04
その日、リラは夜明けと同時に目を覚ました。いつもなら惰眠を貪り尽くしギリギリに駆け込んでくる常習犯なのだが、本日の気合いの入り様は並大抵のものではなかった。〈推し〉の視界に長時間お邪魔することになるのだと、念には念を込めて朝もシャワーを浴び、普段は血の気のない唇に軽く紅を引くだけのところを丁寧に白粉をはたき頬にも紅を指した。適当にそのあたりにあるペンを簪にして纏めてしまう髪も、ゆるく編み込みいつぞやに〈推し概念〉だと浮かれながら買った琥珀の石が嵌め込まれたバレッタで留める。そうして気合の入った装いで普段より半刻も早く出勤したリラに怠惰なリラを知る誰もが驚愕の顔をしたが、リラは素知らぬ顔を貫き通した。
ジークも、始業よりも早く出勤し待機するリラを見て驚きを見せたが直ぐに微笑みをくれる。
「今日から頑張って」
「は、はい!」
肩に手を置かれながら激励を受け、心がキュッと縮み上がる気持ちだった。いつも眠たげで気だるげなリラの殊勝な姿に、周囲がざわついていく。周囲からどんな目で見られても、ジークの前ではきちんとして真面目を装おう。〈推し〉には快適に過ごしてもらいたい。心に強く掲げ拳を握ったリラだったが、付け焼き刃ではそう上手くいくことはないのはわかり切っていた話。
半年が経った頃には、あれほど丁寧に被っていた猫は何処かへいなくなってしまっていた。
相変わらず無数の書類が高く積み上げられたデスクから、どこか呆れた様子の蜂蜜の目が覗き込んでいる。美しいかんばせには隠しもせず呆れの文字が浮かぶようだ。
「……リラ、そろそろ回復薬の点検当番の時間じゃないの?」
「ん……? あとで回復薬作る時に纏めてチェックしますので……大丈夫でーす……」
ジークのデスクの隣に置かれた簡易デスクにも無数の書類の塔が積み上がっている。本日も前上司のデスクから拝借したままのペンで髪を纏め、ほんのりと赤い唇はかろうじて塗られた紅の色。気だるく眠そうな眼でリラは、ジーク宛ての気が遠くなる枚数の書類を仕分けしていた。恐ろしいほどのリラの怠けっぷりに、ジークは眉尻と口角が痙攣する日々を送っている。
初日に緊張した様子で「本日からお世話になります」と頭を下げたリラに問題なくやっていけそうだとたかを括ったのがいけなかったのかとジークは考える。日が経つごとに段々と化けの皮が剥がれていくのを目の当たりにして、リラが自堕落と呼ばれた理由を思い知ってしまった。
日々を重ねるごとに剝がれ落ちていくメッキ。少し平凡で大人しい真面目な少女の皮を被りたいのは目に見えたが、その努力は一日ずつ綺麗に消え去っていった。平凡でいようとするのは、おそらくとても難しい。気が緩むごとに、平凡の顔をしているだけなのが分かりやすく表れてくる。
背筋を伸ばし、書類の山を丁寧に仕分けを行っていたあのおとなしい彼女はどこへやら。いまや片肘を机について、バッサバッサと書類を捌く気だるい女になり果てていた。
「……リラ、少し来なさい。話があるから」
頭を抱えたい気持ちを抑え、優しく微笑みながら手招きをする。デスクの前にある来客用ソファを指せば、リラは相変わらず気だるげな顔を上げてツンと唇を尖らせた。
「……怒られるのなら、遠慮させて頂きたいです」
緊張し切っていた頃の姿はどこへやら。最早上司への態度ではない。しかしこの砕けた態度がある種での壁であることを、ジークはすでに知っている。
「それは怒られることをしている自覚があるってこと?」
「いや、まあ……ある程度は」
ピンと片眉を吊り上げ笑みを深めたジークに、反射的に苦笑いで何時ぞやのように指先をこねくり回すリラ。駄々をこねるのは得策ではないと理解したのか、苦い顔のまま大人しく立ち上がり一礼してソファへと腰掛けた。
「リラ・リリーベル」
「はい、ジークさま」
名を呼べば、けだるそうな瞳から一転してジークを見上げてくる。ぱっちりと上を向いたまつ毛の向こうにミルキーアメジストが輝く。
「今まで散々言われてると思うけど、君は自堕落が過ぎないか? そんなに仕事が嫌なの? かと言ってこの仕事を辞めたいわけでもなさそうだし」
リラは自分の才能に無頓着だ。自分が特別という意識は一切ない。けれどその姿はほかの持たざる者たちからすると、厭味でしかない。そして自分に踏み入ろうとするものは、怠惰な姿で壁を作る。そうして段々と周りが離れ、けれど平均で居続けようと、怠惰であろうと道化のように笑い続ける。その生活を続けていれば次第に社会からは切り離されるが、いくら孤立しようとしてもなまじ才能を持って生まれてしまった為にジークたちはリラを手放せない。リラに少しでも錬金術師として国のために活躍してもらう為、できることはなんでもする勢いだ。
問われたリラは、なんとも言えない表情になり少し考えるそぶりを見せる。そして、悩みながら口を開いた。
「……。仕事は別に嫌じゃなくて……ただ、あんまり飛び抜けて評価されたくないというか……わたしには荷が重いと言いますか。正直その他大勢として顔の良い男を遠目で眺めてゆるっと生きたいだけだし……」
ボロリと零れた本音である後半はジークの耳まで届かないほどの小さな声だった。
顔のいい〈推し〉が毎日見られるなら、めんどくさくても少しは頑張ろうという理由だけで働いてるという単純明快な理由は、本人には流石に伝える勇気はないらしい。
うじうじもだもだとするリラに、ジークは最終手段に出ることを決意する。
元々リラは面接時、ジークの才能に憧れて錬金術師を志したと志望動機にあげていたのは有名な話だ。騎士から錬金術師になったように、聖女候補から錬金術師になろうとしたリラが異業種を目指した先駆者としてジークに憧れることはなんの不思議もない。更にこの半月でリラがジークの顔を密かに好意的に思っていることは分かっており、手段を選ばないとばかりに立ち上がったジークはソファの前に膝を着きリラの両手を優しく握り締める。
――ぎゅっと、人より少し大きな手が、つるりと白い小さな手を包み込んだ。
「へっ⁉︎ あ、だ、だだ、団長、だんちょお⁉︎」
ガッと頬に熱が上がり、リラは立ち上がろうとする。けれど優しく、しっかりと握られた手を振り払う勇気がなく、少し浮かせた腰をまた沈めるしかできなかった。
アワアワと突然のことに動揺を隠せないリラの顔をとどめとばかりに下から覗き込む。
「私はリラに頑張って欲しいんだけど」
眉を下げ小首を傾げる。ジーク・ヨルムンガンドは、しっかりと己の顔の良さを自覚していた。
「………………………………うぐ、」
憧れの存在からの究極の一撃。顔のいい〈推し〉の顔面の破壊力。
頬から始まり顔のすべてが徐々に赤く染まり、最後は熟れた果実のようになったリラは、蚊の鳴くような声で是と返事をする以外なかった。




