07
結局、隠れるように住まう塔の魔女を見つけたものは誰もいなかったらしい。何の収穫も得られないまま、一週間の合同任務を終えた一同は王都へと帰還していた。良い報告が一つもないことは事前に文でやんわり伝えてはあるが、直接報告するのはまた気が重い。一様に気が進まない顔の各団体の代表たちが王への謁見に向かった中には、錬金術教団の団長であるジークの姿もある。白を基調とした美しい王宮の広間で礼の形で膝を付き、静かに目を閉じる。その脳裏に、戸惑ったような声が思い返された。
――今回のことは、口外すべきではないのかなと思うんです。
塔から降り立った時、リラが思いつめたような顔で呟いた。今足元で転がるライアのことも、あの石づくりの塔の魔女のことも、――ジークの身を侵そうとしていた魔糸のことも。
その全てを報告した時、場合によってはジークの身柄は王宮預かりになるだろう。翠眼の血を引き、塔の魔女に縁を結び、さらにどの魔女かは分からないが確実に魔女をおびき寄せれるものとして、大陸中がその身を狙って争う可能性だってある。魔女を欲しているのは、どの国も同じだ。
リラだって帝国に身を狙われたとなれば、狙われただけだとしても帝国との関係を疑われ、最悪牢に拘束されるかもしれない。今お互いの身の安全を保障できるのは、お互いしかいなかった。
「わたしたちは身を守るために、今日見たこと、あったこと、聞いたこと……すべてを何もなかったのだと思うべきです」
それはけして間違いではない。ジークも、魔女の手がかりとして軟禁の身になるのは避けたい。
けれど、それは王国への裏切りに近い。王命に背こうとするのは、尊い方への忠誠を誓ったジークには、ままならない感情だった。
黄金の目を細めてリラを見やる。一瞬目が合い、弾かれたように顔を背けられた。
「それ。王族への反旗、とも取れる発言だな。口には気を付けないと……」
リラの顔は俯いたままで表情一つ読み取れない。顔を隠すように肩上で切られた横毛をそっと指で持ち上げれば、ミルキーアメジストの瞳はきつく閉じられ、長いまつ毛が濡れて震えていた。
「覚悟して、考えたうえでの発言です。……わたしは今、あなたの補佐です。あなたの命を何よりも優先させたいから、こう言っているんです」
怠惰。その名に相応しい自堕落な天才、才能の塊。ともすれば世界を変えるかもしない才能を抱えて、周囲に予防線のように壁を造り、己の力の価値も分からず自ら堕ちていく姿。
ジークはずっと、リラという人間が分からなかった。沈んでいくのを繋ぎとめて、役割を与えて、その才能を光らせていく。それを続ければ何か変わるかと思ったがそんなことはなく、けれど時々その才能を遺憾なく発揮する。気まぐれで、規則性がなく読みづらい性格だった。時々、壁の向こうから手を伸ばす猫のような、分かりづらく見えない本心。
それを、今、ジークは初めて垣間見た気分だった。
あのリラが、誰かを思い、誰かのために涙を浮かばせた。怠惰な言葉で、忠誠なんて持ち合わせないという態度で日々を過ごしていた女が今、ジークの命を思っている。
「……団長補佐として、進言をさせてください。今日、わたしたちは何も見ていません。――あなたも、わたしも、何もしていません」
一粒、涙が落ちた。
ジークはその日、初めてリラの涙を見た。
「――王の御なりである!」
思考をかき消すように、宰相の声が響く。護衛の隊列のそろった足音が止み、玉座が体重で小さく軋んだ。王が御前に現れたことに、飛んでいた思考を戻していく。
ジークは、結局塔の魔女の話をなかったことにした。あの日に見た涙を、どうしても無下に出来なかった。たった半年だが、ずっと共に過ごした部下の、初めての飾らない本音だったからだ。
王家へ誓った忠誠は絶対であり、長年王立の団体に身を置いていたが王家に逆らおうという気持ちを抱いたことなど一切なかった。それが初めて、王家への裏切りを行ったと言える今回の行為だ。ほんの小さな裏切りだが、その小さいものの積み重ねがどれほどの罪を生むのかも知っている。――恐ろしかった。涙一つで忠誠を揺るがされた自分が、正直に事を話した結果に訪れるであろう未来が、すべてが。ジークも心の底ではわかっていた。王はきっと、三人の魔女との縁がある己を外に出す気はないだろうと。王はそういう、打算的で残酷な男だ。
慣例通り、宰相の声に従い事を済ます。いつも通り、当たり障りのない報告を行い、ジークは謁見の間を後にした。
一度生まれた裏切りの種は、このまま消えることなどないのだろう。心が沈んでいくのを感じながら王宮の回廊を進んで、ふと、足を止めた。
眼前から現れる純白のマントの騎士たち。その向こうに、ジークが敬愛してやまない姿がある。廊下の端により静かに頭を下げていると、足音が目の前で止まった。このあとは、もう許可はいらないのが、このお方だ。顔を上げると、紅玉の瞳が楽しげに笑っている。
「やあ、ジーク。謁見終わりかい? 時間があるなら少し話そう」
「はい。我が太陽、ルーイエ殿下。ご随意に」
はにかんで答えると、ルーイエも破顔して応える。
かつては側近の護衛騎士としてルーイエに四年ほど仕えたこともあり、ルーイエ自身もジークに高い信頼を寄せている。それもまた、ジーク自身の王家への忠誠を高める理由の一つだった。
正直に言うと気まずいタイミングだ。しかし、ジークがこの麗しい王子からの誘いを断ることは一切ない。
ルーイエの私室まで付き添うと、ベルベットの執務椅子に腰掛けたルーイエの正面で姿勢を正した。親しい態度を許されているとはいえ、かつて仕えた王子と向かい合う緊張感はいまだに慣れない。
「堅苦しい真似はやめてよ。俺は純粋にジークと少し話したいだけなんだから」
「恐れ多くもルーイエ様。人の目がございますので……」
「気にしいなやつ。――みなは下がっていい、しばらくジークと二人にしてくれ」
手を挙げると側仕えの騎士とメイドたちが静かに部屋を後にする。そうして完全に二人きりになった部屋で、ルーイエは微笑んだ。
「ほら。いつもみたいに話しなよ」
「――、……ルーイエ様。立場悪くなるよ」
幼少期から共に過ごした王子は、なんてことないと言わんばかりに優雅に微笑んだ。




