06
塔の魔女と名乗った女に、ジークは静かに剣を下ろした。戦う意思はないのだとばかりに、その場に膝をついて胸に手を当て礼の形を取った。リラも倣って両膝をつき胸に手を当てる。まるで王族を相手にするような丁寧さに、魔女は静かに眉を吊り上げた。
「美しき神の遣い、塔の魔女よ。突然の訪問失礼いたします」
「ええ、無遠慮に本当に失礼だったわ。このまま永遠に塔に捕らえておこうと思ったほど」
ラピスラズリの瞳が怪しく光る。人ならざる気配を感じ、リラは静かに息を飲んだ。
きっと冗談なんかではなく、魔女は本気でそう思っていたのだろう。その気になればあの無限の石段を、ジークと二人ずっと当てのないままのぼり続けていたのかもしれない。
「けれどね、あまりにも三文小説のようなくだらないやりとりが気に障ってしまったの。思わずあなたたちをここに呼んでしまったほどね。思わぬ収穫もあったから、許してあげるけれど」
気怠そうな顔をして魔女は口だけで笑った。ジークはその顔にどこか既視感を覚える。だがそれを一切おくびにも出さず、それはどうしてなのかと柔らかに微笑んだ。博愛の笑み、善なるものの顔。魔女は更に口の端を吊り上げた。
「ヨルムンガンドの子、翠眼の血。私はあなたも、その血も、すべてを知っている」
ジークが小さく息を飲んだ。その呼び名を直接投げつけられるのは、久しぶりで思わず動揺を抱いてしまう。
翠眼の魔女。原罪の名は嫉妬。――魔女裁判で首を落とされた四人の魔女の中の一人。人を愛し、愛され、人との間に子を作ってしまったが故に人を疑えずその命を散らした魔女。ジークの血を遡った先にある迫害と神秘の根源。魔女の眼には、すべてが見えている。
ラピスラズリの瞳がジークから視線を移す。その瞬間、ばちりと視線が絡み合った。気怠い目が見開かれ、次第に顔が歪む。
「そして、ああ――可哀そうに。呪いの子、罪の血、堕ちた星。業が深いわね」
魔女の哀れみの声は、誰でもないリラへのものだった。
呪いの子。罪の血。堕ちた星。その全てがリラへの言葉で――身に覚えは、一切ない言葉だった。
転生者であることにか、または生まれの血によるものにか。何を示す言葉なのかは分からないが、魔女が心から哀れんだのが分かった。
「――あなたたちに、いろいろ言いたいことはある。私が口に出すことではないだろうから、今回は口を噤んでおくわね。けれど、この結論だけ伝えましょう」
安楽椅子が軋む音を立てる。魔女が緩慢な動きで、ジークの前に立った。白魚のような指が、顎を引き上げる。
「あなたにまとわりつく意図が見えるわ。これは……どの魔女の糸かしらね?」
魔女の意図――――魔糸。塔の魔女が指を振ると、燃える橙色の炎のような蠢くものが静かにジークの身体を這っているのが露わになる。足首から首まで、ねっとりと絡みつくそれは、虫の這うような感覚に似ている。そんなおぞましい何かが、何の自覚もなく緩やかにジークを侵し続けていた。
「――ッ」
息を飲んだジークの姿に、反射的にリラはその炎を掴もうとして――塔の魔女の手が重なり制される。弾かれるように見上げれば、あの気怠い顔は、哀れみと何故か慈しみを滲ませリラを見つめていた。
「離して!」
「人間が魔糸に直接触れはいけないわ。壊死してしまう」
〈魔糸〉、魔法の根底にあるもの。魔女だけに許され、人間が愚かにも至ろうと足掻くものが、ジークの身体を穢している。怒りで頭がおかしくなりそうで、リラは叫びだしたい気持ちを堪えることで精いっぱいだ。天才と持て囃されたって結局はただの人間で錬金術師。魔女にしか見えないものに一番大切なものを侵されて、守る手段すらその手にはない事実を突きつけられて、自分の無力さをひたすらに呪うしかない。喉の奥からどす黒い何かがせり上がり、リラは視線を落とした。
「まあ、これも縁ね。あなた、己を取り巻く運命に感謝した方がいいわ。今回だけ私が切ってあげる」
リラの手を握る手とは逆の手で、魔女はジークの頬を撫でた。探るような眼でジークを纏う炎を眺めて眉根を寄せる。そして小さく何かを呟くと、炎のようなものが捻じれるように消えていく。おぞましいものが這っていた感覚が残る首には、もう何もいない。
「意図が切られたことで、相手はきっと怒るわね。気をつけなさい。どの魔女かは分からない。あの炎はあなたへの執着が燃え続けたもの、きっとこの程度じゃ――諦めないわ」
「……ありがとうございます、魔女よ。我が命を救った美しき貴女」
「その礼は結構よ。私と縁があったことにのみ感謝しなさい」
紳士のマナーとして手の甲への感謝の口づけを求めたがふいにされ、苦笑を零しながらジークは静かに立ち上がる。元よりそういったことが得意ではないため、気を楽にしながら今度はしっかりと腰を折って頭を下げた。
「我が祖の同胞、誇り高き塔の魔女。貴女に救われたこの命、無駄にはしません」
「本当、無駄にしないで頂戴ね」
呆れたような魔女は、俯いたままのリラの手を引いた。力なく、引かれるままに腰を上げ、リラは伏せていた瞳を上げる。おぞましい炎から解放された身体を見て一瞬だけ泣きそうに顔を歪めたが、すぐ作ったような笑みに変わる。
「塔の魔女。わたしからも感謝を。……ジークさまはわたしが今、守るべき方です」
「ありがとう。……堕ちた星、可愛くて可哀そうな子。あまり、運命に振り回されないことね」
目を見て感謝を述べたリラに、魔女はどうしてかそっと微笑んだ。耳に髪を掛けてやり、そっと唇を寄せる。
「…………あなたの血の罪が知りたくなった時、またいらっしゃい。世界を越えし可愛いあなた」
囁くように呟かれた言葉に、目を見開く。ジークに動揺を悟られないように、震えそうな指を必死に押さえつけて、魔女とまた目を合わせる。
まるで愛おしいものを得たように、青金の瞳は楽しそうに笑っていた。




