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二十五味:二匹の蛾


「なんで・・・」

「なんで俺が、艶川元首相のことを憶えているか、だな」


 旅館からパクったという懐中電灯を、決して水平とはいえないコンクリート製の道路の上に置く。五月も中旬、虫たちが活発に動き始める時期だからか、夜行性の蛾が既に二匹ほど、光の上を不恰好に飛んでいた。


「十一日前の話だ」


 南東の星空を見上げながら、懐中電灯より一歩一歩離れる未来。白い明かりが僅かに届くという位置で、静かに立ち止まり。「あれはスピカかな」と目を細めている。


「親父はスピカを見るとビールを飲みたくなるらしい。スピカはギリシャ語で『麦穂の先』という意味らしいから。ただ日本では、真珠星と呼ばれることもある。暗闇の中で白く滑らかに、自ら輝く真珠の美しさは、あの星が証明している。・・・話が逸れたな」


 未来は頭を掻く。ただ、話の流れが一度途絶えたことは、蔀美にとって都合が良かった。この世から消滅してしまったかのような敬愛する自分の父を覚えている人がいる。そのことで混乱し、ヒートしてしまった頭と感覚(・・)を、優しく落ち着かせてくれたからだ。

 それに未来のスピカに対する賞賛の言い回しが、なんとなく気に入った。


「十一日前、友人の父親がいなくなっているのに気づいた。その友人に確認したらウチは母子家庭だと主張して、俺の父親から経済的支援を受けていると言って、俺の家族もそんな認識で。もう訳が分からなかった」


 瞠目しながら、蔀美は後退る。自分もまったく同じだったからだ。父親なんて最初からいないことになっていて、異様な力を怖がって無視するだけだった周りは、父の庇護を失った彼女に明確な差別感情・・・どころか殺意すら、向けてきた。訳が分からなかった。だから蔀美は、逃げ出した。


「一先ず、分からないまま保留にした。保留にして、(くだん)の友人に勉強を教えに行ったら。彼女の家のインターホンを、あの理不尽が押していた」


 理不尽。

 ゴトンと、地面に立ててあった懐中電灯が倒れた。足を当ててしまったらしい。蛾は驚いて、右往左往している。

 「ごめんなさい」と、蔀美は光源を立て直した。


「かんたんな動作一つで、人が消える。理解の範疇にない。理不尽だ。それが俺を追いかけてきた。生きた心地がしなかった」


 ゴクリ、と唾を飲む彼女。蔀美のところにも、来た。感覚が教えてくれる通りに、長時間敵の(・・・・・)視界に映らない(・・・・・・・)よう、無我夢中で、己の全力で反撃した。気味の悪いこの力だが、そうでもしなければ生き残れなかったのだ。最後に、時間切れ(・・・・)で退散した。


 復讐出来なかった。


「北海くんは、生きてますよね」


 異常な力を持つ自分でも、ああまでしなければとっくに消されていただろう。単に頭がいいだけで、デッドエンドを回避出来たとは到底思えない。だのに北海未来は、生存している。蔀美は考える。


「生きて危機を乗り越えるだけの何かが、北海くんには備わっている。私のお父さんのことも、憶えています。あなたにも」


 体の芯をビリビリ震わせる衝撃は、いつもいつも(・・・・・・・)自分を苦しめる。拳を握りしめる蔀美。


「あなたにも、不思議で特殊な力があるのですか」

「あなたに()、か」


 再び、未来は懐中電灯のすぐ側に戻ってきた。「地面ボコボコだな」と言いながら、なるべく安定するよう置き直す。


「いいな。この白い光は、和三盆みたいな『味』がする」

「え・・・?」

「バス停跡は・・・喩えるなら、小豆の『味』。今してる会話の『味』は、少しばかり据えているな」

「ちょっと・・・?」

「蔀美さんの華麗な体術は、ブドウのサイダーみたいな『味』がした」


 端正な顔を楽しそうに笑わせながら、未来は舌をベロンと出し、指で示す。


「普通の味覚に加えてさ。視覚。聴覚。触覚。嗅覚。それらで感じ取ったものが、全部『味覚』にも変換される。何を言ってるか分からないだろう? 俺にも分からない」

「み、か、く・・・」


 自分の舌に意識を集中する蔀美。尤も、未来の言うことはまったく理解出来ない。見たり聞いたり、触ったり嗅いだりしたことが「味」として感じられると教えられても、想像の範囲を超えない。


「記憶としての友人の父が閉じ込められていても、その『味』は『味覚』のリストに残っていた。だから日常に違和感が生じて、違和感をきっかけに封印がこじ開けられて、思い出したんだ。あの理不尽から逃げられたのも、少しでも命の危険があることをすれば、『味覚』が危険を教えてくれたから」


 同じだ。プロセスは違う。でも自分と同じだ。そしてなぜだろう、と蔀美は首を傾げた。

 不便はあるだろう、イロモノ扱いされることもあるだろうに。


「こんな俺を、人は『味覚少年』と呼ぶ」


 どうして彼は自分の父を憶えているのか。その点に関しては蔀美の中である程度合点がいったものの。

 どうして自分の能力を、気味の悪いものだと感じていないのか。どうして自分の特殊で歪な能力を話すのに、少しも疎ましそうにしないのか。新たに疑問は生まれる。

 だからこそ、先ほどの未来の無神経さを、蔀美は許すことにした。蔀美が自分の体術と力を気味悪く感じているなど、彼の発想にはなかったのだろうと思い当たったため。

 半分は理解出来ない。でももう半分は理解出来る「味覚少年」に、蔀美は「あははっ」と普通の高校生のように笑いかける。


「それじゃあまるで。未来じゃなくて『味蕾』じゃないですか」


 瞬間、少年が驚くのを、夜で暗いのも相まって蔀美はまるで気づかない。未来が恐怖しない、差別しないと確信出来たことで。少なくとも彼の前では、自己紹介に萎縮せずに済んだ。


「私はですね。視覚で得た情報と感情に、『痛覚』が伴います! これがあるから、お父さんのことを思い出せました!」

「なっそれは・・・」


 未来の眉が、心配そうに歪む。様々な感覚が「味覚」に繋がる彼は、それを痛覚に置き換えた場合の悲惨さを意識してしまったのだろう。彼の感情は、結構眉の形に出る。

 小さな発見に、蔀美はにししと笑みを浮かべた。


「あなたの想像は、さすがに過剰です。そこまで心配してくれなくても大丈夫です。感情が高ぶらない限りは、ある程度自由が利きますから」

「しかし・・・斎藤の遺体を見たとき・・・」

「あと。痛覚による刺激が強まると、その大きさに比例して力も強くなるんです! 何を言ってるか分からないでしょう? 私にも分かりません!」

「・・・ははは」


 疲れたようによろよろと歩き、旧バス停のベンチに座り込む未来。蔀美も歩いて、懐中電灯の光を遮りながら彼の前に立つ。「後光が差してるみたいだ」と未来はジョークを言う。


「へへ。この総理大臣の娘をありがたがって拝んでくれてもいいんですよ。『味覚少年』さん」

「ははあ、蔀美様・・・やばい、座ったら一気に眠くなった」

「ええー」


 失望したような声を上げながら、彼女は未来の隣に座り。なんと、彼の頭を自分の膝上に押し付けた。


「おい・・・」

「私はあなたのように情けなくはないので、膝枕くらいしてあげます!」


 未来はまどろんで、まともな思考も働かないまま「ああ・・・ありがと・・・」と礼を言う。その様子を眺めながら、蔀美は上手いことを思いついたように手をポンと叩いた。


「そうです! あなたが『味覚少年』なら」


 自分たちをゆったりと見下ろす星空。太腿の「味」を堪能しているに違いないこの少年に、どういう経緯であれ出会えた偶然から、蔀美は天に感謝する。


「私はさしづめ、『痛覚少女』ですね!」

「そう、か・・・。いいコンビに、なれそ・・・」


 言い掛けた言葉を最後まで言い切ることなく、未来は眠ってしまった。スースー寝息を立てている。


「寝ちゃいましたか。さっきまで寝ていたせいか、私は眠くありません」


 悪戯心が湧いて、「困りまちたねぇ」と赤ちゃん言葉を放ちながら、よしよしと頭を撫でてみる。


「ふふふ。ぐふふ。好みのイケメンを膝枕する贅沢が出来ているので、よしとしましょう」


 地面に放置している懐中電灯には、まだあの二匹の蛾が、周囲を飛び回っていた。


 ふと、鼻に液体の流れる感触。

 ポタリ。


 未来の頬に、血が滴る。


「・・・魅力的な異性に興奮して、じゃないですよね」


 ポケットに収納していたティッシュで未来の顔を拭き、同じ紙で自分の鼻を抑える。


「あなたに隠してることはあります、でも」


 ティッシュの赤い染みは、徐々に広がっていく。尋常じゃない出血量だ。でもこの症状は、蔀美にとって初めてではなかった。すぐに治まる。そのはずだ。

 二匹の蛾は、パタパタ、パタパタ飛んでいる。


「でもさいごまで明かすことは、やっぱりないでしょうね」


 光の上を飛ぶ蛾の様子はどうしようもなく不恰好だったが。

 それでも蔀美には、懸命で美しいものに映った。


書きたかったシーンの一つが書けた。

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