02
「ね、狙われてるのわたしか……⁉︎」
飛ぶように投擲されるナイフを華麗に避けながら、ジークは岩場を駆け抜けていく。ジークに担がれたまま運ばれるリラは思わず頭を抱えた。あの男は間違いなくリラを名指しで殺害を予告した。
「恨みを買った覚えは?」
「ないない、ないです……っ! いや、自覚ないだけであるのか……⁉︎」
リラは風でバタバタとはためくローブを脱ぎ、陰になるように閃光弾を仕込み、追ってくる男に向かって投げ捨てる。せめてもの目くらましのそれに、ジークは瞬時に方向転換し岩場を滑り降りた。足場の悪い岩場より障害物は多いものの足場がきちんと平坦な森のほうが、獲物が剣であるジークに利がある。
地面に降り立った瞬間、ジークが地面に何かを撒いた。即座にツンとした臭いが充満し、どうやらバジリスクの唾液らしいと把握する。歯と歯をぶつけ火花を起こし、口の中の唾液に引火させて火を噴く……というのがバジリスクの特徴だ。ジークの意図が読めたリラはウエストポーチから二本の試験管を取り出し、そのうちの一つをジークに渡した。大気に触れると火花が散るというワームの心臓の血だった。
「あの民族衣装……雰囲気的に帝国ですかね」
「東っぽい意匠だったからその確率が高いと思うよ。もう一つは華の国だが……まあ、ないだろうね。あそこは染色業が盛んで白い服を着る習慣がない。ましてやかの国での白は囚人の色だ」
あれだけで巻けるはずがない。襲撃に供え、辺りを警戒しながら軽く言葉を交わす。追ってくる気配はなかった。ジークから降りると一息つきたくなった気持ちをぐっとこらえ、戦闘態勢を崩さない背中にそっと視線を滑らせる。
真剣な眼差しで周囲を警戒する横顔があまりにもかっこよすぎている。ごくりと喉が鳴りそうなほど、リラの喉は飢えに似た何かを訴えていた。緊張なのかときめきなのか、鼓動が跳ね上がっている原因は特定出来そうにない。杖を握る手にじんわりと汗が滲んでいくのを感じながら、取り落とさないようにしっかりと握り直す。
美しいかんばせ。芸術品にも劣らない美。――宵の色のまつ毛の天幕の向こうから、黄金の瞳がちらりと覗いている。こんな状況であるからこそ、命の危機に晒された身体は強く何かを求めそうになる。胸に沸いた焦燥感に、杖ごと左胸のブラウスを掴んだその時。
「――戦場で男に見惚れている暇があるとは、いいご身分だね」
そっとリラの耳元に、静かな声が落ちた。
咄嗟にぐるりと視線だけを動かせば。
――ガラス玉のように蒼い瞳が、リラを見つめていた。
「……ひッ」
喉が引き攣れる音を出す。
その瞬間、男の顔とリラの顔の間に剣先が差し込まれた。ザシュッという音とともに、リラの肩には生温い液体がポツポツと垂れてくる。
「動くな」
男の首には白く光る剣が添えられ、一線の傷を残している。そこから滴る赤い血がジワジワとリラの肩を濡らしていく。
――男は薄く笑っている。
「おれはあんたと戦いに来たんじゃないんだよね。この女を殺しに来たからさ」
首筋に剣を添えられていても余裕の表情で、薄ら笑いを浮かべたままジークを見ている。
リラのワームの心臓の血を持つ手には、男の指が絡めとるように伸びている。リラの命など簡単に殺せるといわんばかりで、ジークは剣を握る手に知らず力が入っていく。
「彼女は私の部下だから……それを聞いてなおさら退けなくなったな」
「おれとしては殺すのがひとりだろうがふたりだろうが、関係ないけど……ねっ」
男の首が剣と逆方向にガクリと揺れる。首だけを器用に動かし切っ先から逃れると、勢いのまま手首を引き、リラの体を抱え込むように抱きジークから距離を取った。見事なバックステップで、ジークとの間には瞬時に三メートルほどの距離が出来てしまう。三メートルは踏み込んでも剣先が届かない距離だ。男もそれを狙ってのことだろう。手から離れたリラの杖が地面に転がったのを見て笑みを浮かべた刹那。突然の発火による爆発が白煙を巻き起こした瞬間、白い刃が薙ぐように一閃する。晴れた煙の向こう、不敵に笑うジークの足元で地面に撒かれたバジリスクの唾液にワームの血が入った試験管が注がれていた。
しかし、小賢しく足掻こうともいつでも簡単に殺せるといわんばかりに、男はリラの首筋に舌を這わせた。
「おれは〈暗殺教団・ゼラ〉のライア。名前も知らない男に殺されるのはかわいそうだから、いつも教えてあげるんだ」
――暗殺教団・ゼラ。帝国最大の暗殺者集団。
帝国は〈力〉がものを言う世界だ。その中で絶対的な支配権を持つ権力に次ぐ暴力こそが暗殺教団、いわば金で動く殺人集団である。ゼラは他国であるエメリアでも名を聞くほど有名でありし、金額さえ積めば絶対に裏切らないという。帝国の言葉で闇を意味するゼラと、空のように蒼いのに漆黒の闇のような色の瞳の男。その男が、なぜかリラを狙っているという。杖が手を離れ何もできなくなったリラは、人生で初めて自分の死を意識した。己が戦場という盤上にいるという事は、こういうことだと。
「……わたしを狙って何の得があるのか、わからないけど」
――恨みを買った記憶は、正直ない。けれど人の恨みや妬みを集めることが多いのもまた事実。それは錬金術師としての華々しい才能もそうだが、一貴族の令嬢としてもだ。
困ったことに、あれほどジークの顔を散々持ち上げているリラの今の顔も、当然のように整っている。そして相続権はないにしても、序列上位の由緒正しき伯爵家の養子だ。だというのにこの性格、錬金術師としての名声。それ故にどうしても同じ年頃のご令嬢方からは反感を買いやすかった。
「損得じゃないけど、明確な理由はあるから」
「それってお金か⁉︎ わたし、金に負けて死ぬのかぁ……」
頭を抱えたい話だが、金払いがよくリラを恨む人間となると若干心当たりが無くはない。ご令嬢方は籠の鳥が多く、無邪気で残酷に育ちがちだ。
戯れに首筋に添えらえる指はいつだってリラを縊り殺せるのだろう。ドクドクと脈打つ心臓とは裏腹に、心はなぜか冷静だった。
「殺させないよ? 先に私が殺すからね」
白い剣先がゆらりと揺れる。ジークの双眸が鋭く細められ、ライアの首に狙いを定めていく。
「――やれるものなら」
リラの首に指を添えたまま、ライアは楽しげに笑った。




