↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネコゴ  作者: ハクノチチ
9/25

あさみとぱつ -夜の闇から特殊な清掃業者がやって来て-

 二人で手を振ってきたプリウスが先にいなくなると悔しさと怒りと悲しさで泣きたかったけれど我慢した。もし泣いてしまったらもっと悔しくなってもっと腹が立って、もっと悲しくなるに決まっている。だからぼくは道の端にトラックを停めたまま、応急処置的に、とにかくエロいことを溢れんばかり想像し続けた。本当の戦場とかでこんな程度の自分より遥かに辛い目にあっている捕虜の人や、社会や学校の「戦場」ですでに決断している人の最後の一日を想像して、路上で起きたあり得ない出来事に直面した不運を比べても無駄だし、今すぐこの晴海通りに巨大な隕石が降って来て何もかもを燃やし尽くして欲しい、と望んだとしても無駄だ。薄毛と坊主と金髪に無限の祟りを願っても無駄。だからやっぱり親を恨んだり自分を呪ってももっと無駄でしかない。その一方でぼくの人生にはあり得ないエロい想像は大抵の心配や不安、そして眠気にも即効性のある万能薬になる。だから只今粉砕している悲しい心へ強い影響をもたらす最も優れた改善策はやはりエロい想像しかない・・・・・・でも本当にとても辛い出来事だったので、仕事をしながら折り合いを付けたり処理するのは到底無理な話だった。

 それでも誰かの不運があるから誰かが宝くじで大金を手に入れる幸運があるのかもしれない、このような一日を明日へ引きずらないようにする独自の回復手段が実はある。意識して妄想するエロと、消えてしまいたいほどの屈辱がオートマチックに思い出されてしまう、溶けそうな頭の中を心に抱えながら仕事を続け、でも必ずや自力で救済し得る夜になるのを待った・・・・・・。


 ぼくのハートは(悪い意味でなのかもしれないけれど)いくらかタフな方だと思う。十代になってから鏡を見ているうちに希望を持たないコツのようなものを覚えたし、何かを期待するような状況にならないよう働く勘を信じるので、たとえそれが結果的には一人相撲であったとしても、ここぞとの場面では億劫だったにしろ、色を変えながら今に至る心の声に従うことにしている。殻が固いと言うよりは「避ける術」に長けているのだが、もちろん日中ような出合い頭が起きてしまう場合もある。そんなときは思いっきり砕ける。しかし昔から希望も期待も持たない人間故の独自の回復方法があり、しかも実績だってあるのだ。

 夜に一人家の外でなるべく温かいものを食べビールを飲み煙草を吸う。実にそれだけなのだが、高校受験の前日に同じ塾に通っていた隣の中学の奴に勘違いされ突き飛ばされた夜に、半ば本能的に行動して上手くいってからは事あるごとに実践し心に抱える溶けそうな頭の中を処理してきた。

「明日がんばろうなジャナイ」と同じ都立高校を受験する隣の中学生だった「シマダ」に声を掛けられたぼくは「OKシマダくん」と応えたのだったが「包茎シマダくん」と聞こえたみたいで、それは本人だけではなく、他の者たちにもそう聞こえたらしく、彼が想いを寄せていた「相田さん」もいた。彼女はドン引きした目をぼくに向けたあとシマダくんにも向けたのだ。そして誰かが「ちゃんと洗って(受験に)挑めよ」と笑ったのだ。

 目を吊り上げたシマダくんはぼくを突き飛ばし、ぼくは机ごと後ろにひっくり返った。先述した通り、至って平和な学校の生徒だったぼくはそのような目に遭ったことはなかったし、親にだってぶたれたこともなかった。もちろん兄とは小競り合いくらいあったけれど、言葉ではない実際の暴力で腰を痛打するのは人生で初めてだった。

 その日の帰り道、当たり前だけれど直ぐに家へは戻りたくなくて、晩御飯を用意してくれている母にLINEした。


 「明日の決起集会で塾の友達とごはんを食べて帰ります」

 「それはいいじゃない。遅くなりすぎないようにして、でも楽しんで来なさい。お金はあるよね?」


 既読だけつけると、外は寒いから、と言うだけでもなく温かい食べ物を口にしたかったので、これも初めてだったのだが一人で駅前の立ち食いそば屋に寄り、かけ蕎麦とミニカレーのセットを食べた。そして家の傍まで帰ったのだったが、誤解から生じたトラブルの尾は今も続いていたので、まだ家に戻りたくなかったぼくは近くのコンビニでホットミルティーと、悩んだ挙句スニッカーズを買って向かいの児童公園で食べた。スニッカーズは好物の一つで、だから受験のゲン担ぎのつもりで夏から口にしないでいたのだ。

 前歯の裏側に張り付く濃厚なキャラメルを、普段なら幸せな舌の先で剥いでいるときふと気が付いたのだったが、まるで夜の闇から特殊な清掃業者がやって来て、釈明しても無駄な仕方のない粗大ゴミをトラックの荷台に放り込み、あっと言う間に立ち去ったのだった。それは今後の人生における成功体験となった。好きなものを我慢せず食べながら空間の一点を見つめていれば、最大限の努力次第で何も考えないでいられるのを発見したわけだ。そんなわけで高校生の時の「あの時のこと」も「もっと辛かったあの時のこと」も卒業してバイトしていたときにあった「あの時のこと」も今の会社に就職して辞めたくなった「あの時」もぼくは、もう駄目だと思った心をちゃんと守って来れた。そういう繰り返しによって鍛えられた心は、少なくとも生命の瀬戸際から徐々に離れて行ったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。