19:七歳児の告白
「この婚約は鉱脈開発における提携の証で形だけのものだ。
どう考えたって公爵家と我が家では家格が違い過ぎる」
そうお父様は付け足して語るものの、面持ちは硬いままだった。
「公爵家が投資なさる元本を五割お返し出来れば、婚約を見直す。
そう提案したところ先方もご快諾して下さった」
「期限は」
「リーシャが学院に入学する十六歳までだ」
私が十六歳になり学院へ入学するまでに返却出来なければ、そのまま公爵家に嫁ぐという流れになるのだろうけれど、それはネウストラ公爵家にとって益になるのだろうか。
社交界で噂に登る程の美貌も、学会に激震を齎す才覚もない。
自分で言うのも何だが本当にただの田舎伯爵の娘だ。
まぁ王子殿下の不興を買ったという汚名はあるものの、そんなものを背負った私を名高い公爵家に迎え入れるのは誰が聞いても笑い話でしかない。
本来ならばギレムお兄様が婿入りをする方がよっぽど理に適っている。
だがネウストラ公爵家には年頃の娘が居ないようだ。
返済までの期限を考慮すれば寧ろそれは良かったのかもしれない。
私の両親は恋愛結婚だし、恐らく子どもたちにも政略を絡めずに心情を優先した未来を選んで欲しいと考えているのだろう。
だからこそ、まるで身売りのようなこの婚約にお父様は全く乗り気ではない。
傍から見たら見事な玉の輿なのだけれども。
「このような事を言うのは心苦しいのですが、返済の見込みはあるのですか」
「それが出来ずに何が親か」
もう既に自分自身へ嫌気が差しているのだろう。
悔しそうに顔を歪ませるお父様を見ていられなくて、私はすぐに立ち上がりその傍らへと跪く。
テーブルで見えなかったその大きな手が、痛々しい程に強く握られていた。
「お父様は何があろうと私の、私達のお父様です」
「リーシャ…」
「寧ろ抵当となった娘がボロを出さないように心配なさるべきですよ」
既に王子殿下へ仕出かした娘である。
自虐を入れたら笑ってくれるかと思ったのに、お父様はより悲しそうな顔をした。
「俺の大事な、大事な愛しい娘だぞ。そんな事を口にするな」
今にも泣き出しそうに震えた声が降って来て思わず抱き着く。
ああ、これは私が浅はかだった。
どれ程お父様がこの話を、断腸の思いで持ち帰ったのかを慮れなかった。
災害によるものだと分かっていても財政は苦しく、休む間も無く駆け回って頭を下げ融資を募って何とか乗り越え領や家族を守ってきたのに、こんな形で家族を差し出すような契約を結ばなければならないなんて。
悔しいに決まっている。辛いに決まっている。
きっと、形だけの婚約だと口にしたのはお父様自身に言い聞かせていたのだ。
絶対に期日までにどうにかしてみせるのだ、と。
出資金総額は聞いていないものの、流通を牛耳るネウストラ公爵家が出す金額は相当なものなのだろう。
他にも出資者が居るにも関わらず我が家と共同開発の体裁を取れる程の額。
鉱脈の埋蔵量、産出量も定かではない中、他の出費も激しい我が伯爵家で返済の見込みがあると切り出すのはどれほどの勇気と決意を要したのか。
そうとしてまで私を守ろうとしてくれたお父様の愛情を茶化し、誤魔化そうとした私は愚の極みだ。
少し大きくなった身体でも回り切らないその背を掴めば、お父様もきつく結んでいた手を解き抱き返してくれた。
力強さは歳を重ねても変わらず、大きな身体の温かさに安堵する。
私の、大好きなお父様。
「ごめんなさい、お父様」
「お前もギランもギレムも俺達の誇りだ。よくよく覚えておきなさい」
「はい、愛しております」
「俺達もだよ、リーシャ」
愛して、愛される、大事な大切な家族。
それを守ろうと私も出来る事をするだけだ。
不安定な領の財政を少しでも立て直し、自ら稼いでやる。
莫大な借金がなんだ!抵当自らが叩き返して笑ってやるんだ!
私はこんな安い女じゃありませんってな!!
その為に私はまず片付けなければいけない問題がある。
「重ねてお父様に心労をお掛けするのは非常に申し訳ないのですが」
「…」
そっと抱擁を解き、少し俯きがちに語る私を見るお父様の眼が据わっている。
流石親である。何を言われるのか構え切り替えるのが早い。
「実は私…アロイーズに懸想をしているのです」
「ちょっと待て」
待てと言われて待つような娘じゃないのはお分かりでしょうに。
「恋の話は母親とするものじゃないのか!何も聞いて無かったぞ俺は!」と怒鳴り散らすお父様に「初めて言いましたもの」とペロリ言い返せば、それはもうがっくりと肩を落として狼狽された。
ピンチヒッターとしてお母様を呼び出そうとするお父様は英断だが、そこはあれこれ言い募って阻止させてもらった。
「だってお母様に知られたら根掘り葉掘り聞かれて恥ずかしいもの」
とか言いつつ、実際は嘘がすぐにバレるからである。
だってお父様だってめちゃくちゃ疑っているのに、これで鋭いお母様にまで知られたら確実に企みを吐き出させられてしまう。
それは困るのだ、非常に。
何たって私の今後の生死に関わるかもしれないのだから。
何とかお父様を宥め賺し、舌の根も乾かぬ内に誤魔化して、アロイーズと二人きりの対談を実現することに私は成功した。
「どうしたのリーシャ?」
「まぁまぁそこにちょっと座って」
「うん」
一応、「婚約者が出来る前に想いだけは伝えたい」という体を取っているのでソファーに並んで座る。まぁ普段は見張り役も兼ねているマノンやアロイーズの侍従も席を外しているので誰の目にも映りはしないのだが。
こういうのは扉に誰か引っ付いてるのがお約束である。
向かい合うように座って話せば、声が聞こえてしまうかもしれない。
そういうところには気が回るのだがなぁ。
私の危機意識は普段はサボりがちである。
「担当直入に言うね、アロ」
声を潜め顔を寄せる私に、アロイーズが怪訝な顔をする。
此処で頬を赤らめるなど可愛らしい事は全く起きないのが私達である。
普段からこの距離感で話すのに慣れているからな。
「私は将来、婚約者の公爵令息のトラウマになるの」
「…は?」
「それを四歳の時に知ったの」
「…え?は?いや…それって」
「そのトラウマ的出来事は、恐らくアロが見た夢の内容だと思う」
寧ろそれしか無いだろう。
何故ならぐちゃぐちゃになって死亡するのだから。
もしかして公爵令息も巻き込まれて負傷したから葬儀に出席していなかったのかもしれないな、と今更考え付いても口にはせず、じっとアロイーズの瞳を覗き込む。
彼はぽかりと口を開いたまま暫く動かなかった。
「…夢の内容、もしかして忘れちゃった?」
「リーシャじゃあるまいし!あんなの忘れられないよ!」
「声大きい!」
言い分は後で言及するとして、思わず声を張り上げた彼の口を両手で塞ぐ。
黙って目を瞬くアロイーズが落ち着くように、敢えて私は声を潜めた。
「私、来年にはどうやらその公爵令息の婚約者になるみたいなの。
アロが見た夢は予知に近いのだと思う」
「……」
そっとアロイーズが私の手に触れ、外すように促す。
されるがまま覆いを無くせば彼は神妙な面持ちで口を開いた。
「公爵令息って、どこの」
「ネウストラ公爵家」
「よりによって…」
「ほんとだよね」
項垂れるアロイーズに私も肩を竦めて同意を示したが、何とも言えない視線を寄越されただけだ。
「つまり、僕が見た夢はリーシャの未来に起る事の原因だったという事?」
「私が見たのが結果というか、アロの夢の先の未来なのかもね。
まぁトラウマになった時点で私は死んでいるのだからそうなるのかも」
「やめてよ…そんな、軽々しく」
ぐっと眉間に皺を寄せ口を噤めば、顎までくしゃくしゃにして可愛くない顔をアロイーズがするのが何だかとても愛しくて、思わず抱き締めた。
彼もそれを求めていたかのように自然と私を強く抱き返し、肩に顔を埋める。
「…夜会の時、確認したじゃない」
「あの時だって手洗いで泣いて、護衛を誤魔化すの大変だったんだよ」
「知らなかった」
「知られたくなかった」
クスクスと笑う私を詰るように、彼は更に肩へ頭を押し付けた。
その背を何度も撫でて宥める度に心が温かくなるのが不思議だった。
「あれからも色々と聞きたかったのに中々時間取れないんだもの」
「そうだね、リーシャからも何も言われなかったし」
「言っておくけど忘れていた訳じゃないからね?」
「はいはい。それで何か調べるって言ってたのはどうなの?」
「…」
「忘れていた訳じゃないんだよねリーシャ」
先程までの可愛いアロイーズは何処へやら。
もういつも通りに私を窘めるしっかり者の顔をしていやがりますなぁ。
「さっきも言った通り、元々私が思い出したのは『公爵令息のトラウマ婚約者になる』って情報だけだったのよ。
アロが夢の事を教えてくれなかったらもっと慌ててたと思う」
「…それ、さっきも言っていたけど可笑しくない?」
「ん?」
小首を傾げ、アロイーズが何に引っ掛かっているのか分からないと示せば、彼は少し言葉を纏めるように再度私に流れを確認し始めた。
「『公爵令息のトラウマになる』原因は十二歳の馬車事故だと思っている、と」
「うん」
「その事故で亡くなったリーシャに、一体誰がトラウマになった事を教えるの?」
「ああ…」
そうか、普通はそうだ。
私は下手に前世の記憶があるから転生モノかと仮定してしまっていたが、この現世で生きる人からしたらそれも異常なのだ。
アロイーズにその事も話すべきかどうか私が迷う間も無く、彼が言葉を続ける。
「僕の夢は、まるで生まれる前から知っていた事のように、覚えていた事のようにふと浮かび上がった意識みたいなものだった。リーシャは違うの?」
「私は転んだ瞬間に、思い出したというかそういうものだと知った感じ」
「夢で見た訳じゃないんだね」
「寧ろ映像付きで知っているアロが凄いと思ったよ」
本当にこの差は何だろう。
魔法の才能とかなのだろうか。
「…手紙には書かなかったんだけどさ」
「うん?」
「あの夢を見た時、映像以上にね…『忘れちゃいけない』って僕が思っていた」
今度は私がアロイーズの言葉に引っ掛かりを覚える。
『僕が』とはどういう意味だ。
「『僕が』っていうのはアロじゃないの?」
「僕だよ。僕だけど…未来の、僕?
ごめん、そこはちょっと自分でも良く分からないんだけど」
「ううん…私のへっぽこな記憶よりよっぽどしっかりした情報だよ。ありがと」
本当にアロイーズ様々である。
彼の情報が無ければマジで詰んでいた事案であった。
十二歳で事が起きると分かっているから悠長に構えていたのもそうだし、やはり話せると情報の整理が出来る気がする。
「ところでオリアーヌは似たような夢を見ていないの?」
「聞いた事無いな。少なくともリーシャや僕に関わる事なら絶対話すと思うし、そういう夢は見ていない可能性が高いと思うよ」
「そっか…」
「こうして僕だけ呼び出したって事は、まだオーリには秘密?」
頷きだけを返せば、アロイーズも神妙な面持ちで小さく首肯した。
「そうだね…今の緊張状態ですらオーリは辛そうだから」
「ま!十二歳で事故が起きるって分かったから回避した後にでも話すよ」
「そういうところは本当…リーシャらしいというか」
苦笑するアロイーズに私もくすくすと喉を鳴らし、何でもない事のように軽くその肩を叩いて励ます。
当の本人がこれだけ軽く構えて居られるのもキミが居るお陰だよ。
それが伝われば良いな、とにっこり笑えばアロイーズも控えめに微笑む。
「ラン兄様やレム兄様にも言って無いの?」
「家族に言える訳ないよ。回避して見せるつもりだし!」
「どうしようも無くなったらちゃんと相談するんだよ?」
「その辺りの塩梅は得意だから安心してよ」
こうしてアロイーズという協力者をしっかりがっちり捕獲しているのを御覧よ。
そうだよ、キミはもう私の死亡回避を助力してくれる仲間だ。
元より否は無いのだろう、アロイーズは特に何もそこには触れなかったが、やはり先程の疑問がまだ燻ぶるようで怪訝な面持ちで呟く。
「でも本当、変な話だよ。予知というか、未来から託された情報ってこんなに断片的な形で齎されるものなのかな」
「他の人にも聞いてみる?『予知夢見た事ありますか?』って」
「やだよ」
そうであろう。
だからこそ得ている情報だけで立ち向かわなければならない。
ただ私の場合は、死ぬ時期も原因も分かっているのだ。
未来が近づいて来る足音が聞こえるものの、まだ緊張感が無いのはそれが大きい。
それにまだ七歳だ。五年もある。
「ねぇリーシャ」
「んー?」
「僕はちゃんと覚えているからね。だから、助けに来るよ」
まだまだ先だとのんびりしているのは私だけで、アロイーズはもうすぐそこに起きる事として捉えてくれているのか、真剣な面持ちで約束してくれた。
もうその言葉だけで充分、生き残れる気がするから不思議だ。
いつの間にか握ってくれていた手を、私も強く握り返す。
「ありがとう…アロが協力してくれるならもう恐いもの無しだね!」
「十二歳なんてあっという間に来るんだからね?」
本当に分かっているのかと人の危機感を刺激するような言葉を零すが、繋いだ手の温かさが心地良くて、安心出来て、申し訳ないがこっちに全く響かないのだ。
私がいつまでもへらへらしているのは窘めるアロイーズ側の不手際である。
厳しさが足りんなキミは。
「ところでどうやって僕を呼び出したの?」
ふと彼は、呼び出された際にオリアーヌが付いて来なかった理由を私に尋ねた。
どうやら侍女に何か耳打ちされた彼女が妙な顔をしていたそうだ。
その様子が見ても無いのにありありと思い浮かび、私は思わず声を上げて笑う。
「あはははは!だろうね、うん!」
「えー…何言ったの?」
「大した事じゃないのよ?
お父様にね、『婚約する前に、密かに想っていたアロに気持ちを告げたいです』ってお願いをしたの」
「は?」
多分今のアロイーズの顔は耳打ちされたオリアーヌと同じ顔をしている。
私が想像した通りの表情をするものだから、また可笑しさが募ってお腹を抱えて一人で笑い転げる。
「それで伯爵、言う通りにしたの?」
「ねー?ちょっとお父様には可哀そうな事しちゃったな」
「…リーシャのバカ、考え無し」
「なんでよぉ」
我ながら素晴らしい閃きだと思ったのに。
アロイーズは深い溜息を吐きながら頭を緩く振るばかりだ。
「一度だけの切り札の使いどころは絶対今でしょう?
今後、ネウストラ公爵家と我が家に縁が出来たらアロ達は近づき辛いでしょ」
「そうだけどさ…はぁー…これじゃ助けにも行けないじゃないか」
「ちょっとどういう事?」
未だにアロイーズが項垂れる意味が分からず私が顔を顰めると、寧ろ彼の方が険しい顔をして私を見た。
「あのさ、婚約した娘が懸想していた相手を親が近づけると思うの?」
「…」
「今まで通りの、事実友人として接してくれた方が何かと立ち寄れるよ」
「……」
「これじゃあ気軽に手紙も書けなくなるじゃないか、バカ」
「………仰る通りです」
「リーシャの考え無し」
「はい、考え無しでした」
やっと自分が目先に釣られ下手を打った事に気付けば、これだからとアロイーズは天井を仰いでソファーに深く凭れかかった。
力になろうと思った矢先、出鼻を挫かれる遣る瀬無さは良く分かる。
私も最近それを実感したからな。
なのにやらかしているのは何だろうな、本当。
「ごめん、アロイーズ」
「いや…僕も言い過ぎた、ごめんねリーシャ」
良い奴だなアロイーズ。
キミは全く悪くないじゃないか、寧ろ正確にこれからの課題を挙げてくれた優秀さを私にも分けて欲しいよ切実に。
「今後、手紙は送り辛くなるのは仕方ないとして。
どうにか出来るように考えるし、ネウストラ公爵家についても調べるよ」
「ありがと…でも何で公爵家についても調べるの?」
「だってどう考えてもこの婚約、可笑しいと思わないの?」
「思う」
「リーシャぁ…」
思うならそのままにせず何か調べろと小言を言いたげな視線を笑って誤魔化す。
アロイーズは誤魔化されてくれないので懇々とその理由が語られる。
「ネウストラ公爵家はストラス領に別荘を持っていないから僕らも来ていた。
でももしかしたら、僕らが毎年来ているって情報が向こうに届いて何か企んでいるのかもしれないだろう?」
「その言い方、ほぼ企んでいる前提っぽいよ」
「ああ、辺境領の考え方していた」
「こわー」
ストラス領はもっと暢気である。
へー、凄いな公爵家までウチに別荘構えるんですかぁ。
是非楽しんで下さいね、くらいなものである。
こんな状況で無ければだがな。
「それこそ最悪、ストラス家を巻き込むかもしれない。
というより既にその方面から手を回されているからこその婚約かも」
「ぐぇーやり口が貴族のそれぇ」
「でもこれも推測に過ぎないから、だから調べるんだよ。
と言っても可能な限りだけどね」
そう締め括り、アロイーズは立ち上がる。
私もそれに従い一緒に扉へと向かう。
「リーシャ」
「ん?」
「もう一人で抱えないでね」
扉の側で、そんな事を彼が呟く。
外に居る人にはどんな風に聞こえるのか、ちょっと聞いてみたくなるな。
「ありがと、アロ」
私も心からの感謝と喜びを込めて彼の名前を呼んだ。
どうにか引き離される仲良し感を出せていれば良いのだが。
まぁ事実、我々は三つ子であるにも関わらず今後は引き離されてしまう運命なのだろうけれどな。
寂しいなぁ。やだなぁ。
何となく物言いたげなオリアーヌの視線を感じながらも、その数日後に双子はストラス邸を後にし別荘の滞在も程々に辺境伯領へと帰郷した。
別に、今年はネウストラ公爵家が来る訳じゃないからもっと居れば良いのに。
そう思う寂しさを押し留めて二人を見送る私はさぞ失恋に打ちひしがれるご令嬢の姿に見えた事だろう。
多分、良く分からんが。




