0055 鈍器レポート
こいつ、なかなかやるな。これまでプロ無敗の選手相手に、よくやっている。もしかすれば、このプロ無敗の選手、今回初めて黒星をつけるかもしれない。いいぞ、やれ、やっちまえ、これまで負け知らずで戦ってきた奴に敗北を教えてやれ。大丈夫、お前なら出来る。いいや、やるんだ、大丈夫だ、お前なら行ける!
……チッ。判定に持ち込まれたか。これで、勝てるのか。どうだか。こちとらド素人、プロの審判と違って目利きなんて出来やしない。
さてさて……どうだ?……ぃやったぁああ! 初黒星だぁ! こいつは、次に期待だな。また明日から頑張れよぉ。いやぁ、いい試合だった。次もいい試合見せてくれよ。
宝田之カミキ作戦少佐は、さっきまで見ていたボクシング試合の配信を見終えて、もうお腹いっぱい、大満足となっていた。次の試合はいつになるかな、負け知らずで今まで通してきた選手だからな、次はすぐにやるだろう。
カミキ作戦少佐は、大満足しながら画面を閉じると、そろそろ時間だろうと思って時計を見る。ああ、もうこんな時間か。リアルタイムで見たかったが、仕事の都合で見逃し配信で見ていたのだが、大満足な内容だった。次の試合までに、「大海戦」と呼ばれる今の「世界大戦」が終わせる事を考えよう。
勤務地である防軍軍令部に向かう途中で、カミキ作戦少佐はスポーツ新聞を広げて、最近のプロ野球の動向をチェックする。増沢ギガントスは帝辛ライオンズに負けて、早くもマジックが点灯し始めている。スマートフォンでニュースアプリを使えば早いのだが、情報収集や資料集めはアナログ方式を信望するカミキ作戦少佐は、軍専用のタクシーで送迎されながら、運転手からの嫌味な目線を完璧に無視して、独り言を繰り返す。
「全く、最近なっていないぞ、ギガントス。交流試合でも連敗だらけで、成績が振るわないじゃないか。もう優秀な選手をメジャーリーグに取られる心配がなくなったからと言って、このままじゃあ野球人口が減って、みんなサッカーに取られちまうぞ。スポーツ選手に適した人間の数なんてたかが知れているんだから。ギガントス、頑張れよ。何なら、俺がベンチに立ってやろうか。なんてな」
運転手は、何が「なんてな」だ、と胸の内にて毒気づいていた。こんな奴が、レイド・サム防軍の幕僚団のホープなのか。もっと真面目にやってくれないだろうか。やがて軍令部ビルの前に停車するまで、カミキ作戦少佐のスポーツ談義は続けられていたが、防軍軍令部ビルの地下二階の会議室にたどり着く頃には、精神と思考のチャンネルを完全に仕事に切り替えていた。
「テラース大海戦」と呼ばれる戦争の準備にて、残された時間は短い。現在、主な敵として設定しているソメリト合衆国が、この大海洋に建設した洋上基地パールハーバーの他に、もう1つの洋上基地の建設が行われ始めていると言う情報が、東南アスランの同盟国から齎されていた。完成すれば、サピラ基地と呼ばれる事になっているこの基地も、当然攻撃対象である。
幕僚団の作戦士官達は、どちらから順番に攻め落とすべきか、やるとすればどれだけの戦力を投じるべきか、それ以前に攻めるべきかどうか。今日もグダグダとした議論を続けていた。
軍隊に限らず、人の作った群れでは、真面目に働くのは3割程度で、他の連中は使いものにならない。そんな研究結果があった様な、無かった様な、そんな事を考えつつも、宝田之カミキ作戦少佐はその場にて大きな声を出す。
「口ではもうどうとでも言えるが、そろそろ頭と手を使おうじゃないか。AIを使ったシミュレーション、または図上演習、それに伴う防人省との情報の共有、今後の議論の調整、いくらでもやる事がある。まだ試合開始の笛も鳴っていないが、試合終了の笛が鳴った時に後悔しない様に、口より先に頭と手を使え。口は最後で良い」
場は静まり返り、一部の階級が上の同僚が不快そうな表情を浮かべつつも、その言葉の正しさを認めざるを得なかった。確かに、こんな所でゴチャゴチャと議論を交わしても、不毛な時間を過ごすのみだ。頭と手を、そして足も使って、この国難に対抗しなければならないのだ。それなのに、こんな所で、こんな無駄な議論を繰り返すのは、単なる「自己満足」に過ぎない。
幕僚団は、すぐにではなかったが、無能でも無かったので、すぐに気持ちを切り替えて、防軍とレイド・サムの将来の為に仕事を再開していた。
「……そうかそうか、カミキ君が話をまとめてくれたか。リーダーかくあるべし、だな。やっぱりあいつを登用して正解だった」
「現場での評判は、あまりよろしくないみたいですが」
「例のスポーツ談義だろう? 良いじゃないか、犯罪ではないからな」
松野之キタ防人大臣は、提出された「テラース大海戦想定状況一覧」と書かれた資料に目を通す。それも1枚や2枚ではない。鈍器の様に分厚い報告書だ。
……成る程、よく出来ている。誰が見ても、何処へ出しても、誰もが認める、内容に訂正の余地がない完璧なレポートだ。但し、その結論は辛い。舌が溶けて、胃が焼けて、腹が燃えて、尻が痺れる結論だ。
これを、総理大臣に提出するべきなのか。いや、やらないと駄目だ。この鈍器レポートを作る為に、貴重な時間を使ったのだ。内容も手抜きもなければ忖度や気遣いもない。むしろ、この報告書は渡さなければならない。そして、総理大臣に、文民統制におけるトップの立場の人間に見せなければ、国政にだって悪影響が出る。ソメリト合衆国にも、同じ様に動ける人間が居るのだろうか。だとすれば、どんな結論に至っているのだろうか。
「大臣、このレポート、少し素直で正直すぎるぞ。安いAIでも使ったのか? 兎に角、各方面の責任者にもコピーを渡して読んでもらったが、みんなご立腹だ」
「しかし、嘘はついていません。忖度もしていなければ、間違いもありません。総理、これは3度目の世界大戦です」
「分かった、分かったから、こうしてわざわざ電話しているんじゃないか。私とて、この結論に異議はない。しかし、これを国民に知らせるべきなのか。無用な混乱を招きやしないかな」
「承知しています。その上で、こうしてレポートを広めているんじゃないか」
「メディアにはまだ公表していないが、そろそろ騒ぐやつは騒ぎ始める時期だ。憶測や嘘情報が出回る前に、なんとかしよう」
宝田之カミキ作戦少佐が纏めたレポートの最後には、この一言で締めくくれられていた。
「「テラース大海戦」の結果は、人類社会の滅亡である。全世界の重要なシーレーンが止まっている間に、海運事業は完全にその機能を停止する。そうなれば、戦争に必要な物資の輸出入が不可能となり、海洋国家の看板を掲げている国々は、半年を待たずに軍需でも民需でも、必要な物資を調達出来なくなり、人類社会は滅亡する。最後に残るのは、ソメリト合衆国のみである。そして、「テラース大海戦」は終わる」
ちょっとやり過ぎたかな。宝田之カミキ作戦少佐は、今一度読み返して、自己評価を下していた。しかし、嘘や忖度、誤魔化しを重ねれば、戦争には勿論、政治だって立ち行かない。いざとなったら、責任とって辞表なり予備役編入なり、何なりとやってもいい。その覚悟もなしに、作戦少佐なんてやっていられない。
防軍でも、大騒動になっていると言う。それはそうだ。今まで防軍の仮想敵国と言えば、ソメリト合衆国だったのだから、これに「必敗する」と結論を軍令部の幕僚団から提出されたのだから、面白くないのは当たり前だ。
時間が経てば経つほど、問題を先送りすればするほど、状況は悪くなり続ける。ならば、決着をつけるのは早ければ早いほど良い。むしろ、これにビビって政治的譲歩をするくらいならば、その程度の国だったと言う事にすればいい。




