り潰しにかかる。

ムスタファの背中。その隣に並ぶアルテリス。

二人の距離が、またほんのわずかに近づく。


(……ああ)


思考が、再び暗い水底へと沈んでいく。


(やっぱり、あれが正しいんだ——)


諦めに身を委ねかけた、その時。


「《女神アウロラ様——

どうか、我が願いをお聞き入れ、彼の者を縛る闇をお祓いください》」


どこからか、凛とした鈴の音のような詠唱が響いてきた。

冷たく凍てついていた世界に、一筋の温かな風が吹き抜ける。


「……っ、これは……」


どんよりとした灰色に染まっていた景色が、端からじわりと溶け始めた。

崩れゆく幻の隙間から溢れ出したのは、春の陽だまりのような、柔らかな黄金の光。

それは泥のように粘つく劣等感を優しく拭い去り、深く沈み込んでいたライルの心を、慈しむように包み込んでいく。


暗い水底から引き上げられるような、確かな浮遊感。

冷え切った指先に、誰かが灯した灯火のような温もりが伝わってくる。


(そうだ……ここは、違う……!)


その光は、迷うライルの手を優しく引き、確かな力で現実へと導いていく。

偽りの安寧を突き破り、黄金の輝きが視界を埋め尽くした。


「——イルハン様!!」


響き渡る声。

今度ははっきりと。鋭く、強く。魂を揺さぶるように。


(ここは、現実じゃない!)


胸の奥に、確かな熱が戻ってくる。

思い出した。血のような赤。淀んだ空気。戦うべき敵。

眩い光と共に、視界を覆っていた幻覚が弾け飛んだ。


⚜️⚜️⚜️


大聖堂。

ディーターが、初めて面白そうに目を細めていた。


「……なるほど」


底知れない赤い瞳が、ムスタファとジャミーラを真っ直ぐに捉える。


「おふたりは、精神干渉に対する耐性がずいぶんと高いようですね」


「ジャミーラ、ライルを頼む」


「はい」


ディーターの言葉を無視し、ムスタファは短く指示を出した。

ジャミーラは深く頷き、石の床に膝をつき荒い息を吐くライルへと歩み寄る。


「イルハン様、大丈夫ですか」


「……シャマル、様……?」


焦点の合わない目を瞬き、ライルは掠れた声を絞り出した。


「良かった。気づかれましたのね」


ジャミーラが安堵の息をつく。

ライルは、ハッとして周囲を見渡した。禍々しい赤い光、蠢く闇、そして——前を見据える主の背中。


「……殿下……俺は……」


「後だ」


ムスタファは振り返ることもなく、ただ前だけを見据えたまま短く言い放つ。


「今は、立て」


ライルは強く歯を食いしばり、頷いた。


「……はい」


ふらつきながらも、立ち上がる。


ジャミーラは、わずかに息を整えながらも、その様子を確認して一歩下がった。


(……間に合って、よかった……)


小さく、そう零す。


だが——


「素晴らしい」


乾いた拍手が、静寂に響いた。

ディーターだった。


「実に見事です。あの状態から引き戻すとは」


その声音には、心からの称賛が混じっている。

だが、その目は——まるで玩具を眺める子供のように、楽しげに細められていた。


「諦めず足掻く……実に人間らしい」


口元が、ゆっくりと歪む。


「やはり、選んだ甲斐がありましたね」


その言葉に、空気がわずかに冷える。

ムスタファは一歩前に出た。


「……随分と余裕だな」


低く問う。

だがディーターは、肩をすくめるだけだった。


「ええ。今のはほんの遊びです。むしろこれからが本番ですよ」


視線が、三人を順に舐める。


床を這う影が、再び巨大なうねりとなって牙を剥き始める。


——本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。

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