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30.真夜中と風邪

この日、夕食の席にティファは現れなかった。

彼女を呼びに行ったシャルルによると、

今は一人にして欲しいと言われたそうだ。

彼女の心に踏み入ったのは私なので、

彼女が自らの意思で出てくるまでは

必要最低限のこと以外に

何かを言うことは避けるようにした。

シャルルは心配そうにしていたが、

普段からあまり言葉を発さないサーには

ティファの心がある程度は分かるようで、

声をかけに行こうとするシャルルを制していた。

そして、みんなが寝静まって屋敷の空気が

凍てつくような寒さになってきた時間に、

私は寝苦しさで目を覚ました。

部屋の中は十分に暖かくしているし、

着ている寝巻きもふわふわのもこもこだ。

寒くて目が覚めた訳ではないようだが、

重くのしかかるような倦怠感が

私の体から離れてくれない。

それに、妙に額が汗で滲んでいる上、

心臓の鼓動が普段よりもうるさい。

もしや、風邪を引いてしまったのだろうか。

この数日の間はほとんど外に出ていないのだが、

体調を崩すとは運が悪い。

ともあれ、今は真夜中だ。

サーもシャルルも寝ている時間。

ティファも仕事を覚えてからというもの

とても働いてくれていたので、

起こしてしまうのは心苦しい。

とりあえず、水分補給をするために

一度キッチンまで下りよう。

月明かりを頼りにしながら

ランプに魔法石を入れ、マッチで火を着ける。

魔力があればこんなことをせずとも

ランプを灯すことができるのだが、

私にはこれしか使えない。


「うぅ、寒い……。」


毛布で全身を覆っているとはいえ、

弱い暖房しかない廊下はまさに極寒の地だ。

幸い、ランプの火が温もりを持っているので

廊下で凍えることはなさそうだが、

それでもこの寒さは身に染みる。

そして、いつもの倍以上の時間をかけて

なんとかキッチンに辿り着いたはいいものの、

水を手に入れるためには

専用の魔道具を動かす必要があり、

しかもそれを温めるには

また別の魔道具を動かす必要がある。

動かし方は分かるし、手も届く。

しかし、体に全然力が入らない。

あの取っ手を少し捻るだけでいいのに、

目の前にあるのが大きな石の扉に思えた。


「あ……。」


毛布のせいで足がもつれて、

音を置き去りにしながら体が倒れる。

その拍子にランプも落としてしまった。

赤い光と熱を帯びていた魔法石も、

ランプの外へ出てしまっては効果がなくなる。

少しずつ温もりがなくなっていく。

立ち上がらなくてはならない。

このままこんな所で寝てしまったら、

確実に凍えてしまう。

なのに、指先を動かすのが精一杯で、

立ち上がるなんてとても出来そうにない。

寒いのに、体が熱い。

まさかこんなに酷い風邪だなんて思わなかった。

少しずつ目も霞んでいく。


「お、おい!あんた、大丈夫か!?」


目を閉じかけたその時、

私の耳に聞き馴染みのない声が届いた。

ぶっきらぼうで愛想のない、彼女の声。

抱きかかえられて、体を揺すられる。


「熱があるじゃねぇか。おい!返事をしろ!」


あまり大きな声で叫ばないで欲しい。

頭が割れそうな程に痛くなるから。

それに、そんなに体を揺らさないで欲しい。

気持ち悪くなってしまうから。

しかし、彼女が来てくれて良かった。

これでサーを呼ぶことができる。

揺すられる体で必死に視線を動かして、

私は視界の隅にそれを見つけた。

そして、どうにか力を振り絞って指を向ける。


「何か欲しいのか?どれだ?どれが欲しいんだ?」


違う、その瓶じゃない。

もっと右にある青いリボンのついたベル。

それを鳴らして欲しいだけ。

調味料でもお酒でもなくて、

ベルを鳴らしてもらえたらそれだけでいい。


「お、おい!目を閉じるな!」


まだ目は閉じていない。

私はまだ意識を手放していないから。

お願いだから、青いリボンのベルを鳴らして。

そうしたらサーが来てくれるから。


「なあ!おいって!」


―――――――――――――――――――――――


冷たい感覚が額に乗った。

それだけで体が少し楽になる。

目を開けると、太陽の光が差し込んできて

すでに朝になっているのが分かった。


「お目覚めですか、お嬢様。」


この声は聞き馴染みがある。

私のことが大好きなメイドだ。

彼女の力を借りながら体を起こすと、

ここが私の部屋であることに気がつく。

しかし、それだと私の記憶が繋がらない。

昨日の夜、私は部屋を出てキッチンに行った。

帰ってきた覚えはないのだが、

どうして私は部屋にいるのだろうか。


「お嬢様は夜にキッチンで倒れて、

ティファちゃんが部屋まで運んでくれたんですよ。

すぐに私やサーを呼んでくれても良かったのに

朝まで看病もしてくれてました。

でも、お嬢様の期待に応えられなかったと

昨日からずっと落ち込んでます。」


私が何かを言う前にシャルルは教えてくれた。

朧げだった記憶が少しずつ蘇ってきた。

私は真夜中に目を覚まし、

水分補給をするためにキッチンへ行った。

しかし途中で力尽きてしまい、

後からキッチンへ来たティファが

私の体を抱きかかえてくれた。

サーを呼ぶための青いリボンのベルを

鳴らしてもらおうとしたのだが伝わらず、

結局ティファは私を部屋に運んだ。

……ということらしい。


「そう…ティファが……。え、昨日から?」


「はい、昨日からです。」


昨日、というのは昨日のことだろうか。

いや、それ以外に何もないだろう。

ということは私は丸一日以上寝ていたのか。

やはり最初に思っていた以上に

酷い風邪を引いてしまったようだ。

その間もずっと看病をしてくれていただろうし、

みんなには感謝しなければならない。


「…お腹が空いたわ。」


ともあれ、ずっと寝ていたこともあって

お腹の虫が叫び声をあげている。

まだまだ体は重く気分は優れないが、

何か食べて薬を飲まなくては、

治る病気も治らないだろう。


「分かりました。すぐにご用意しますね。」


その後、サーが作ってくれた野菜のスープを

少しずつ飲んでから薬を飲んだ。

具材の原形がなくなるまで煮られたスープは

体を内側から温めてくれて、

心做しか少し元気になった気がする。

そして、もう二日程ゆっくり休んで

ある程度の体調を戻した私は

ティファを呼んで二人きりで話をすることにした。

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