二十六味:変な虫
五月十三日。
いつも通りの電車に乗り、いつも通り八時十分に登校する横田。無意識に親友の机へと目をやる。座っている、いや張り付いているのは九堂智音。未来が行方不明になったことによる失意から三日ほど学校を休んでいたが、九日から再び出席するようになった。
あんなに悲しそうだったのに。どういう心境の変化があったのか。横田には知る由もない。
「よっす九堂」
「おはよう横溝君」
未来の机にマーキングするかのごとくべったり寄りかかりながら、ライトノベルを読む九堂。どこか不機嫌そうな返事。
「横田だけど、その間違え方ならいつでもしてくれていいぞ。刑事っぽい」
「は? うざいんだけど」
ライトノベルから視線を外さず、簡潔に横田を罵倒する少女。未来以外の男子には基本刺々しい態度を取る。未来が側にいれば対応はマイルド化するが。
しかし今日は、かなり虫の居所が悪そうだ。
「いつにも増してツンツントゲトゲしてるわね〜。何があったの? お母さんに相談してみなさいな」
「キモい邪君」
「横田だよっ!」
窓から覗ける校庭では、ラグビー部が試合形式の朝練をしている。性別に関わらず生徒からよく慕われている部の主将が、相手チームのインゴールに突っ込んでいく。
ちょうど横田の叫びと同じタイミングだった。
「俺のツッコミは、得点には繋がらないんだよな・・・」
「何言ってるの? 意味不明だよ」
むしろ失点。ガックリ膝を突きたい気分だが、そうもいくまい。女子のスカートを覗き見ようとしたという冤罪をかけられかねないからだ。
「はぁ・・・」と幸せを逃しながら、自らの席に戻ろうとする横田。
「え? ちょっと待ってよ。相談に乗ってくれるんじゃなかったの?」
「そういう流れだった今の? 『キモい』と言われて門前払いされた気分にならない奴がどこにいるんだよ。都合良過ぎかお前。少しはありがたがりなさいよ」
荷物だけ自分の席に置いて、渋々と九堂の机に戻る横田。
「えっと、お兄ちゃんのことなんだけど」
「! 何か分かったのか!?」
ポケットのスマホに意識を向ける。六日前に会った筋肉質な刑事、林に対して有益な報告が出来るかもしれない。林の背中にかっこいい大人を見た横田は、嬉々として九堂の言葉を待つ。
「これは勘なんだけど・・・。お兄ちゃんに、変な虫がくっついた気配がする」
「さよか」
途端に興味を失い、横田は華麗にターンして少女に背を向ける。少女のヒステリックな妄想に付き合いたくないし、林刑事を付き合わせるわけにもいかない。スルーが一番。
一方、真剣に相談を持ちかけたつもりの九堂智音は、数秒間だけ絶句して。小学生がやるようにあっかんべーの表情をしたのち、「そんなんだからお兄ちゃんみたいにモテたりしないんだよ!」と付け加えた。
「お、おま・・・言ってはならないことを・・・」
「あのね! 女子高生にとって占いはいつか当たるし、スピリチュアルは憧れなのっ! だから勘も重要事項なのっ! あんまりオカルティックなのは気持ち悪いけど! ねっみんな」
九堂が周囲に同意を求めれば、かなりの数の女子が「うんうん」と頷いた。その様子に少し驚くかなりの数の男子生徒たち。
「それが理解出来ないなんて、ありえないんだから!」
少女の言葉は、横田含むモテない男子の心に深々と突き刺さった。クラスの三分の一が項垂れる中、キンコンカンコンと始業の鐘が鳴り、担任が入ってくる。
「おはようございます、今日も元気に授ぎょ・・・なんでもう元気がないの?」
彼女は、至極困惑した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
高校で教えられる数学など、大したレベルではない。しかし、昼休みが過ぎ直後、二時間連続の積分演習は高校二年生には相当堪える。横田は途中で船を漕ぎ始めたし、九堂に至っては最初から机に突っ伏していた。
「積分のあの、間延びしたSみたいな符号あるじゃん」
「インテグラルのこと?」
「そうなの? あれ傾けてさ、上で昼寝したら気持ち良さそうじゃない?」
「あんたまだ寝るつもりなの?」
数学の先生が「今日も皆寝てた・・・」と密かに悲しみながら出て行ったのち。ぐーっと背伸びした九堂は、後ろの友達と楽しそうにおしゃべりする。
「北海くん帰ってきたら怒られちゃうかもよ?」
「うっ、ありうる・・・『勉強してなかった味だ』とか言って徹底補習されるかも」
冷や汗を流す九堂智音。後ろめたい秘密があって、未来にバレなかったことはない。嘘の一つもつけやしない。あの鋭さは頭痛のタネだ。
まぁお兄ちゃんと一緒にいられるならいいか。少女は勉強を諦め、補習コースを採択した。未来が帰ってくること自体には、もはや何の疑いも持っていない。
解散の合図ののち、教室から這い出てくる少年少女の群れ。しかし教室に残って駄弁る連中もそこそこ残る。制服という形で見た目の統一感を強要してくる割には、個々の意思決定の大きな分散に対する日本教育の許容量は多い。
そして、この九堂智音は颯爽と帰る側だ。横田は未来の友達という認識なので、お兄ちゃんもいないのに一緒に歩いたりはしない。ここ最近、学校の方への最寄駅へは女子の友人と歩く。
九堂の隣を歩く女子高生は、精神的にかなり幼い、猫のような挙動をする彼女のことをよく気に入っていた。
世界が変えられたことなど、疑いもせず。
「じゃあね」
「うん」
ただ自宅の方向が違うので、電車に乗るのは一人。スマホを指でスクロールしながら、ボーッと無料web漫画を鑑賞している。そうやって未来のいない寂しさを紛らわせている。
面白いと評価する連載を読み尽くしたのち、無料web小説サイトの方にアクセスしてテキトーに読み漁る。ファーとあくびが出る頃に、自宅から最も近い駅へと到着した。少女九堂は今日も、通学時間に勉強などしない。
席を立ち、軽度の立ちくらみを起こしながら、ふらりふらりとホームに降りる。歩くのが速いとは言えない彼女は、疎らな人混みに置いてけぼりにされながら改札を出た。
周りに誰もいない、独りの帰り道。いつものことだ。慣れた足取りで、家に戻ろうとする。
背後から足音を潜ませて近づいてくる存在に、気づきもしない。
ビリィッ! と全身を震撼させる衝撃が走った。痙攣しながらぶっ倒れる九堂。スタンガンを首元に押し当てられたのだ。髪を掴まれ顔を無理矢理上げられる。口元に怪しい液体を放り込まれた。
「安心してね。気絶する程度のものだから」
呼吸が弱まる九堂は、北海未来の姿を脳裏に浮かばせながら、おぼろげな意識を失わせていく。小柄とはいえ高校生を肩に担ぎ、路肩に止めてある車に運ぶのは、白桃。
斎藤の死体を操った男。
「悪くは思わないでおくれよ。殺しはしないから。依頼されてもないのにそうするのは、ウチのエースが嫌がるからね」
助手席へと、眠る少女を丁寧に座らせる。運転席に移動し、白桃はエンジンキーを差し込んだ。
「さてと。この子をどう使うか・・・」
「ねえ」
ビクリ。白桃は肩を震わせる。隣から聞こえてくる女の声に。意識を失っているはず、なのにどうしてだと。
助手席を覗く。九堂の目は、開いていた。影が濃くて全身は判然としないのに、深い知性に彩られるその瞳は輝いて見えた。先ほど帰り道をぬぼーっと歩いていた少女とは、まるで別人。
瞳孔を縮ませながら、白桃は相手を睨みつける。
「なぜ・・・」
「どうだっていいのよ。そんなこと」
ふわりと笑う少女は、花のように瑞々しく美しく、優雅でさえあった。が、白桃の心は警戒で埋め尽くされるばかり。
サイドに常備している、ミネラルウォーターに手をかけた。
「待ってよ。こっちは丸腰なのに。武器を取るなんてフェアじゃないわ」
冷や汗を流す白桃。どうして彼女に、これが自分の武器とバレたのか、まるで分からない。クスッと小さな音を響かせて、「そんなに慌てないでよ」と呼びかける九堂智音は。
「ねえ、取引しない?」
右手の人差し指を立てて、そう提案した。
作者も元気を失くし項垂れて担任を困らせる、三分の一側です。




