あさみとぱつ -糸を斜めに通してみた-
中学生でもないので甘いホットミルティーは苦いビールとなり、もっと甘いチョコレート・バーはタールとニコチンの効いた、重たい紫煙へ変わった。
ぼくは最寄り駅に着くと、バス停の前にある家系ラーメンを食べてからコンビニで一番搾りの500ml缶を一本買い、駅前広場の喫煙所でハイライトを吸ってから空いてるベンチに腰を下ろし早速空間を見つめた。夜はまだ寒いけれどオレンジ色の街灯が灯る駅前広場のベンチや植え込みの周りには腰を下ろしている人たちが何人もいて全員がちびちびと缶の酒を飲んでいた・・・・・・足立ナンバーの黒いハイエースが停まり、杉並ナンバーの青いプリウスも停まった。でもぼくは最大限の努力で薄毛の金髪も長身の坊主も車から降ろさなかった。むしろこっちから奴らに向かって言ってやったのだ。
「お前らは良くて三途の河底に沈むか、赤いサンダルを履かされ地獄の盛り場に捨てられるだろうよ」
・・・・・・そういう妄想は反って粉砕した心の回復を遅らせるぞ、とぼくは自分に言い聞かせた。お前がすべき最大限の努力は、今夜も何も考えず特殊な清掃業者がやってくるのをただ待つことだ。広場にいる誰の顔も見ずにいればいい。どのみち、たとえ歩いている奴だって誰もがスマホを見ているのだから、顔など見えはしないのだけれど。
もちろん比べ得る過去を探さなくてもいいし、明日、配達するときに今日のトラウマを懸念する必要もない。
ところで今夜の粗大ゴミに回収シールは張っているか? 貼り忘れていて回収されなかったらそれこそお前が河底に沈むからな・・・・・・でも大丈夫。安心しな。俺がお前にいる限り、たとえ沈んだとしてもそこは天の川だ・・・・・・いいじゃないか、お前はもう星屑も同然だぜ。誰にも見分けがつかないような片隅、っていうか底で何気に輝いているんだから。
ぼくはふと独り言を呟いている自分に気が付いた。なるほどとても良い兆候だ。何も考えずに口から出る囁きはいつも違うけれど、今夜も回復へ向かうための同じ道を進んでいる・・・・・・ここで我慢できず、奴らに徹底的な制裁を加えるべく、魅力的でバイオレンスな脇道へそれさえしなければ上手く行くだろう・・・・・・頭の中が溶けそうだった生々しい記憶は、ガス状となり耳鳴りを伴って両耳から抜けて行く実感があった・・・・・・よし、多少の後遺症こそ残るだろうけれど、もうこれで平だ・・・・・・いや平気な気がするつもりになっていればそのうち本当に平気になる。その確証を得てから残りのビールを一気に飲んで、もう一度喫煙所へ煙草を吸いに行こうと立ち上がったとき、目の前であさみの声がした。
「どうした平気か?」ボア付きのMAー1を着る背の低い女が、まるで瞬間移動の如く現れた。
「・・・・・・」ぼくは「こちら」と「あちら」の境界にいたからだろうか、あさみが言うところによれば、ぼくを見つけたので近づいて声を掛ける前から目が合っていたのに反応がなかったらしい。
「そっちこそどうしたの? 工場の方休んだ?」
今日は火曜日だったし、あさみはどちらのバイト先にもスクーターで通っているから駅は利用しない。そもそも時間だってまだ八時過ぎだ。
「なんか幸せそうにぼ~としてたぞ」あさみこそ幸せそうに笑った。
あの角打ちにいたシングルの「吉野さん」と今も繋がっているらしく、今日は彼女の相談にのっていたと言う。今年の春に一人娘が大学の学生寮に入るので、猫を飼おうとしているらしい。出来れば真っ黒のオスがいいのだが、取りあえずは保護猫にするようだ。
「・・・・・・」そんな情報よりも、ぼくはあさみと吉野さんが、実は二人で飲みに行くほど仲が良かったことに驚いた。
「で、相談っていうかぱつの色々を話して、まぁお酒を飲んでいただけなんだけどね」
「角打ちで?」
「角打ちから流れて、ゴラン。バイトから戻ってくる娘さんの夕飯を用意するから、ゴランで切り上げた。そしたらあんたがここでぼ~としてたわけだ。何してたの?」
「ラーメン食べてビールを飲んでたんだ。てか、彼女は俺たちのことを知ってるの?」
「知らないんじゃないかな。言ったことないから」
「そうなんだ。吉野さんにはもうずっと会ってないよ。角打ち自体行ってないし」女同士の飲み友達ってかなり微妙なんだな、と思った。
「いつも帰りにここで飲んでるの?」
「普段はこんなところで飲まないよ。今夜は飯を食べて直ぐに家へ戻りたくなかったんだ。仕事でちょっと嫌なことがあってさ、それを持ち帰りたくなかったから」
「何があった? てか店で飲みなよ。ラーメン屋でもビールくらいあるでしょ」
「まぁ、あるだろうね。でも外で飲みたかったんだ・・・・・・割り込みした、しないの交通トラブル。大したことじゃないよ」
「大変だな。で、取りあえずは毎晩飲んでいるわけじゃないんだな? つまりこんな所で」
吉野さんが飼おうと思っているらしい猫に全く興味がなく、ぼくたちの関係を知っているかが気になったのと同じように、あさみはぼくの交通トラブルには無関心で、なぜか駅前広場で缶ビールを飲んでいるのが気になったらしい。
「吉野さんって幾つなの?」スルーされたので少し意地になり、それであらためて糸を斜めに通してみた。
「寂しげだから、夜の駅前広場でお酒なんて飲まないでね」相手はたぶん意地ではなく、まさにスルーに違いない。
「寂しげって、俺がってこと?」反射的にぼくは斜めに通した糸を解いた。
「全員よ。ここは芝生の上じゃないんだからさ」
「吉野さんって幾つなの?」そして再び通した。昼の出来事によほど腹を立てていたのだろう。
「えっ、知りたいの?」
「まぁ、そうだね。知りたい」
「四十五」
「全く見えないけれど、知るとまぁ納得感はあるな」ようやく答えを知ると、意地になっていた自分が少し惨めだった・・・・・・。




