Episode 29
「お嬢様は随分と馬に慣れていらっしゃるんですね。」
屋敷の裏手にある厩舎へとやって来たシャーロットは、久しぶりの動物とのふれあいに無邪気な笑顔を見せていた。
「父が医師で僻地を巡回していたので、一緒に馬に乗って移動することも多かったんです。」
「そうでしたか。」
ペルグラン家の厩番は、嬉しそうに馬の首周りを撫でている彼女に感心しきりだ。
「あ、もしかしてあの子、オスカー様が乗っていた子かな?」
「左様でございます。よくお分かりになりましたね。」
「うん、優しい目の子だったから……。こんにちは。」
「あっ、お嬢様っ。」
シャーロットが気付いたのは栃栗毛の艶やかな毛並の馬。
オスカーの馬と目が合い、ゆっくりと話しかけながら近付いていく彼女に、厩番は慌てて声をかけた。
「そいつはちょいと気難しく……って、こりゃ驚いた。」
彼が言い終わる前に、シャーロットはその馬に受け入れられ、じゃれ合うように手のひらで穏やかに体を撫でている。
「いっぱい歩いて疲れてない?お疲れ様。」
「レディ・エルサはそんなヤワじゃない。あれくらいの移動は朝飯前だ。」
「オスカー様。」
自分の愛馬と戯れるシャーロットに優しい眼差しを向けながら、オスカーはエルサの飼葉桶に汲んできたバケツの水を入れた。
「貴婦人にこの子なんて言ったら失礼でしたね。ごめんなさい、レディ・エルサ。」
エルサはまるで彼女の言葉を理解し、謝罪を受け入れたように鼻を鳴らす。
「ふふ、可愛い。」
そう言う自分が周りの人達に愛でられていることにも気付かず、シャーロットは厩番からもらった人参をエルサに食べさせご機嫌だ。
「シャーロット、良かったらエルサに乗ってみるか?」
「いいんですかっ?」
オスカーの提案に、キラキラと瞳を輝かせ振り返るシャーロット。
──わかりやすいな、本当……。こんな無邪気な顔をずっと抑えつけてたんだな、俺は……。
「あ、でも……乗りたい、ですけど……私、今この格好だし……。」
「そんなことか。お前を一人で乗せるわけないだろ。」
「えっ?」
「俺の前に乗ればいい。」
「………へ?……。」
きょとんとするシャーロットの目の前で、オスカーは手際よく鞍をつけ、エルサを外へと連れ出す。
「ほら、早く来いよ、シャーロット。」
「は、はいっ。」
颯爽と愛馬に跨ったオスカーがシャーロットの手を引っ張り、彼女の体がふわりと持ち上がった。
夏らしい彼女のロングワンピースの裾が軽やかに風を纏い、ワクワクとしたシャーロットの表情に、オスカーの心でじんわりと熱が広がっていく。
──あぁ……俺は、これで十分だ。シャーロットのこんな笑顔を守り続ける……そのための騎士でいられれば、それだけで……。
「うわぁ、馬上からの景色は久しぶりです!」
「ソフィー、裏の森をひと回りしてくる。カティアローザ様にそうお伝えしてくれ。」
「かしこまりました。お嬢様、楽しんでいらして下さいませ。」
「うん!」
ペルグラン邸の裏手は、丘の上に穏やかな森が広がっている。
「オスカー様。くれぐれもお嬢様をお願い致しますね。」
「わかってるよ、安心してくれ。」
ソフィーには何故か全てお見通しな気がする……。オスカーはそんなことを思いつつ、苦笑と共に返事をしてエルサに出発を促した。
午後の太陽に照らされてはいるが、森の中に入ってしまえば涼やかで、光の雨のような木漏れ日が降り注ぐ。
横乗りしているシャーロットをしっかりと包み込み手綱を握るオスカーの腕は逞しく、彼に言われた彼女は安心しきって体をオスカーの胸に預けた。
──オスカー様と一緒だとホッとする……。
「どうした?シャーロット。ニヤけた顔して。」
「なっ、ひどいです。ニヤけてるなんて!」
「だって本当だろ?」
すっかりお互いが気の置けない存在となっている二人。
エルサの優雅な蹄の音。そよ風が奏でる木々の唄……。
入学以来、シャーロットの中にずっとこびりついたままだった緊張の強張りがスーッと解けていく。
「オスカー様が本当のお兄ちゃんだったら、子供の頃の移動も楽しかっただろうなぁ……。」
「ん?俺はこんな手のかかる妹は勘弁だぞ。」
「もうっ、さっきからひどいです、オスカー様!」
「ハハハっ、シャーロットのふくれた顔が面白くて、ついな。」
更にぷっくりと頬を膨らませたシャーロットが、拗ねてプイッと顔をそらした。
「これは、妹のご機嫌を取らなきゃいけないな。エルサ、行くぞ!」
「えっ?うわっ!」
オスカーに軽く腹を蹴られたエルサが待ちかねたように柔く風を切る。
シャーロットの一瞬の驚きの後、森には二人の笑い声が広がっていった。
◇◇◇
「あれ?オスカーがレディ・エルサにまた鞍をつけて出てきた。」
二階の窓から裏庭を眺めていたユリウスは、その後の光景に息を呑んだ。
「まぁ、シャーリーったらあんなに楽しそうに。良かったですわ、元気になったみたいで。」
翌日の夜会のため、共に衣装合わせをしていたカティアローザが彼の肩越しに外を見遣り、含みを持って微笑む。
「この歪な婚約を命令なさったのはユリウス様ご自身でしてよ。」
「………わかってる……。」
「私とあの方の気持ち、少しは分かっていただけまして?」
「ああ。…………今は、感謝と尊敬しかないよ。」
ユリウスの瞳に揺らぐ隠しきれない嫉妬。カティアローザはその色を嬉しそうに見つめた。
「本気、ですのね?」
「ああ。」
「……早く、終わらせましょう……。」
「そうだね、カティ。」
──そうですわ、殿下。貴方も我儘になっていいんですから……。
「殿下。」
「ん?なんだい?」
「貴方も、ご自身の幸せを求めて下さいね。心を殺すことが務めでは、決してないのですから……。」
仮初の婚約者。しかし、深く信頼で結ばれた同志。
二人は、シャーロットとオスカーが入った緑の景色を静かに見つめていた……。
──ありがとう、カティ……。




