Episode 30
レイニードの夏は軽やかだ。
美琴の記憶があるせいか、夏というとジメッとした空気にうるさいほどのセミの声の感覚が抜けないシャーロットには、この爽やかな陽射しが格別に気持ちいい。
マルセル公爵家のマナーハウスは『湖水の城』と呼ばれ、幻想的な森の中、エメラルドグリーンの澄み渡った湖のほとりに建つ、まさにお城だった。
この城で過ごして一週間。シャーロットはやっとこのおとぎ話に出てきそうな城で、カティアローザやユリウス達と共にいる現実に慣れ始めてきていた。
ペルグラン邸でオスカーと一緒にエルサに乗って散策して以来、シャーロットはアリアの夢を見ることはなくなり、夜もグッスリと眠れている。
「失礼致します、お嬢様。」
マナーハウスを取り仕切るマルセル家の家令・セドリックが、カティアローザとシャーロットがくつろぐサロンへと入ってきた。
彼女達の祖父と言っていい歳で、気品に満ち溢れたロマンスグレーの彼だが、その立場に相応しく隙のない優雅さだ。
「どうしたの?」
「先程旦那様より知らせが参りまして、明日、旦那様とトルストのルイ王子殿下がご到着になるようです。」
「本当に!?」
カティアローザが珍しく、一気に喜びを表情に乗せシャーロットは少し驚いて彼女を見る。
──そっか、閣下はお忙しくてあまり会えないみたいだし、お父様が来られるのは嬉しいよね。
「セドリック、お部屋の準備は間に合って?」
「はい、問題ございません、お嬢様。」
「そう。お忍びとはいえ隣国の王子殿下をお迎えするのよ。粗相のないようにお願いね。」
「承知致しました。」
いつも通り、この屋敷の女主人としてセドリックと会話しているのに、シャーロットにはカティアローザがどこかふわふわと浮足立って見えた。
「それと、アーネスト様がホールにてお待ちでございますよ、お嬢様方。」
そんな彼女を穏やかに見つめ、セドリックがゆったりと告げる。
「まぁ大変。もうそんな時間だったのね。行きましょう、シャーリー。」
「はい、カティ様。」
二人はサロンを出ると、離れにあるホールへと向かった。
「ごめんなさい、アーネスト。お待たせしてしまって。」
「いえ、問題ありませんよ、カティアローザ様。それではシャーロットさん。ワルツの復習からはじめましょうか?」
「はい、アーネスト様。」
レイクキャッスルに到着し、カティアローザが淑女教育としてシャーロットに提案したのはダンスレッスンだった。
レイニードの夏の社交シーズンの締めくくりに、毎年マルセル公爵家で舞踏会が催される。
その舞踏会で貴族令嬢としてダンスを踊ること。それをシャーロットの課題にしたのだ。
そして、アーネストがシャーロットのレッスンパートナー兼講師を務めている。
なんでも、カティアローザ曰く──。
「ユリウス様やオスカーでは背が高すぎて、初心者のシャーリーとは合いませんわ。アーネストでもまだ少し身長差がありますけれど、お二方に比べたら大丈夫ね。」
ダンスの時、女性が履くヒールは5センチから7センチほどある。
そのヒールを履いて立ち、少し背が高いくらいの男性とが一番踊りやすいのだそうだ。
「それに、アーネストのダンスはとてもクラシックで踊りやすいの。常に女性を引き立てるリードをしてくれるのよ。」
「……カティアローザ様、どうかそれくらいで……。」
彼女に手放しに褒められ、アーネストは軽く咳払いをしながら視線を逸らす。本当に微かだが耳が赤く、彼は誤魔化すように眼鏡を押し上げた。
常にユリウスの影となり出しゃばることなく控えているアーネストだが、整えられたミルクティー色の柔らかな髪とヘーゼルの瞳の「美しい」という形容詞がピッタリの青年だ。
そんな美しく冷静沈着な彼が、些細な褒め言葉で照れている……。シャーロットは吸い込まれるように、思わずアーネストを見つめてしまった。
──これは、反則だ……。どうしよう、アーネスト様が、可愛い……!
「私でよろしいのですか?ブライア嬢。」
「はいっ。よろしくお願いします。」
いつも通りの表情を取り戻した彼に言われ、シャーロットは慌てて姿勢を正す。
「シャーロット、アーネストの足を踏まないように頑張れよ。」
そんな硬くなった彼女の肩を、オスカーがからかいながら叩いてきた。
「は、はい。」
「大丈夫ですよ、ブライア嬢。そんな台詞が出るということは、オスカーはきちんとしたポジションで女性をリード出来ていないということですからね。」
「なっ!?」
思わぬアーネストの切り返しにオスカーが慌てだす。
「何でそうなるんだよ。」
「そもそも、ワルツなどきちんとパートナーと組んで踊るダンスのときは……ブライア嬢、こちらへよろしいですか?」
半分以上オスカーを無視した形で、アーネストが説明を始める。
「こうして体を半分ずらすように立って……お互いの体の右側同士がつくようにします。」
遠慮なくシャーロットを引き寄せて教えるアーネストに、不満げに成り行きを見ていたユリウスが思わず口を挟みそうになり、カティアローザはさり気なく割って入った。
「そう。こうやって体がずれていれば、足が重なり合うことはまずないから大丈夫なの。ね、オスカー?」
「……そうですね……。ダンスが苦手な俺は口を閉じますよ。」
意地悪なカティアローザに耳が垂れたワンコのようなオスカー。
大きな彼の小さくなった様子に、シャーロットだけでなくアーネストまで笑いだす。
そんな三人を見ながら、カティアローザは不貞腐れたユリウスの隣に立った。
「これくらいでムキになってどうなさいますの?」
「…………。」
「シャーリーを困らせることは控えて下さいませ。」
「……カティは、僕に手厳し過ぎない?」
「当然ですわ。婚約者ですもの。」
「はぁ、その通りだね。」
ユリウスは己の情けなさを振り切るように軽く嘆息して体を預けていた窓辺の壁から離れると、おもむろにカティアローザの前で恭しく手を取る。
「お手本として、一曲お相手願えますか?婚約者殿?」
「喜んで。」
そうして披露される『王子様』と『お姫様』の眩いまでの華麗なワルツ。
それを見つめるシャーロットの胸を、抜けないままの棘がチクチクと突く。
──もう、認めなきゃな……。
理屈ではなく、ただ、今目の前にいるユリウスという、その人が……。
──私、ユリウス様が……好き……。
この世界で、レイニード王国で、シャーロットは男爵令嬢だ。
今、こうして同じ空間にいられる、それは奇跡のように特別なことで……。
──ちゃんとわかっています。だから、せめて心だけは……。
僅かに噛みしめる唇。
それでも切なさに震える胸の中に、確かにある恋の喜びを、シャーロットはしっかりと感じていた……。




