二十七味:さくらんぼ結び
「・・・朝日の『味』がする」
「おはようございます」
五月十一日の朝。蔀美の太腿から頭を起こし、古びたバス停の隅を確かめる。旅館より盗んだリュックサック。あの中に、詰めれるだけの生活物資が入っていた。
立ち上がり、リュックのチャックを開ける。二人分の歯ブラシ、新品の汗拭きシート、ミネラルウォーター二本。山ほどの缶詰。
「よくもまあそんなに。周到で抜け目のない火事場泥棒ですか?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ」
汗拭きシートを一枚抜き取って、顔をゴシゴシと擦る。首元も拭い始めたところで、「蔀美さんも」と中でミルフィーユのようにシートが重なっているだろう袋を指差した。
「失礼極まりないですね。『あなた、臭ってますよ』と言われた気分です」
「実際そうだ」
頰を大きく膨らませたのち、シートの袋をガッとひったくる蔀美。「使い過ぎるんじゃねえぞ」と注意されることでますます不機嫌になる。
「あっち向いといてください!」
「もちろん」
ベンチを囲う壁の向こう側へと、未来は素直に消えていく。覗こうという気概どころか、興味のカケラすら感じない。どこか敗北感を覚えながら、蔀美は上の服を脱ぎ、脇や背中を拭く。
「お清めが済んだら教えてくれ。缶詰飯にするから」
「言い方が酷いです。私の汚れは神道的な穢れか何かですか」
「汗拭きシートよ、祓い給え清め給え」
「うっさいですよ」
気になる所を大体拭き終えた蔀美は未来を呼び寄せ、フルーツ盛り合わせの缶をパカッと開ける。手渡されたスプーンで桃の切り身を掬い取り、モグモグと食べ始めた。
「甘いですね美味ですねぇ」
「美味、か」
未来は苦笑する。「美しい味」。彼にはその感覚が分からない。気にすることなく、蔀美は「昨夜は存在に気づきませんでしたが。私を背負ってたのにどうやってリュックを」と尋ねる。
「前に引っ掛けてた」
「なるほど、ジャンケンに負けて友達の荷物を持つ羽目になった男子がよくやるやつですね・・・ああ。髪の汚れがやっぱり気になります」
「今は我慢するしかないな。どこかに銭湯でもあればいいんだが」
期待出来ないとばかりに未来は首を振る。柔らかい、薄皮の剥がれたみかんだけ入っている缶に口付け、中身を飲むように吸い込んだ。三分の一ほど口内に入れたと思えば、プチプチと食む。
「うふふ」
「なんだよ」
「可愛らしいなあと思いまして。みかん好きなんですか」
「好物だ。特に缶詰のみかんはな。こういう食い方が出来るから」
困ったような顔をする蔀美。「もっと味わって食べればどうですか」と提案する。
未来はまたもや苦笑した。
「多分そこらへんは普通の人と感覚が違うんだろうな」
缶詰を地面に置き、「少し長いが」と前置いて、未来は話を始める。
「以前、俺の友人が言っていた。焼肉の絵を見た途端、その味を思い出す。でも実際に食べているほどには鮮明でない。だからまた食いたくなる。しかし今すぐには無理。次までのつなぎとして、出来るだけ味の記憶を鮮明にするべく、本当に焼肉にかぶりついてる時には味わうのだ」
蔀美はシロップの染みたパイナップルを口に放り込み、果肉を噛みしめた。ジュワッと舌に広がる酸味。未来の友人に共感を抱くと同時に、味をいつもより意識している自分に気づく。
「しかし俺の場合。焼肉の絵を見れば、芳醇な肉汁の暴力的な味、タレの味、辺りに立ち込める肉が焼ける匂いの『味』、重厚な肉を噛む感触の『味』、肉の繊維を舌の上で転がす『味』、肉を噛み切る歯への負担の『味』、焼肉店内を包み込む喧騒の『味』・・・すべてすべて、鮮明に思い出せる。実際に食べてる時と食べてない時の差は、栄養補給してるかどうか以外にない。一回のインプットだけでいい、十分だ。また食いたくはならない。『食ってる今』を特別視して、味わう必要はない」
「はあ」
缶を手に取り、未来は再びみかんを豪快に吸い込んだ。
蔀美には、彼の哲学はよく理解出来ない。ただ、感覚が普通とズレている以上、普通と異なる理念を持つというのは理解出来る。実感してしまう。
「私もですね」
口を開く蔀美。
「違うんだなぁって、思うことはありますよ。凄惨な写真を見てしまったとき、私はその中の、すべての『痛み』を追体験します」
「・・・」
「その写真に映ってる人への世間の人々からの同情のメッセージは、大抵的外れか、一面しか捉えていないことが隅々まで理解出来ます。痛みは人が想像するよりもドラマチックではなく、代わりにもっと複雑なのです」
枝付きさくらんぼの果実のみを口に含む。種だけ分離して、プッと草むらに吐き捨てた。「軸」と未来は呟く。
「そのさくらんぼの軸、貸してみな」
「? はい」
蔀美から渡された軸を、未来は口に入れる。食べるのだろうか、と彼女は疑った。シロップ漬けにされていたのだ、確かに食べられるのかもしれない。しかし人のを取るだろうか。
一分ほど口をもごもごさせ、未来は舌をベロンと出す。その上には綺麗に結ばれた軸があった。蔀美は呆れる。
「器用な舌ですね」
「長年の練習の成果だ。口の筋トレにいいと、とある刑事から言われてな」
「口の筋トレ・・・?」
謎の概念に首を傾げる蔀美の横で、みかんの缶詰を食べ終わった未来は立ち上がり、ミネラルウォーターと歯ブラシで歯磨きし出す。遅れを取るまいという対抗心がなぜか湧き上がってきた蔀美は、急いで缶の中身を掻き込んだ。
二人とも歯のブラッシングを終え、未来はリュックサックのチャックを締める。「よっ」という掛け声とともに背負いあげた。
「さて。ここからどういう方向性で行くかだが」
「どうしましょうかね」
これからの方針。立てないことには、どう動けば良いかの指標も作れない。
「とりあえず議題は決まってるだろ」
「まあ当然です」
二人には、大まかなビジョンがすでにあるようだった。まだ知り合って二日ほどだが、相手がバカではないことは双方ともに分かっている。この状況に応じたベストな方針を選ぶはずだ。
互いに共通の考えを持っている。そう確信した彼らは、いっせーのーせで口を開いた。
「奴らからどうやって逃げるか」
「奴らにどうやって立ち向かうか」
古びた元バス停周りの雑木林を、風が駆け巡る。木々が枝同士をぶつけ合わせる音がざわざわ、ざわざわと不気味に響き始め。
同時に林の中から、ピーピーとうるさい小鳥の群れが二つ、向かい合って飛び出した。




