Episode 31
「おかえりなさいませ、旦那様。」
「ああ。やはりこちらに戻るとホッとするな。皆んな、変わりはないかい?」
「はい。」
マルセル公爵一行がマナーハウスへと到着したのは、夕暮れ近くのことだった。
「お父様!」
「ああ、カティ、会いたかったよ。」
しばらく振りの娘を嬉しそうにハグすると、公爵は少し膝を曲げ彼女の顔を覗き込む。
「うん、また綺麗になった。私の娘はどんどんと綺麗になってしまって困ってしまうよ。」
「もう、お父様ったら、またそのようなことを……。」
そんな微笑ましい父娘の再会に、待ちきれずにいる麗しい声が届いた。
「失礼、マルセル公。ぜひ私にも、そちらの美しいお嬢様にご挨拶をさせていただけませんか?」
「これは失礼を、ルイ殿下。娘とは学園で?」
「はい、同学年ですので。数週間振りですね、レディ・カティアローザ。」
公爵の横からスッと一歩前に出たルイが、カティアローザの左手に形だけのキスを落とす。
「ルイ殿下、お待ちしておりました。」
淡く色づくカティアローザの頬。どこまでも優しく彼女を見つめる彼の琥珀。
父としてはなんとも複雑そうながら、それでも穏やかにそんな二人を見ていた公爵がニッコリと口を開いた。
「セドリック、ユリウス殿下や皆様は離れかい?」
「左様でございます、旦那様。」
「ルイ殿下、もしお疲れでなければ、夕食までの時間離れでご学友達と過ごされてはいかがですか?」
「そうですね、是非。」
「カティ、殿下をご案内して。離れは学園のお友達で気楽に使いなさい。」
「はい、お父様。」
父の小さなウィンクを見たカティアローザが嬉しそうに返事をする。
──ありがとう、お父様……。
二人が離れに着くと、アーネストは図書室に、オスカーは剣の稽古に行っていて、ユリウスとシャーロットがソフィーに見守られながらチェスをしているところだった。
「これは、これは。ユリウスとチェスなんて凄いね。」
飄々としたその声に、ユリウスが振り返る。
「ルイ。いつ着いたんだい?」
「ついさっきな。」
「シャーリー、こちらはトルスト王国第三王子のルイ殿下よ。留学生としてベッドフォート学園に通っていらっしゃるのはご存知かしら?」
「はい。存じております。」
「殿下、こちらはブライア男爵令嬢シャーロットですわ。」
緊張気味に立ち上がりカーテシーをするシャーロットに、ルイは実に気さくに話しかけた。
「君が噂の聖女様か。よろしくね、シャーロットっ。」
──うわぁ、比べちゃいけないんだろうけど、ルイ殿下が一番小説のままだ……。王子なのに、軽っ……。
「ルイ、いきなり名前で呼ぶなんてどうかと思うよ。」
──それをユリウス殿下が言うのですか!?
「そう怒るなよ、ユリウス。嫉妬はみっともないぞ。」
「えっ?」
「怒っているのは、僕じゃなくて彼女じゃないかな?」
一瞬『彼女』が自分のことだと思い慌てて否定しようとしたシャーロットは、ユリウスの視線が自分の隣にあるのに気付いてハッとする。
──カティ様?
泣きそうになりながら必死に『公爵令嬢カティアローザ』であろうとしているような、今まで見たことのない表情の彼女は今、ただの女の子だった。
ふいに真剣な眼差しを宿して、ユリウスはルイに向き合う。
「君の宝物に辛い想いをさせてしまい、本当に申し訳ない、ルイ。」
「ユリウス、お前……。」
「情けないがすぐには動けない。だけど必ずカティにも幸せになってもらう。だから僕に出来ることは何でも言ってくれ!」
ユリウスとルイのやり取りとカティアローザのその様子を、シャーロットは困惑しながら見つめていた。
「何でも……か。じゃあ、ユリウス。早速だけど、カティと二人きりになりたい。」
「っ、ルイ!?何を仰って……っ!」
「悪い、俺も限界なんだ……!」
ユリウスの返事を待つその刹那すら耐えられないと言わんばかりに、ルイはその胸にカティアローザを掻き抱く。
「やっと抱きしめられた!カティ……俺の宝物!」
「………っ………。」
カティアローザの微かな嗚咽。ユリウスは力強くシャーロットの手を取ると、足早に部屋を後にした。
そのまま向かいの部屋を抜けバルコニーへ出ると、空はあの夜のような淡い群青連れてきている。
「あ、あの、殿下?」
「ゴメンね、シャーロット。急に連れ出して。ここなら両方の部屋の間にソフィーがいられる。大丈夫だよ。」
「いえ、あの……。」
あの短い間に、彼は皆んなの名誉が傷付かないようにそこまで考えたのかと感嘆しつつ、シャーロットは繋がれたままの手の熱さに顔がどんどんと火照っていく……。
──そ、外が暗くて、良かった……。
「一年半前、僕がカティと婚約した理由は知ってるよね?」
やがて、何事もなかったように静かに離れてしまった手に寂しさを感じながら、シャーロットはバルコニーの手すりに腕をつき寄りかかるユリウスの隣に立ち、小さく頷いた。
「今、王族の数が少ないこともあって、マルセル公には外交を担ってもらう場面が多いんだ。トルストとの関係が円滑なのは彼の功績が大きいんだよ。」
「そうなんですね……。」
「そんな中、カティとルイは同じ歳ですぐに親しくなったらしい。……秘密だけど、二人とも一目惚れだったらしいよ。」
「うわぁ……、お似合い、ですものね。」
シャーロットの言葉を聞きながら、ユリウスはグッと奥歯を噛み締め俯く。
ユリウスの変化を知っているシャーロットは、隣りにいる彼の苦々しい想いを感じ取り、僅かに彼を盗み見た。
「僕はあんなにも愛し合う二人に……レイニードの公爵令嬢として誇り高い彼女をわかった上でこんな残酷な命令をしてしまった……。」
「殿下……。」
「正直、すぐに解決出来るだろうと高を括ってたんだ。……そして、長期化してもカティやルイの心なんてわかろうともしてなかった。」
自分の手を見つめていたユリウスが、決意したように顔を上げる。滾るような熱を秘めた視線が真っ直ぐにシャーロットを射抜いた。
「でも、シャーロットが僕を変えてくれたんだ。後悔の苦さも、誰かを想うことの辛い痛みも……そんな締め付けられる心まで、感じる全てが愛しくなるんだ。」
「……わ、私……。」
「今僕がこんなことを言うのは、卑怯かもしれない……。だけど。」
「ま、待って……。」
息を呑むシャーロットの両手を、ユリウスの大きな手が包んで捕らえる。
「シャーロット、僕は君が……。」
「……っ!?」
彼のその言葉の先は、アーネストのノックに遮られてしまった。
「殿下、間もなく夕食だそうです。今宵は公爵閣下との晩餐ですのでお召し替えを。シャーロットさんも。」
「は、はい!」
シャーロットは動転しながら必死にユリウスの手を振りほどく。
「シャーロット、待って!」
ユリウスの声に背中を向け、彼女は逃げるように部屋を飛び出した。
──嘘……嘘、なんで?……殿下は……何を……!?
彼女の眼裏に抱きしめ合うカティアローザとルイの姿が蘇る。
「私だって……素直に好きって言ってみたい……、言ってみたいよ……。でも……。」
相手はこの国の王太子なのだ。おとぎ話や乙女ゲームのようにはいかない。
「…………ユリウス様…………。」
大きく揺れる彼女の心の中で何かが渦巻き、誰にも気付かれることなく首元の魔石へと吸い込まれていた。
「だいぶ魔力が充満してきたね、シャーロット……。僕も、最後の支度をしないとな……。」
眠るセシルを眺めながら、ロウエルは呟きを闇に消した……。




