04
炎が消えた後、ライアは瀕死の状態でその場に倒れ伏していた。炎で焼かれた身体は辛うじて形を留めており、真っ黒く煤けた灰の下にわずかに肉の色が見える。もはや虫の息で、放っておけばこのまま死ぬのは目に見えていた。
命を狙い、突如攻撃を仕掛けてきた帝国の暗殺者。突然に命を狙われた側のリラたちに助ける義理はない。
だが、結論から言うと、ジークはライアを見殺しにはしなかった。
その場で生成した、どんな状態異常でも治す最高級品・ホワイトハーブで全身の火傷を回復させ、目覚めない程度の低級ポーションで体力を回復させた後に拘束。以降は王宮の牢で身柄を預かり、裁判に掛けるのだという。殺さなくていいのか、と問うたリラに、ジークは困ったように笑う。
「――王国の錬金術師としても、一貴族の子女としても。どの肩書からみても、きみが帝国の暗殺者に狙われたという事実は放置できない問題だからね」
「……それは、まあ、そうですね」
「まあ、あとで少しばかり記憶を弄ろう。精神操作系はローゼに頼るに限るよ。……私はそういう細かいのは不得意だからさ」
手足を縛り麻布で全身を覆われ拘束されたライアを肩に担ぎ、ジークは辺りを見渡した。
最初の戦闘地である岩場からは相当な距離を走ったはずだ。仲間たちと合流するには、少し骨が折れそうだ。
「ひとまず探索を続けよう。この深い森をむやみに進むのは得策じゃなさそうだし」
「そうですね……運よく魔女の塔を見つけられたらいいんですけど」
乱れた髪を少し整えながら、リラは回収した杖を振った。すると何もない空中に波紋が広がっていき、段々と水面のようなものが浮かびあがる。
「〈星見の鏡〉で見る限り周囲には特に――。――、えっ……」
戸惑いの声に、つられてジークも鏡面を覗き込み――目を見張った。
「これは……」
「普通に……あるじゃん……」
遠見の魔道具の最高峰、〈星見の鏡〉。全てを映すもの。杖に着けられた薄玻璃の星こそが、リラが作る緻密な糸で編み上げられたトップクラスの魔道具だった。
たとえいくら魔女が深い森の中に塔を建て、見つからないように認識阻害の魔法をかけていようとも。天才の名を冠したリラの鏡の前では全てを映し出していた。
「才能がありすぎるのも困った話だなあ。これ、魔法に打ち勝ってない?」
感心した顔で、ジークは鏡からリラの顔に視線を移し楽しげに笑う。
顔一面にやらかしたと書いてあるような顔をして、リラは静かに深呼吸した。
「…………、あの、今日のこれは、内々の話で終わらせていただけますか?」
「私はさすがに部下は売らないよ、リラ」
人のいい顔で肩を叩く美しい顔に、色々な意味で少し、泣きそうになった。
――人気の一切感じない森の奥に、〈それ〉は存在していた。
苔むした石造りの無機質な塔。まるで罪人を閉じ込めておく堅牢のような、あまり人が好き好むような環境ではない場所。こんな怪しげなところに自ら近づこうと思うのは動物か脳みそが少しばかり足りていない人間くらいだろう。
近づけば近づくほど大気の魔素が濃くなっていくのを肌でひしひしと感じながら、ジークとリラは塔へと近づいていく。塔まであと少しというところで、リラがそっと口を開いた。
「さっきの、ことですけど。どうして真名開放したんですか……? 査問会もの、だと思うんですけど」
ぽつりとこぼれた言葉は、言いたくて、堪えて、けれど抑えきれなかった言葉。
かつて世界を脅かした悪竜、〈蛇の王リンドヴルム〉に対してのみ開放された真名。それをたかが一人の部下を助けるためだけに、ジークはそれを使った。
「ああ、黙っていてねリラ。私が降格させられるの見たくなかったら……だけど」
「もちろん見たかないですよそんなの! あ、あんなところで伝説の安売りしないでください! あと加護のことも聞いてないし!」
笑いながらの軽い返しがリラの琴線に触れたのか、瞳の奥がじわりと熱を持つ。見られないようにと思わず下を向いたリラの顎先に、ボロボロになった指先が添えられた。
顎を持ち上げられ、蜂蜜の瞳と目が合う。緑掛かった美しい宝石に反射する顔は、ひどく歪んでいる。目に見えて泣きそうなリラの頬を手のひらが覆って、そのまま強張った頬を指がつまみ上げる。
「ここだけの話――正直、真名開放はたまに使う」
「――――は?」
低い声が転がり出る。たまに使う。国宝を。
なんだかとんでもない言葉を聞いた気がして、リラは自分の耳を疑った。
「まあばれないタイミングで、だけどね。どうしても速攻で片をつけたい時とか、力技で押し退けたい時とかあるんだよ。加護は念の為に掛けたのが功を奏しただけ。触ったでしょ? 柄の宝石」
リンドヴルムの戦いで使ったことから今や神聖化をされているが、ジークにとって宝剣は代々受け継いだヨルムンガンドの剣。刃こぼれもせずひたすらに丈夫な剣であるという認識で、おまけで少し強い技を使える便利な剣。国宝だのなんだのと言われてもいまいちピンとは来ない。父も祖父も、かつてこの剣を持っていたが真名開放までには至らなかった。それが偶然自分は出来てしまい、たまたま特別な切り札を得ただけ。加護に関しても便利な機能がついてきたくらいの考えで、発動しなければセーフの認識で結構多用している。おおごとにされても今更何をという思いで、自分の数ある切り札のうちの一つを国に管理されるのは納得がいかず、ばれない範囲で変わらず使用を続けてきた。
「……ジークさま、まじで絶対いつか査問掛けられますよ」
浮かんだ涙は綺麗に引っ込み、呆れを隠すことをせずリラは半目になる。じっとりした目線に照れたように頭を搔くジークに、ため息と共に怒ったような仕草を見せる。けれど、リラの内心ではその実、身を捩りそうなほど興奮していた。額に当てた手で必死に顔を隠し、唇を噛み締める。
常に賢い人だと思っていたけれど、実はやんちゃな面もあることをうっかりと知ってしまった。物語では語られなかった一面だ。リラが知るジークは、少し天然な面がありつつ柔らかい物腰で優しく無償の愛を持ち、けれど敵には情けをかけず勇ましくある、清く正しい騎士だった。
錬金術師として接する彼は、良き上司であり、尊敬できる人であり、堕落していくリラをなんとか繋ぎ留めてくれようとする賢い人だ。頭が回り面倒見が良く、顔の良さを自覚しておりずるいこともできる男という認識だ。リラが焦がれた騎士とは違う新しい一面を、近くにいればいるほど知ってしまう。それは遅効性の毒のように、じわじわと心を蝕むのだ。
「――さあ、おしゃべりはここまでのようだね。ついたよ」
暗い森の一角。背の高い緑に隠されるように、苔むした石の塔の入り口が現れた。ジークは抱えていたライアを地面に下ろし、意識がないのをしっかり確認する。推定五十キロ半ばを抱えての戦闘となるのは避けたいため、念には念を入れて持ち合わせの睡眠薬を振りかける。これで当分目覚めはないだろう。ジークは腰の柄を握り目くばせを一つ、臨戦態勢を取ったままそっと石の扉を押し開けていく。
鬼が出るか蛇が出るか。リラも抱えた杖を、一層強く握りなおした。




