あさみとぱつ -容姿に劣等感を持つぼくら-
猫のぱつは、少なくともあさみとぼくにとっての「鎹」とはならなかった。それは個体としてのぱつに原因があるわけではなく、ぼくとあさみの関係に原因があったからだろう。
生活形態としては同棲だったわけだけれど、家の中で顔を合わせて食事をしたりお酒を飲み、本音やまたは嘘だろうとも、会話を交わす機会は殆どなかった。初めの頃は多少あったはずだけれど。もちろんどちらも忙しいという理由からではないし、相手の顔を見ればイライラしてきそうな予防策として避けていたわけでもない。
五体満足なんだから贅沢言うな、と言われてしまうとしても断言するが、全体的な容姿に劣等感を持つぼくらは、なるべく平らなままの日常こそが人生には大事だと分かっている。それはもちろん外見で収入や人望なんかにも差が出るよね、と社会に出て気づいたことではない。ぼくらのような、まぁ平たく言えばどんな角度から分析しても取り柄のない人間は遅くとも小学生の時点でそれらを発見してしまうし確信してしまう。こっちの気持ちなど分かりようもない大人や、諦めずに粘り強く「子供」の可能性を説く他人の叱咤激励に頷くのはポーズに過ぎない。
平均身長よりも明らかに低い場合、自分の親までもが口にするくらいのイケメンがクラスにいたりすると、密かに劣等感の火を灯せるファイター気質のブスじゃない限り徹底的な「守り」こそが唯一、我が人生での最高到達点となるだろう「ドロー」への道だ、と考えるのである。この見解はあさみとぼくが、探りや(面倒だからする)スルーなしで合致した稀なケースでもある。
1200万人が暮らす大都市で生活する上でお互いに干渉し合わない方が昨日と今日、そして明日の「差」が少なくなるのをよく理解していたので、どこか共闘的な思いでー確かにそれはぼくの勘違いだったのかもしれないー同じ屋根の下ぼくらはなるべく穏やかに別居した。
そんなわけでぱつを間に挟むことで二人の暮らしが円滑になったり、刺さった棘のいくつかを口にしないで秘めている場合に効果的な最初の取っ掛かりとはならなかった、と言うか必要としなかっただけだ。ぱつはあさみだけを深く愛し、ときどきは何かの機嫌でぼくにお腹を見せたり、尻尾を立てて身体を擦ってきたりをしたけれど、もちろん一方的な会話だって毎日したけれど、でも正直ぼくはぱつで癒されはしなかった・・・・・・いや、もしかしたら今もまだ「二人」を恨む感情が残っているからそう思っているのかもしれない。
そもそもぱつは呼んだって来ないときの方が多かった。ぼくに対する彼の気持ちには自身の柄のような「むら」があったに違いない。あさみがぼくに対するように。そしてまたぼくがぱつに対するように。ただ同居している実感はむしろあさみよりもぱつとの方があった。出掛けや帰宅の挨拶然り、トイレの臭い然りでだが・・・・・・。
一度だけあさみがすぐ傍にいて、本当に心は温まるものなんだ、と比喩ではなく実感したとても素敵な思い出がある。それは力まずに至ってナチュラルなまま「愛」の優れた側面に抵触した出来度だった。お金を貸して欲しい、と初めて言われる数日前のことだ。




