05
なんだかんだと言いつつも、ジークは元の性格も相まってかリラの面倒をよく見た。それもこれも、リラが予想以上に怠惰を極めていたからだ。面倒くさいからと食事を抜こうとすればすかさず食堂へ連行、生活を疎かにしている気配があれば即ヒアリング、その後改善点の報告書提出の義務付けなど、気づけば生活面までも甲斐甲斐しく世話を焼いてしまっていた。その甲斐もあってか、近頃のリラは毎日丁寧に髪を編み上げて来るし、きちんと化粧も施してくるし、時間には余裕を持ち出勤してくる。なお、ローゼの元にいた頃は髪は適当にペンを簪替わりに纏めただけ、化粧は最低限の血色のみ、始業ギリギリ出勤は当たり前だったらしい。
最近に至っては、リラにもある程度の役職を与えるなど最早職権乱用ではあるが、あの秘められ続けようとする才能を燻らせないためになりふり構えなくなっているところだった。
「結局団長も甘いですよねリラちゃんに」
西日の差す応接室。鮮やかな橙色に横顔を染め上げられ、眼前の昔馴染みはそう指摘する。
ティーカップを片手に微笑んだローゼマインに、ジークは返す言葉もなく逃げるように額に手を当てた。思わず深いため息が溢れると、眼前からはカラカラと楽しそうな笑い声が上がる。
「……ローゼ、君は面白がるけどさ」
「誰かが世話をしないといけない。ですよね?」
リラ。ともすれば稀代の天才になり得る存在。錬金術教団に偶然飛び込んできた宝石の原石。彼女という存在は、今や枯らしてはならない花のようなものだった。
見つけたのは偶然だった。教団の学術生だったリラの、錬金術師への昇格試験の評価の為に提出された魔道具。団長として次代の錬金術師を評価する立場にあったジークは、この日間違いなく運命の分岐点に立ったのだと思っている。その魔道具を見た瞬間に背中にゾクゾクと電流が駆け上がり、まだ誰も見つけていないその才能の恐ろしさに震えた。
元々学科長として教育を担当していたローゼマインが目を掛けており、元聖女候補という肩書と才能に恵まれている新人がいることは把握していた。けれど名前も知らず、顔も知らない学術生だったリラの名前を、ジークはこの日、己の中にしっかりと刻み込んだ。
この才能だけは手放してはならない。必ず錬金術教団の未来を牽引する人物になれる。錬金術教団団長から過去最高の評価を受け、そうしてリラは首席として錬金術師試験に合格したのだ。
たった五年で団長に上り詰めたジークの才能を遥かに上回るであろう実力。しかしそれは奮われることなく秘めたまま、高みを目指さずに堕ちていこうとする姿。その手を取らずにいれる訳がなかった。
「リラの才能はこの手で開花させる。これは絶対だ。その為に、リラは俺無しで生活出来なくするのも一手かなって」
蜂蜜の瞳がギラリと熱を帯びる。狙った獲物は逃さなかった騎士時代を思わせる鋭さに、かつてその姿を近くで見続けたローゼマインは彼の本気度を知る。同じ仲間として戦った日々、上司と部下として過ごす日々。両方のジークを知るからこそ、リラの退路が綺麗に断たれていることに哀れみを抱く他なかった。
「あの人に対してもお世話焼きたがりでしたものね、団長」
「ローゼもあの頃は一丁前に嫉妬していて可愛かったのにね?」
「あ、あれは幼さ故の憧れみたいなもので……!」
***
同じ頃、リラは普段と変わらず不在のジークの分の書類を捌いていた。管理役職持ちの会議があるからの席を外して早二時間、ローゼマインと少し話があるから遅くなるよと微笑みと共に去っていった背中を思い出してはムズムズする気持ちを誤魔化すように書類に手を伸ばす。
(普通に会議があることも私は把握してたんだし、いってくるだけでいいのでは? なんかまるで、不在を妻に任せるみたいなセリフは流石に夢過ぎて興奮なんだけども……⁉︎)
最近、ジークとの距離が縮まっていることは薄々気づいていた。リラが意図的に作っていた壁が、被った猫が行方不明になると同時に気づけばジークに取り払われていたからだ。どういう意図でリラと距離を縮めようとするのか最初は顔の良さも相まって少しドキドキしたものだが、扱い方が完全に親と子のそれであるし、顔が好みであることを把握された上でのリラの才能を逃さない為だと言うことに早々に気付いてしまっている。
「まあ、よくて妹か。……えっ、推しの妹ポジ、いいんです……?」
ブツブツと独り言を呟きながら書類の束に手を伸ばしたところで、スカッと空を切ったことに気づいた。視線をあげれば、デスクに高くなる積み上がっていたはずの書類は全てリラの手で捌かれてしまっていた。手元に残ったジークの自署が必要なものだけまとめてジークのデスクに置いておく。集中するあまり、あんなにあった書類を早々に片付けてしまったのはリラの不覚だ。仕事が出来るところを見せつけてしまう形に頭を抱えつつも、まあたまには褒められるのもいいかと開き直って己のデスクに突っ伏す。ジークはまだまだ帰る気配もないので一眠りだと、日暮れが近いもの寂しい光を背中から浴びてリラの瞼はゆるゆると輪郭を溶かしていった。
「……爆睡だなあ」
リラの意識が落ちてから三十分。ローゼマインとの茶会を終えたジークは、あまりにもな爆睡ぶりに仮眠室と部屋を間違えたかとすら思った。自分の執務室が本当にここで合っているのか既に三回は確認したほどだ。入り口の真鍮のプレートにはしっかりと、〈団長 ジーク・ヨルムンガンド〉と掘られてあることから間違いはない。
鮮やかな西日を背に、机に伏して眠るあどけない顔。長い睫毛が呼吸と共に薄く上下し、赤い唇からはすうすうと可愛らしい寝息が漏れている。夕陽を浴びるストロベリーブロンドに手を伸ばし、触れる直前でその指を引いた。
ジークにとってリラは手のかかる天才の新人だ。女というよりかは、どちらかといえば六人いる下の弟妹たちを思わせる。純粋できらきらしい可愛い弟妹たちに無条件で世話を焼きたくなるように、地味に生意気で面倒くさがりだがどこかきらきらしいこの新人もつい世話を焼いてしまう。
(こうして見ると、普通の子なんだよなあ)
弟妹たちとは違う存在。うんと年下の新人。密かに上下するその薄い肩が、いつもよりとても小さく見えてジークは目を瞑った。
「……、……ンガッ」
心地の良い微睡の中、突然意識が覚醒する。リラは反射的に飛び起き、無意識でよだれが垂れてないか口元を拭いながら立ち上がる。
「やっば、めっちゃ寝てた危ないセー……」
フ。の一言は深く飲み込んだ。起き上がった先、ソファに優雅に腰掛けてコーヒーを嗜むジークは、リラと目があうと「おはよう」と微笑む。リラは骨身に染み付いた習慣がうっかり顔を出し、微笑みと共に膝を折って恭しく礼を取る。
「ご機嫌麗しゅうございます、ジーク・ヨルムンガンドさま」
「そんな焦るリラ、初めて見たよ」
焦りのあまり飛び出た、普段は絶対顔を出さない淑女然とした姿に、笑いながらジークはカップをソーサーに置く。そしてデスクに歩み寄り、今度こそリラのストロベリーブロンドに触れた。大きな掌が優しく頭を撫でる。
「かなりの量があったのに、さすがだね。お疲れ様、ありがとう」
にっこりと黄金の瞳が三日月の形に細められる。褒めて貰えるとは思っていたが、ここまで直球だとは予想していなかった。リラは反射的に赤くなった頬を隠そうとローブのフードをかぶって俯いた。
「い、いえ。まあ、あの、気分ということで……」
「毎日この気分でいて貰いたいな」
「そこは気分次第で要相談です……」
〈推し〉が自分を見て、自分だけを褒めてくれる。また何かが首をもたげそうになるのを、リラは必死に心の奥で押し留める。心の奥深くに閉まっておきたい感情を、フードで深く隠していく。
(死んじゃいそう)
この時、この瞬間。ジークの瞳にはリラだけが映る。それはリラにとって、手に入れてはいけない――変えがたい幸福だった。




