03
約束通りの夜、二十時の十五分前。執務室に舞い戻ったりリラは所在なさげにブラウスの紐を弄っていた。今から約一日、ジークと禁書庫と執務室に缶詰の日々が始まる。――推しと二人きりの生活。考えるだけで身悶えそうだ。
「リラ。待たせた?」
執務室の扉が開いて、かっちりとした制服からラフな格好へと姿を変えたジークが姿を表す。
いつもは撫で付けられている前髪が降ろされ、整髪料で整えられていない襟足からは若干の隙を感じさせる。つるりとした光沢のお高そうなシルクのブラウスの襟元からは、普段は首元の詰まったシャツで隠されている胸筋がこれ見よがしに顔出しており、思わずゴクリと喉がなった。黒いストレートパンツも隙間なく身が詰まっており、筋肉の形がうっすらと透けて見えるようだった。完全オフの推しのプライベートスタイル、レアリティはSSレアで確定だろう。叫び出したい気持ちを抑えるように、リラは後ろ手で組んだ指を折れてもいいとばかりに全力で握りしめた。
「……そうして見ると、やっぱり良いところのご令嬢なんだな。いつもと雰囲気が違って可愛いね」
今死んでも悔いはない。一応高貴な血に生まれた自分に感謝。リラはそう強く思った。
推しからのお褒めに茹だった頭でリラもなんとか言葉を絞り出すが、使い古された陳腐なセリフしか出てこないのはもう仕方がない。
「ありがとう……ございます……。ジークさまも、カジュアルだと、その……素晴らしい筋肉ですね……?」
「あはは。女性からだと触れづらいよね、大丈夫、嬉しいよありがとう」
――神様、この世を創りたもうたアルティウヌス様。心から感謝します。
リラは胸の前で祈るように手を組んだ。突然の奇行は最早慣れたのか、行動について触れられることは何もなく。お互い魔導ランタンを片手に人気のない教団本部を歩き出した。
警備の騎士が定刻になれば見回りをする以外は、基本的に夜間の教団は静まり返っている。まず夜勤の錬金術師たち以外は全員帰宅しているし、夜勤の人々はそれぞれ研究室や自分の持ち場から離れることがほとんどない。カツカツと二人分の足音が静寂の中で響くのを聴きながら、ジークは気づかれないように隣を歩くリラを見やった。
リラ・リリーベル。錬金術教団に彗星の如く現れた稀代の天才。その経歴は良くも悪くも波乱に満ちている。
出身は四大侯爵家の一つ、ハートウェル侯爵家。しかしこのエメリアで凶星と呼ばれる双子の妹として産まれすぐさま孤児院へ入れられる予定が、哀れんだ母方の実家であるリリーベル伯爵家に養子へと迎え入れられた過去を持つ。そしてリリーベル伯爵家で伯爵令嬢として過ごし、成人となった十六歳で教会の門戸を叩いたが今は錬金術師としての道を歩み始めた。同じ〈忌み子〉でも、ジークとは全く違う人生だと思った。
蛇殺しの一族、ヨルムンガンド。忌み名としての家名を与えられたのは、何百年も前のことだ。悪しき蛇の名を冠した我が一族は、翠眼の魔女が人間と交わって成した子が始まりとなり連綿とジークの世代まで続いてきた。迫害を受ける血であり、薄まり切ったとはいえ大陸にまたとない魔女の子孫。人々から遠巻きにされる孤独を一族のみで慰め合いずっと生きてきた人生を、ジークは己の力で未来を変えた。救世の英雄の仲間として大陸中に名を馳せ、褒章として爵位を授かることで忌むべきとされた一族の名誉を取り戻したことが、今までのジークの人生で何よりも誇れる功績だと思っている。誰も成し遂げれなかったヨルムンガンドの復興をさせ、偏見のない周囲にも恵まれたおかげで地位のある立場に付かせても貰える。八年も経てば迫害も大分薄れ、弟妹たちも友人と呼べる存在を作ったりと当たり前の日々を過ごしている。これが何よりも幸せで、ジークがこれからも守っていくべき日常だ。
忌むべき一族と呼ばれた自分と、忌み子として生家から捨てられたリラ。こんな子供が自分のように迫害を受けた事実があることが、恐ろしいと感じる。世界は力のないものにあまりにも残酷だ。変えられない生まれ一つで、その後の人生は天国にも地獄にもなる。
「――ジークさま。王宮の警備に話はついていますか?」
教団本部を出てしばらく。舗装された林道をしばらく歩いた先に王宮はある。振り返ったリラに、ジークはそっと微笑んだ。
自堕落な態度は自分を守るための殻だと知った。生まれてすぐから受けた迫害がこの子供の人生をどれだけ狂わせたか、ジークには計り知れない。ただ今は幸せでいて欲しい、なって欲しいと願う。この想いこそ、博愛たるジークの善性だ。
「……すべてこの許可証で一発だよ。もし阻もうものなら、ルーイエ殿下の決定に異議を唱えると同じだからね」
「こわっ。末恐ろしい代物ですね……」
両腕を抱えて身震いをするふりをしたリラ。今手にしている許可証は、背面にルーイエ殿下の玉璽がしっかりと押されている。王族方の寝所以外はこれ一つで自由に立ち入り可能になる末恐ろしい物であることに間違いはなく、無意識でジークの許可証を握る手に力が入った。
そのまま難なく禁書庫へ辿り着いてからは、魔女についての資料探しが始まった。
ジークが魔女について知っていることは数少ない。〈翠眼の魔女〉と呼ばれた自分の祖先がナル・クリオイ帝国で行われた魔女裁判で首を刎ねられたこと、残りの三人の魔女の一人は〈宝石の魔女〉であること、そして二ヶ月前に出会った魔女が〈塔の魔女〉であること。魔女の子孫であろうと、一般知識と何ら変わりない程度しか持ち得ない。
リラ自身も魔女に関しては同程度の知識しかなく、しいて言えば伝承でも語られる魔女の瞳は〈宝石の瞳〉と呼ばれる二色が混じり合う特別なものだと言う御伽噺を知っていたくらいだ。
資料を漁り始めて二時間と少し。資料を捲ったリラの指がぴたりと止まる。
「……ジークさま、これ。裁判にかけた魔女の資料だとおもいます」
紐でくくられた古い羊皮紙の一ページに、その文言はあった。
――光聖歴三百三十二年。二人目の魔女裁判が行われた。罪人の名は暁の魔女イーリス。ナル・クリオイ国での処刑後、そのまま出身国である帝国に首は埋葬された。肉体は火刑に処され、華の国の霊廟にて遺骨を安置。
「暁の魔女、イーリス……。初めて聞く名ですね」
「うん。二人目ってことは一人目は……ああ、うちか」
イーリスの記述の前にあるのは、翠眼の魔女エヴァンジェリンの名。ナル・クリオイ帝国で首を刎ねられたその終焉は、骨と共に代々ヨルムンガンドで語り継がれる最期と差異はない。
「全員分ありますね。三人目、宝石の魔女シャーロット。ナル・クリオイ帝国で処刑。首はエメリアに、骨は同じく華の国の霊廟へ。……四人目、夕星の魔女ジゼル」
また初めて聞く名前だった。
夕星の魔女ジゼルは、魔女裁判における最後の被害者とされる。ナル・クリオイ帝国で裁判の予定が逃亡、潜伏先のウォルトランドで首を落とされそのまま燃やされたとある。骨の所在は不明であり、四人の中で唯一杜撰な記録となっていた。
「……みんな故郷に首を還して貰っているのに、この魔女だけはそのまま他国で火にかけられたのか」
ジークの静かな声に、わずかに怒気が含まれる。ただ一人だけ還れなかった魔女を想い、その理不尽に怒りを覚えた。
反面、リラはどこか冷静だった。ぼんやりと宵の明星なんて大層な名前だと、古ぼけた羊皮紙の文字をなぞる。むしろ骨の所在を明らかにして貰えた三人の方が稀有なのだ。
人々の罪から生まれた魔女たちは、九つの大罪を司る。傲慢、強欲、色欲、嫉妬、暴食、憤怒、怠惰、虚飾、憂鬱。その罪を贖うために、魔女たちは人々の助けになるものとして神から魔法を授けられた。
しかし魔女とは一体何者なのか、どういう存在なのか。かつては共存していた存在が、何故魔女裁判にかけられることになったのか。真実は魔女裁判と同時に全て火に焚べられており、魔女の真実を知るものは生き残りの魔女たち以外誰も知らない。
「――ああ、ここにもあった」
ジークの手にある古ぼけた本が、テーブルの上に開かれる。横から覗き込んで、その内容に思わずギョッと目を見開いた。
燃えるような紅色に太陽より鮮やかな橙の目玉。淡く薄めた桃色に透き通る空のような水色の目玉。そして、目の覚めるような翡翠と混ざり合う輝く黄金の目玉。瓶詰めにされた三組の対の目玉たちが、鮮明な色を残したまま写真として本に挟まれている。色褪せないそれは魔道具で切り取られた遠い過去の一瞬である筈だが、あまりにも生々しく、浮かぶ目玉たちが意志を持ってこちらを見ているように思えるほどだ。
「なに、この目玉……」
ぞわりと肌が粟立ち、リラが思わず己の肩を掻き抱く。ジークは眉根を寄せたまま、挟まれていた写真を拾い上げた。裏には日付が書かれており、今より五百年ほど前に撮られたようだった。そして、もう続くように書かれた一文が目玉の正体を表している。
「さっきリラの言ってた〈宝石の瞳〉って、これじゃないかな」
――暁の魔女、宝石の魔女、翠眼の魔女。
三人分の名前、三組の目玉。どうやらそれが、答え合わせだった。
「エメリアでは一般的に子供の寝物語で聞かされる創世神話があるだろ。その原本となったエルメス・ターナーの著書〈大陸における九つの罪と魔女の伝承〉、宝石の瞳の出典はその中だと思うんだけど」
「だと思います。プリスクールの大陸史では必ずみんなターナーで歴史を学びますから」
「そこで瞳と同時に語られた、〈アレキサンドライトの指輪〉は覚えてる?」
神が魔女に与えたものは、人間の役に立つための素敵な魔法と特別な宝石の瞳、そして魔女の証としてアレキサンドライトが嵌め込まれた指輪。アレキサンドライトは、当たる光によって違う二つの色を併せ持つ宝石として有名だ。そう、二色だ。
「二色の瞳……!」
宝石の瞳に対する記述は名称以外にない。しかし、まるでアレキサンドライトのように二つの色を併せ持つ目玉たちこそが伝承通りの宝石の瞳であると考えれば、この写真の裏に書かれた名前たちの意味は考えるまでもない。
「本当に翠の眼をしていたんだ……」
確かめるかのように小さく呟かれた言葉。一族の始祖である魔女の一部がまるで実験材料のような扱いで、いまもどこかに眠り続けているかもしれない事実。そっと瞼を閉じ、その上から瞳に触れる。蜂蜜色の瞳が光の当たり具合で緑を帯びる理由を知ってしまった。禁書庫の中で得たものは、ジークの心を確実に曇らせる。
これが価値のある目玉であるなら。何か特別な力を持つのなら。――目玉を得る為に魔女に死んでもらう必要があったとすれば。
魔女裁判が起こった理由は、後世には語られていない。何がきっかけとなり、何が原因だったのか。全ての不明のまま、理由も曖昧なまま殺された四人の魔女たち。
その理由が、もしも、この目玉だったのなら。
リラは俯くジークの頭を覆うように、膝に掛けていたストールを被せてやる。今だけは何も視界に入れず、心を落ち着かせて欲しかった。
歯車が狂い始めるように、二人の運命は抗えない巨大な渦へ巻き込まれているようだった。




