二十四味:情けない男
彼女の心は、いつも叫んでいた。
彼女の泣き顔は、いつも笑っていた。
×××××××××
「・・・はっ!」
「起きたか」
勢いよく上体を起こす蔀美。北海未来の隣に広がる空の様子を見ると、時刻は17時を回ったくらいか。逢魔が刻と言われる頃合い。弱い雨しか凌げないほどの囲いが、彼女の上に影を作っている。
「ここはどこですか」
「昔はバス停だったんじゃないか?」
両手を組む未来は、自らの憶測を口にした。ところどころに見受けられる、昔板でも取り付けられていたのではないかという跡。地名や、バスのやってくる時刻でも示していたのだろうか。しかし目の前の道路、ボロボロになったコンクリートの至る所に雑草が生えている。定期的に車が通っている道には見えない。
「いたた・・・」と蔀美は首や肩を抑える。
「こんな固いところで寝かせるなんて。膝枕くらいしてくれても良かったんですよ」
「言い訳させてくれ。俺の足ももうパンパンなんだ」
「情けないですね」
蔀美は立ち上がり、大きく伸びをする。激痛が走るものの、もう毎度のことだ。痛み自体は慣れないが、隠すことには慣れている。でも、完璧に隠してるはずなのに。
眉が少し曲がった。やはり自分にどこか違和感を覚えている目の前の少年、未来。鋭いと思うと同時に、自分の本質に気付きかけてくれていることを何よりも、蔀美は喜ばしく感じていた。
「情けない男です」
「二回も繰り返すな。言っとくがな、ここはあの旅館から十キロ以上離れているはずだ。自分だけならいざ知らず、軽いとはいえ蔀美さんを背負ってここまで来たら、多少身を削っているだろうことくらい忖度してくれ」
「情けない男です」
「また言いやがって」とげんなりする未来。蔀美はクスリと笑う。
「苦労自慢なんてするからですよ」
「そうだ。そうなんだ。苦労した」
我が意を得たりとばかりに、未来は右手の人差し指を一本立てる。
「昨日のイベントには苦しめられた。殺人事件はいい。いやよくないが。起こってもおかしくない。だが死体が動くというのはなんだ。俺の知ってる常識とはかけ離れている」
「さて、私も知りたいくらいですよ」
「だろうな」
ポケットに手を入れ、立ち上がる未来の全身を目に映して、蔀美は来ている服が昨日と違うと勘付く。彼女の心を読んだように、「これか。旅館からくすねた」と悪びれもせず返す未来。
「色々と感覚が麻痺してませんか」
「麻痺もするさ。こうも立て続けに、不思議なことが起こったら。君のことも、その一つだ」
来ましたか。そら来ますよね。心の中で、諦めたように呟く。振り向く未来から、顔を背ける蔀美。
「蔀美さん。あの動きはどういうことだ」
未来の顔は、真剣そのものだ。恐怖や差別の感情は一切捉えられない。蔀美の聡過ぎて困るくらいの感覚をしてもだ。彼が純粋に、自らの知らないことを知ろうとしているだけのことは明々白々だった。
「縦横無尽に動き回り、斎藤の・・・入っていた者は違うだろうが・・・猛攻に対処出来ていた。もしかしたらそのくらいなら、武術を極めているならば可能なのかもしれない。しかし。斎藤が男風呂から出てきた時に見せた跳躍、床割り。あれは・・・」
「人間には不可能な芸当。ですか?」
自分でも信じられないほど、蔀美は冷たい声を出していた。今までの彼女の経験が、そうさせた。フラッシュバックするのは過去の光景。感情が昂ぶった時に起こしてしまった事件。怯える人々。
自らの内なる破壊が、周囲に伝播しすべてを台無しにしたのだ。
父がいなければ自分は終わっていた。
ある日、父がいないことになっていたので、自分は終わった。
「・・・不機嫌にさせてしまったか。悪い」
配慮が足りなかったと、少年は反省する。蔀美は失敗したと思った。自分のような人間でも近づける。なのに、自分から距離を置いてしまったと。
未来の足元にある影は、限界まで伸びきっていた。太陽は直に沈む。
「俺は、最初に礼を言うべきだった。すまない。・・・ありがとう。蔀美さんが敵の総運動可能量を削ってくれなければ、結果的にあれを撃退することは、無理だった」
辛うじて夕陽の光が残る世界。だが既に、かつてのバス停の屋根の下は真っ暗になっていた。その闇の中で、口を半開きにする蔀美。
未来は、礼の言葉抜きでいきなり質問から入ったことに彼女は腹を立てている。そう勘違いしているのだ。少女の触れて欲しくない部分に触れたなど、考えもしていない。
無神経なのか。
「バカですかあなたは・・・」
聞いてみれば単純なトリックだったとはいえ、殺人事件の真相を言い当てたこの少年がバカなはずはないと知っているのに。つい心に振り回されて、未来のバッググラウンドも考慮せず、蔀美は突っかかる。
「自分の、気味の悪いところに。嫌いなところに触れられたから、不機嫌になってるんですよ・・・!」
衝動的に立ち上がって、自らを蝕む激痛の赴くままに、未来の胸ぐらを掴み。持ち上げた。
「ほら、ほら。こんなに細い腕なのに」
空いている方の片腕で、男子高校生を浮かせる方の服の袖をまくってみせる。
「こんなに簡単に、あなたくらい持ち上げられる。おかしいでしょう?」
腕力を緩める。どさり、未来は落ちた。はははっと、蔀美は力なく息を吐く。
「・・・すごいな。どういうメカニズムで力は増幅されるんだ?」
興味深い、その一心で口調が跳ねる目下のシルエットを、蔀美は睨んだ。自分はこんなに悩んでいるのに、こいつは私を慮ることなく。無視でもされた気分だと、彼女は憤る。決まった、北海未来という男は無神経なんだと、焦って断定を下しかける。
「そのメカニズムが、父親・・・艶川元総理大臣を憶えていることに、ひょっとして関連しているのか?」
「え・・・」
星が、瞬き始めた。本格的な夜空だ。風がなく存在感はないものの、辺りは木に囲まれている。お互いのシルエットすら見えない。
「これも、服と一緒に頂戴してきた」と、未来は災害対策用の懐中電灯をつける。蔀美の顔についた陰影を面白く感じたのか、未来はふっと微笑んだ。一方の蔀美にそんな余裕はない。
「なんで・・・?」
漸く再起動した彼女の思考では、この一言で精一杯だった。




