始動前夜
学園の地下。
遥か古、神と悪魔が刃を交えた神話の時代に築かれ、その役目を終えたはずの遺構。
今では地図からも抹消され、学園関係者のほとんどが存在すら知らない空白の地。
その最奥——。
苔むした石壁に囲まれ、淀んだ空気が支配する空間で、三つの影が対峙していた。
一人は、長身の男。
学園では、温厚で知的な対魔学講師として信頼を集める人物——ディーター・ボニファーツ。
そして、その正面。
不釣り合いなほど幼い二つの影が、崩れかけた石段に腰掛けていた。
「……ほう」
静かな声が、地下の静寂を揺らす。
「学園も、ようやく重い腰を上げましたか」
闇の奥から、少年の声が冷たく返った。
「何やってるんだよ、ディーター。
君がちんたらしてるから、気づかれたじゃないか」
声には隠しきれない苛立ちが混じる。
「遊んでいたからじゃないの?」
今度は、少女の声。
どこか冷めた、呆れたような響き。
二人は双子だった。
夜を溶かしたような黒髪に、獲物を射抜くような紅い瞳。
だが、その肢体に魔族特有の歪みや禍々しさはない。それがかえって、この世ならざる異質さを際立たせていた。
「ちょっとした遊戯ですよ」
ディーターは、事もなげに肩をすくめる。
「一気に幕を下ろしては、興を削ぐというものです」
「この場所を突き止められて、計画が破綻したらどうするつもりだよ」
少年が、鋭く睨む。
「その前には、確実に終わらせますよ」
ディーターは、張り付いたような微笑を崩さない。
「それに——遊んでいたのは、私だけではありません」
「……知ってるよ」
吐き捨てるように少年が応じた。
「他の奴らも、だよ。皆好き勝手にやってる」
「どうして、あんなに“待て”ができないんだろうね」
少女が、退屈そうに首を振る。
「欲望に忠実。実に悪魔らしいではありませんか」
ディーターの口調に、薄暗い愉悦が混じる。
——その瞬間。
ふっと、彼の輪郭が陽炎のように揺らいだ。
柔らかく整えられていた茶の髪は、音もなく闇を溶かしたような黒へと沈み、
穏やかだった瞳は、滴る血を思わせる深紅へと染まる。
張り付いていたはずの人間の気配が消え、
そこに立つのは、もはや学園の講師などではなかった。
「——やはり、こちらの方が落ち着きますね」
相変わらずの柔和な声音。だが、そこから漏れ出した濃密な殺気が、石壁の苔さえも枯らさんばかりに空間を侵食していく。
「身の丈に合わない欲は、身を滅ぼすって言うぞ」
低く、警告するように少年が告げる。
だが、ディーターは意に介さない。
「強欲は、我ら悪魔の性ですよ。抗えるものではありません」
一拍の沈黙。
「それに、私は——ただ遊んでいたわけではありません。収穫もありました」
双子の視線が、同時に男へと注がれる。
「……そうそう。そのお陰で、実に素晴らしい情報を得ましたよ」
「素晴らしい情報?」
少女が、小首を傾げる。
「ここには——あのランデュートの民が、留学しているのです」
「だから?ダウサリーには敵わないじゃん」
少年が即座に言う。
「ええ、有象無象ならそうでしょう。ですが——」
ディーターの声が、わずかに弾む。
期待に満ちたその響きに、双子は揃って怪訝そうな顔をした。
「ここには、いるのですよ」
ゆっくりと、その事実を噛み締めるように。
「本物の、“王族”が」
一瞬の沈黙。
次の瞬間——。
「へぇ……」
二人の口元が、鏡合わせのように同時に歪んだ。
無邪気で、残酷な、捕食者の笑み。
「それは——面白そうだね」
「うん。すごく、壊しがいがありそう」
ディーターは満足げに頷くと、地下遺跡のさらに奥、闇が深まる方角を振り返った。
その先には、学園全体に張り巡らされた結界の“核”が、人知れず鎮座している。
「では、そろそろ始めましょうか。仕上げの時間を」
「今度は、一気にやるんだな?」
少年の問いに、ディーターは深く頷いた。
「ええ。精神操作の魔術を、広範囲に一斉展開します」
「たくさん、連れていくんだね」
少女が、弾んだ声で笑う。
「ええ。もう“行方不明”などという生ぬるい言葉では済みませんよ」
地下遺跡に、低い笑い声が重なり、反響する。
それは、地上で謳歌されている平穏を嘲笑うかのような、不吉な調べだった。
誰も気づかぬまま。
破滅の歯車は、すでに噛み合っていた。




