空白の連鎖
夜。
等間隔に配置された灯が、規則正しく回廊を照らしていた。
昼の喧騒は嘘のように静まり返り、冷たい空気だけが石床に淀んでいる。
自習を終えた生徒たちは、三々五々、寮へと戻っていく。
遠くで響く談笑、小気味よい靴音。一日の終わりを告げる、ありふれた穏やかな時間。
「……あ」
その流れの中で、ふと足を止めたのは一年生の男子生徒だった。
「どうした?」
連れの生徒が不思議そうに振り返る。
「悪い。教室に忘れ物した」
少年は小さく肩をすくめて笑った。
「すぐ戻るから、先に行っててくれよ」
「分かった。あまり遅くなるなよ」
軽い調子だった。誰も、彼を引き止めはしなかった。
夜とはいえ、ここは学園の敷地内だ。巡回も機能しており、危険にさらされるなど、誰一人として想像すら及ばなかった。
彼は一人、灯りの続く回廊を静かに引き返していった。
——それが、彼の姿を見た最後となった。
⚜️⚜️⚜️
消灯時刻。
寮の名簿を確認していた寮監のペンが、ふと止まった。
「……戻っていないのか?」
同室の生徒が、怪訝そうに首を振る。
「忘れ物を取りに行くって言ったきりです」
「場所は?」
「教室です」
すぐさま確認が行われた。
教室。図書館。訓練場。あるいは中庭。
どこを探しても、彼の姿はなかった。
「……おかしいな」
だが、その時点ではまだ“事件”とは見なされなかった。
どこかで同級生と話し込んでいるだけかもしれない。あるいは、巡回に呼び止められて説教でも受けているのではないか。
——そう思いたかった。その“空白”に、まだ名前をつけたくはなかったのだ。
⚜️⚜️⚜️
翌朝。
教室の窓際、彼の席はぽっかりと空いたままだった。
朝の点呼にも現れず、寮にも帰還していない。
「……聞いてるか?」
同級生たちの囁き声が、湿り気を帯びて低くなる。
「昨日の夜、一人で教室に戻ったまま……」
誰も、その後の彼を見ていない。
回廊に争った形跡はなく、マナの乱れも検知されていない。
ただ——“途中で、消えた”。
⚜️⚜️⚜️
放課後。生徒会室。
机の上に置かれた簡素な報告書に、ムスタファは視線を落としていた。
「……二人目だな」
低く、温度のない声。
「今回は、夜。寮に戻る途中での単独行動です。
理由は、個人的な忘れ物」
アルテリスが静かに補足する。
「対魔学の講義とも、ボニファーツ先生とも、表向きの接点はございません」
ムスタファはゆっくりと息を吐き、椅子の背にもたれかかった。
「“奴と直接関わらない状況”での失踪、か」
指先が、机の端を軽く叩く。
「一見すると、前件のベルタン嬢の報告とは無関係に見える。だが——」
一拍。
「同時期に二名。他校での事例を鑑みれば、これを偶然と片付けるのは危険だ」
ムスタファは、感情を排した声で淡々と指示を下した。
「アル。学園には捜索継続を。聖騎士団には、“内部案件”として正式に共有しろ」
「承知いたしました」
アルテリスは、深く一礼する。
窓の外では、再び夜の帳が下りようとしていた。
灯は点き、巡回も回っている。昨日と何一つ変わらない光景。
それでも、“戻らなかった生徒”は、確実に二人になった。
誰にも見られず、誰にも気づかれないまま、その空白は静かに広がっていく。




