07
九つの罪、というのはこのプランガフィールド大陸において最も有名な伝承だ。かつて神が創り給うた世界で、善なるものと相反する罪が九つあった。神はその罪たちに一つ一つ名前を付け、身体を与えて一人一人に贖えば救われると教えを与えた。人間の生活を助けるために魔法を使う力を授かり、人々のためにその力を振るう者。それが魔女の始まりだと言われている。そうして世界には九人の魔女が生まれ、人々の生活を守るシンボルとして存在していた。しかし、魔女のみが持つ魔法の強大さを恐れた人間たちにより魔女裁判にかけられ四人の魔女が首を刎ねられた。怒った残りの魔女たちは、二度と人間の前には姿を表すことはなくなった。そうして世界から魔法が消え去った。これがプランガフィールド大陸における魔法と魔女の伝説。
そのうちの一人、首を刎ねられなかった方の怒った魔女で司る罪の名前は虚飾。通称〈塔の魔女〉が、このエメリア国内に隠れているらしい。
魔女は現在、見つかれば国家保護法により六カ国間で丁重に保護という名の管理をされることが大陸内では百年ほど前から定めされている。残念ながら、ただの一度も使われたことがない名前だけの法であった。――本日までは。
王宮の外れにある祭事用の講堂に数百名の各部隊の精鋭たちが集められている。ザワザワとした熱気に溢れており、見渡す限り身体に自信のありそうな屈強な男たちがほとんど。そこに紛れるようにリラはローブを被り静かに気配を消していた。
(あ、明らかに場違い……!)
騎士団・魔術教団から派遣されている男たちは明らかに肉体派だ。ちらほら見かける女性もすらりと体格のよさそうな者が目立つ。対する錬金術教団側は、ジークは別としてリラを始めとする小柄・細めの男女が入り混じっている。錬金術師は技術畑な面が強いというか九割九分技術屋しかおらず、明らかに戦闘には不向きである。しかしその場で即興の回復ポーションを生成したり、非戦闘要員として従軍することも多かった。特に騎士団は錬金術師が生成した魔道具に使用率が八割を超えており、言い方は悪いが傍に錬金術師がひとりでもいればその騎士は手数にはあまり困ることはない。ようはただの便利要員だがそれで納得いかないのもまた事実。その為、近年ではジークやローゼマインのような己で戦える錬金術師も増えつつある、というところだ。増えつつあるというだけで実際はただの技術屋集団、リラの真後ろでは自分より小柄な女の背に隠れるように背中を丸める痩せ男がいるなど、明らかに場違いな空気を醸し出している。
代表であるジークはあっけらかんとしており、時々挨拶にやってくる騎士団の騎士たちと和やかに会話をするなど終始穏やかな雰囲気だ。
エメリア国に属する王立団体すべてが一堂に会する姿は壮観なものであるが、場違い感の強いリラたち錬金術師からしたらたまったものではない。思わず杖を握る手に力が入った。リラの背に隠れようとする気弱な男を追い払おうとしていると、次第に周囲がざわつき始める。
「おい、あれ……」
「珍しいな。あの人がいるってことは今回相当な案件なのかもな」
コソコソと珍しがる声たちに、背中から追い払おうとした手を止めた時だった。
「お久しゅうございますね、リリーベル」
リラの名を呼ぶ芯のある声。空気がピリつくような、とてもよく聞いたことのある声に思わず背筋が伸び、目をきちんと開いて声のする方へ向き直る。リラの周辺の人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを尻目に、振り向いた先では穏やかそうに笑うが気の強さが隠しきれていない恰幅の良い夫人がリラを見つめていた。即座にリラは頭を下げる。
「お久しぶりでございます、マリア・バーバラ。ご健勝にて何よりと存じます」
教会における聖女の最高権威に与えられる唯一の名をマリアという。その当代マリアを眼前にすることは、教会を辞めた身であるリラでも思わず背筋が伸びるほど緊張感を感じるものだ。優雅に一礼をされどこかご満悦な様子で、マリアは目線を下げて礼を取るリラの頬を撫でる。
「かわいいリリーベル。錬金術教団での暮らしは如何でしょう」
「はい。とても良くして頂いております」
「なら良いのです。貴女は一度聖女候補に挙がった身、なればわたくしの娘のようなものですからね。娘の旅立ちは心配になるものです」
「慈悲深いマリアのお心遣いが身に染みる思いです」
「愛い子。ですが……教会のままなら、わたくしももう少し心を砕いてあげれていたのに。寂しいですね」
マリアの長い爪がリラの首元を滑る。一本、二本、とばらけていき、首を覆うように指が添えれらた。そして段々と白い喉に爪の先が埋まろうとばかりに食い込んでいく。
普段は気だるげで飄々としているリラの形式ばった姿に、周囲は遠巻きに静かにざわついており、誰も優しく問いながら首に爪を刺そうとしている異様なマリアに気づきはしない。それを理解しながらも、マリアに隙の多い態度をとるとさらに酷い目に合うことが分かり切っているリラは礼の形を崩さない。誰も二人の間に割って入れないと思っていたが、薄皮を爪が食い破ろうとした時にマリアの指に骨ばった大きな手が添えられる。
「ご機嫌麗しく、マリア。うちのリリーベルにご挨拶ですか?」
目が覚めるほどうつくしいかんばせには蜂蜜の瞳に撫で付けたブルネット。にっこりと三日月に目を細め、ジークは流れるようにマリアの手の甲に口付けた。
「まあ、ヨルムンガンドの……。あなたも久方ぶりに顔を見ますね。息災でしたか?」
にこやかに話し始めたマリアの目にはもうリラは映っていない。ジークからちらりと目線をもらい、リラは静かに人の輪の中まで後退する。
「えっ⁉︎ リラさん、大丈夫?」
「うわ、爪痕エグ……」
錬金術教団の同輩たちに囲まれると、みな一様にリラの喉元に刻まれた爪痕を見て顔を青くする。
人が良さそうなふりをして、気にくわないものは徹底的に排除する。それが聖女の最高権威、マリア・バーバラ。しかし実力は教会一とも言われるほどで、癒しの力に関しては他の追随を許さない。性格に難がありすぎてあまり表立った舞台には出てこないのだが、教会が彼女を送り込んだということは今回は過去稀にみる大掛かりな作戦なのが目に見える。
「……どこもかしこも、ガチすぎるけど」
そっと首に手を添えると、しっかりと爪の跡が残っている。ヒリヒリとした痛みを覚えながら、小さく呟かれた独り言を聞くものは誰もいなかった。
***
数分もしないうちに戻ってきたジークは、礼を告げたリラの首元をみて顔をしかめた。マリアの性格は長年王国に仕えているジークも知り尽くしており、こうなることを予想しなかったわけではなかったがもう一歩早ければ、と後悔せずにはいられなかった。
「……あの、気に病まないでください。ジークさまのお陰でこれで済んでいます」
「そう……かなぁ」
ローブのフードを被ってしまえば傷跡は目立たない。そう言ってリラはフードを被って笑う。なんと答えるべきか、悩んで口を閉じた時だった。
王宮から騎士たちに囲まれて国王が現れる。皆一斉にこうべを垂れ、礼の形を取る。
「――よい。面をあげよ」
許しの言葉を得ても顔を上げるのを許されるのはジークやローゼマインなど、王族に謁見権限のある上役のみ。リラたちのような一般職は変わらず頭を下げたままだ。
「此度、我がエメリア国内にて〈塔の魔女〉の存在が確認された。エルジャド、詳細についての報告を」
声をかけられたのは騎士団長であるエルジャド・ミーク。筋骨隆々とした壮年の騎士である。
「はい。……先日、妖精たちが〈塔の魔女〉の存在について言及していることを、〈妖精の眼〉を持つ部下より報告を受けました。曰く、どうやら妖精の国とエメリアの境界である森に不可視の塔を建て暮らしているとのことです」
〈妖精の眼〉。人の形をとって暮らすハイエルフと違い、人の形を持たない光のかたちの精たちを認識することが出来る眼。ハイエルフたちが持つ瞳と同じものをそう呼ぶ。それを持つのは、騎士団に所属する女騎士ユイリア。かつて、ジークやローゼマインと共に英雄と世界を救った絶対的存在であることから王からも一目置かれている。
「それに関しては私からも一つ報告を」
エルジャドの発言に手を挙げたのは、第一王子であるルーイエ。彼もまたため息のでるほど美しい顔で、聡く優秀な王子として国政に積極的で次期王太子と名高い。リラたち錬金術教団を擁しており、戦事に関しても明るいことから今回この場に立っているのだろう。
「その件に関して妖精の女王・エルドネージュに回答を求めたところ、『妖精の国は来るもの拒まず』と返答があり……恐らくは魔女の存在を黙認していると思われる」
「守りはしないという認識でよさそうだな。妖精の女王の第一優先は変わらず英雄であろうし」
妖精の女王・エルドネージュ。妖精の国の美しき女王であり、かつてリンドヴルムの目覚めを英雄アルバートと共に食い止めたハイエルフ・クイーン。英雄アルバートとは婚姻関係にあり、彼を深く愛しているという。その行動はわかりやすく、アルバートと己の国の妖精たち以外は興味を見せない。
今回魔女が住み着いたことに特に感情はないのだろうが、おそらく妖精たちを傷付けさえしなければ邪魔をすることもないということだ。
(……間接的にヒーローとメインヒロインが関わるってことは、本気の本気で大捕物ねえ)
リラはこうべを垂れながら、頭の中でかつての物語の情報を整理しはじめる。
英雄アルバートは、かつて最弱の剣士と呼ばれていた。騎士にあこがれ王都へ来た純朴な青年だが、どうも剣の才能に欠けていた。ある日、人間の住まう国の一つ上の世界、妖精の国のひずみから人の国に落ちてスケルトンに襲われていた女王エルドネージュを助けたことがきっかけで、エルドネージュの加護を得る。そして二人は妖精の国への入り口を探すさなかに、目醒めの兆しを見せたリンドヴルムを仲間を増やしながら見事撃退。そうして二人は結ばれて幸せに暮らしました、で終わる。これがリラがかつて愛読したネット小説の全容だ。
騎士のジーク、ユイリア。錬金術師のローゼマイン。英雄と女王合わせて、この五人が世界を救った英雄として語られている。そしてもう一人のヒロイン的存在、聖なる祈りを持つ王妹シルレーネ。リンドヴルムの戦いの最中、戦いに巻き込まれ行方知れずとなった姫こそが――ジークのためのヒロインだ。最終話でジークへの恋心が明らかになり、さらに作中で明言こそなかったが、ジークへ降嫁される予定があったことが匂わせてあった。以上がメインキャラクターで、あとは過去にジークが専属騎士を務めたルーイエや騎士団長のエルジャドがちらりと顔を出す程度で魔女の話題は伝説として語られるのみだった。それがここまで大々的に注目されているということは、おそらく何かの前兆のように感じてしまう。
(わたしが知らない続編がある? 明らかに何かのメインストーリーが始まるような、そんないやな予感がする……)
リンドヴルムと戦って世界を救った英雄アルバートたち。それから八年経った、いまリラたちが生きる世界では新たな物語が始まろうとしている。




