26.ベルと音階
お昼過ぎ、何の応答もしてくれない魔道具を
指でいじりながらテーブルに突っ伏していると、
どこからかピアノの音色が聴こえてきた。
駆け足のように速い拍でありながら、
一音一音丁寧に弾かれている。
「シャルルがサボってるのかしら。」
今の時間帯はサーもロアンも屋敷の
手入れで忙しいはずだ。
なら、ピアノを弾いているのは
仕事をサボっているシャルルだろう。
彼女にしてはいい演奏だと思うが、
音楽家として食べていける程の実力ではない。
しかし、雪が積もって外に出られない今、
気分転換にピアノを弾くのもいいかもしれない。
「少し休憩しよっと…。」
「失礼します。お嬢様、お茶が入りましたよ。」
「……え?」
私もピアノの部屋へ行こうと
椅子から立ち上がったその時、
ドアが開かれてシャルルが入ってきた。
まだピアノの音色は聴こえる。
ピアノを弾いているのはシャルルではないのか。
「シャルル…?あなたじゃなかったの?」
「はい?何の話でしょうか?」
「ピアノの音、聴こえるでしょ?
私、てっきりあなたが弾いてるのかと思ったのに。」
「ピアノでしたら、弾いているのは
新人メイドのティファちゃんですよ。
お屋敷の案内をしている時に興味を持ったみたいで、
先程ロアン爺に許可をもらっていました。
あっ、お嬢様にもお許しを得た方が良かったですか…?」
「ううん、全然いいよ。
ただ少しだけ気になっただけだから。」
そうだ、先日からこの屋敷には
もう一人のメイドがいるんだった。
まだ完全に打ち解けた訳ではないが、
性根の真面目そうな彼女の趣味が
音楽であることはそれほど意外に思わなかった。
窓から太陽の温もりが差し込むあの部屋で、
彼女はどんな表情でピアノを弾いているのだろうか。
「音といえばお嬢様、ティファちゃん用のベルを
決めなくてもよろしいのですか?」
ティファ用のベルか、確かに決めていなかった。
この屋敷では耳の遠くなってしまったロアンを除き、
サーを呼ぶ時とシャルルを呼ぶ時で
鳴らすハンドベルの音階が違うのだ。
サーのベルはファ、シャルルのベルはミと、
それぞれが最も耳に馴染むという音で
二人を呼び出すことができる。
ここが普通の屋敷であったなら、
ベルを鳴らしたところでその音を
正確に聴き取るのは難しいだろうが、
私たち以外に人のいないこの屋敷では
ベルの音も皿を割る音もよく響く。
「そうね、決めておきましょうか。
シャルル、残りのベルとティファを呼んできて。」
「はい!かしこまりました!」
再び魔道具を触りながら待っていると、
ピアノの音が止んで少し過ぎた後に
シャルルがティファを連れて戻ってきた。
ただ、まだこの屋敷に慣れていないのか、
呼び出したティファの表情は硬く見える。
「何か御用ですか……?お、お嬢様。」
「うん、とても大事な用よ。」
シャルルの方に目線をやると、
彼女はテーブルの上にベルを並べた。
ミとファの二つの音階を除いた五つのベル。
それを見たティファは、首を傾げている。
「もう分かってると思うけど、
このお屋敷には私たちを含めても
五人の人間しかいないの。
広いお屋敷に少ない従者しかいないから
毎日手入れで忙しいし、私も気分屋で
いつも同じ場所にいるとは限らない。
だから、私が必要とした時に音階の違うベルを
鳴らしてサーかシャルルを呼ぶことにしているの。」
私が説明するとティファは目を丸くした。
ベルを鳴らして人を呼ぶこと自体は
お母様のいる屋敷でもやっているし、
別段珍しいことでもないのだが、
それはあくまでも『近くにいる誰か』を
呼ぶことを目的にしているので、
特定の人物を呼ぶことを前提としていない。
それに、音階で呼ぶ者を区別しているということは、
呼ばれる側にも音感がなくてはならないのだ。
いくら音の響きやすい屋敷だからといって、
いつ呼ばれるかも分からない音を
常に気にしておく必要があるなんて、
あまりに神経をすり減らしそうではないか。
…そんなことを言いたげなティファを見て、
私も過去の自分の考えを思い出す。
初めてベルによる呼び出し方を
サーとシャルルから提案された時には、
私も全く同じことを思ったのだから。
「ピアノが弾けるなら音感もあるんでしょう?
どう?ティファはどの音がいい?」
「えっと…わ、私は……。」
ティファは困惑の色を見せた。
急にどの音がいいかなんて言われたら、
私だって困惑してしまう。
それに、もしベルの音を聴き逃してしまえば、
それは主からの命令を無視することになる。
厳しい貴族の屋敷なら故意でなくとも一度の
命令無視や苦言を呈しただけで
屋敷から追い出されることだってあるのだ。
もし自分の呼び出しに気づかなかったら、
と考えるだけで足が竦んでしまうだろう。
「少しだけ確認をしてもいいか……いい、ですか?」
「もちろんいいよ。何を確認したいの?」
私が問い返すと、ティファは五つのベルとは
違う場所に置かれたベルを手に取った。
ファの音階を鳴らすベルだ。
そして、チリンチリンと振る。
「失礼致します。お嬢様、いかがなされましたか。」
「はやっ!?」
ベルを鳴らして数秒もしない間に
部屋へやってきたサーを見て、
ティファの驚愕のあまり声をあげた。
どうやら、ベルを鳴らしただけで
本当に彼らが来るのか試したかったらしい。
「ティファにベルの話をしていたの。
サーは今まで何をしてたの?」
「はい。私は先程までキッチンで
食材の在庫を確認しておりました。
住人が一人増えたことで、
冬を越える前に買い出しに行く必要がありそうです。」
この国の冬は長い。たった一人増えただけでも
最初の採算と合わなくなってしまう。
ティファがお母様から預かってきた荷物には
それなりの額のお金も入っていたので、
これで帳尻合わせをしろということだろう。
「そう、ならお買い物を兼ねてティファを
街に連れて行ってあげるといいわ。」
「はい!はい!街なら私行きたいです!」
「シャルルはだめよ。
あなたに任せると余計な物まで買ってくるんだもの。
お買い物はいつも通り、サーに任せるわ。
それでティファ、確認はできた?」
サーを呼ぶためのベルを鳴らしたのは、
本当にこんなただのベルの音で
来ることが可能なのかティファが
確かめたかったからだ。
少し話は逸れてしまったが、
本来の目的は達成できたはずだ。
「あ、あぁ……。」
ただ、ティファはすぐには受け入れられない様子で、
しばらく何かを考えたり、シャルルとサーへ
交互に視線を向けたりした後で、
シの音階を鳴らすベルを手に取った。




