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31.お礼と正体

「あの夜、私を部屋まで運んでくれてありがとう。

おかげで凍えずに済んだわ。」


「……別に。」


まずは彼女に感謝を告げた。

とにもかくにもティファがいてくれたから

私はあの夜にキッチンで凍えずに済んだのだ。

もしあの時間のあの場所に誰もいなかったら、

今頃私は冷たい抜け殻になっていただろう。

それだけ危ない状況だった。

私の感謝の言葉に彼女は短く返し、

バツが悪そうに顔を逸らす。

多分、それが彼女の癖なんだと思った。

何か自分にとって隠したいことや

触れられたくないことがあると、

ティファはこうやって顔を逸らすのだ。

普通なら他人の敏感なところに

触れるべきではないのだが、

しかし今の私は彼女の心へ

土足で踏み入ってでも聞きたいことがある。


「ねぇティファ。どうしてあの時、

私が倒れたことに気がついたの?」


考えてみればおかしなことだ。

夜、それも真夜中の寝静まった時間に

寝室から離れたキッチンで誰かが倒れても、

それに気づくのはほぼ不可能だ。

あんな時間に起きていること自体が

普通のことではないのだから。

しかもわざわざキッチンまで来るなんて、

他に何かしらの理由がない限りありえない。

その理由を私は聞かなくてはならない。

そして、ティファであればその理由を

変に誤魔化すのではなく、

正直に話してくれるだろうと思った。

あくまでも私の直感でしかないけど。


「……。」


言葉を選んでいるのか。

それとも話すべきか悩んでいるのか。

ティファは難しい顔をしている。

私は彼女が話してくれるのを

何も言わずにただじっと待っていた。


「あんたは、突拍子もないことを言われても

信じることができる人間か?」


やっと口を開いてくれた彼女の言葉には

疑念の感情が渦巻いていた。

突拍子もないことというのが

具体的にどれほど突拍子のないことなのか、

それが分からない以上は何とも言えないが、

少なくとも私はつい最近妖精と出会っているので、

多少のことでは驚かない自信がある。

それに、私はこの世界で忌まれる魔力無しであり、

仕えているメイドと執事は双子である。

驚かれるとしたなら、むしろ私の方だ。

しかし、どうしてそんなことを聞くのだろうか。


「信じると思うわ。私、変わり者だから。」


あれはいつのことだっただろうか。

リーゼに言われたことがある。

私は貴族の中でも変わり者だと。

最初はそれが魔力のことを

言っているのだと思ったのだが、

どうやらそうではないようだった。

では何が変わっているのかと聞いても、

リーゼはその理由を詳しく言ってくれなかった。

ただ、他の誰よりも純粋で、

不思議な空気を纏っているという。

結局リーゼが何を言いたかったのか

今となってもよく分からないのだが、

ティファの気持ちに応えるには

私が普通の人では信じないことでも

信じる人間だと言うしかない。


「……そうか。」


私が彼女のことを信じると言っても、

すぐには言葉を続けなかった。

それほどまでに異質なことなのか。

それともまだ迷っているのか。

私はまた何も言わずに待った。

そして、彼女が静かに目を閉じて再び開いた直後、

私はその存在を初めて現実として認識した。


「もう一度名乗ろう。俺はティファ。家名はない。

ここから更に北の果ての小さな村で産まれた、

この世界にたった一人の吸血鬼の生き残りだ。」


背中に生えたコウモリのような翼、

真紅の瞳に宿る斜め十字の黒い瞳孔、

闇夜をも喰らうような鋭い牙。

彼女の言葉をそのまま用いるなら、

私の目の前にいる彼女はそう、吸血鬼だ。

妖精と並び、古の時代から生きる遺物。

普段は暗い洞窟や地下に潜み、

夜になると人間の住む街や村で

生き物の生き血を吸うという怪物。

本で読んだ吸血鬼はまさに強面で

彼女のようにかわいらしくはなかったが、

それでも彼女の翼や牙を見てしまえば、

ほとんど他に疑いようなんてない。


「……本当に驚かないんだな。」


私は言葉を失っていた。

ある程度身構えていたとはいえ、

まさかティファが吸血鬼だなんて思わなかった。

だって吸血鬼といえば、

人間も襲う恐ろしい怪物という印象しかないのだ。

しかもそれはあくまでも本の中の話であり、

実在するだなんて想像もしていなかった。

妖精と直接言葉を交わした私ではあるが、

更に吸血鬼にまで会えるなんて

余程の奇跡でない限りありえないだろう。


「…ごめんなさい。正直に言うととても驚いたわ。

でも、だからこそ理解できたの。」


今まで感じていた様々な違和感。

それがティファが吸血鬼であることで

全て理解することができた。

好みという言葉で片づけられる趣味嗜好や自我。

それをお母様が切り捨てずに

彼女の中に残していたのは、

ティファが人間ではないから。

人間と同じ枠組みや生活を強いれば、

それだけで彼女の体や精神が

少しずつ傷んでしまう。

それをお母様は分かっていたのだろう。

雪の降りしきるこの季節に

本家の屋敷からこの屋敷に来るのだって、

おそらく普通の人間には厳しい。

最初は彼女の持つ炎の魔法のおかげで

その心配がないのかと思っていたが、

どうやらそれだけではなかったらしい。


「……気づいてあげられなくてごめんね。」


一体、お母様はティファが吸血鬼だと

いつ気づいていたのだろうか。

もしかすると、彼女が吸血鬼だと知った上で

拾った可能性だってある。

どちらにしても、お母様が気づいていたことに

私は全く気づくことができなかった。

私ではまだまだお母様には及ばないらしい。


「別に謝らなくたっていい。

隠していたのは私…いや、俺なんだからよ。」


そうか、これがティファの素なのか。

嘘偽りのない本当の彼女なのか。

ぶっきらぼうな言葉遣いも一人称も、

お母様から教えられたことを守らないのは

それこそが彼女のあるべき姿だからだろう。

とはいえ、自らの正体が人間ではなく

吸血鬼だと語るにはそれなりの覚悟や

確信が必要ではないのだろうか。


「でも、どうして本当のことを

教えてくれる気になったの?」


彼女と出会ってからまだ数日程度の

時間しか流れていない上、

私が直接彼女と関わっていた時間となれば

片手で数えられる程に短い時間だ。

相手を理解し、信頼するには足りない時間で、

どうして彼女は話してくれたのか。


「それは……そうだな。

あんたが元気になった時に話そう。」


二日も休んだところで体調は万全ではない。

風邪というのは治りかけている時が

最も気をつけるべきだと、

幼い頃からお母様に叩き込まれている。


「分かったわ。早く元気にならなくちゃね。」


私がそう言った時にティファが見せた笑みは、

今まで見たどんな彼女の笑顔よりも綺麗だった。

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