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ネコゴ  作者: ハクノチチ
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あさみとぱつ -「A」「B」「 ジャナイ」-


「たまには寄っていく?」あさみは居酒屋から出ると駅前のホテルの前で腕を組んできた。

「明日普段より荷物が多いから止めときます。残念だけど」ぼくはここでも嘘をついた。

「あら、それは残念」あさみも嘘をついたはずだ。仕事から帰ってきてぱつを最初に撫でるときのように、対外用フィルターを通さずに現れる類のほっとする笑顔だったのだから。あのときあさみは猫の毛だらけの厚手のフリースを着ていたので、たぶん共に暮らし始めて半年くらいのころだった。

 十月とか十一月の夜にぼくと外食するとき、いつも生地がテロテロして毛だらけの白いフリースを着て出かけていた。直接聞いたことはなかったけれど、何かを当てつけられているのかな? と思っていた。でもそもそもが二人でおしゃれして出かけたことなど一度もなかったし、おしゃれな場所(もしもそれが、どこにだってある、スタバでも該当するとしたら、ぼくらは二人で入ったこともテイクアウトをしたこともない)になど、少なくともぼくは一度も足を向けたことがないのだった。文化、芸術を必要としない人間と同じく、ぼくにはおしゃれも流行も人生には全く必要ない。

 外見にコンプレックスを持つ者が、自身や他者からの目に潰れてしまわぬよう生活するうえでの大きなアドバンテージだとぼくは信じている・・・・・・ところで、そのような人生の指針を示してくれたのは中学の時の友人だった。

 十四、五歳で多感だった時期にぼくには二人の友がいた。一人は「アサギA」と呼ばれもう一人は「アサギB」と周りからは呼ばれていた。二人の名字が「麻木」と「浅木」だったので誰が言い出したのか「A」「B」に区別されていた。二人が「A」「B」と半ば蔑称的に呼ばれていたのはどちらも背が低くブスだったからに他ならない。そんなことは本人たちも了解していたし、心の底ではどうだったか分からないけれど(特に「B」は)、そのような蔑称にぼくも巻き込まれていたので、二人は少し楽し気だったような気もする。と言うか「痛み」を三等分している気になれていた。ぼくも背が低くてブスだから彼らとセットにされるのはまぁ仕方のない話だが、いつの間にか「(アサキ)じゃないけどC」と呼ばれていたのだ。そんなわけで最終的には「A」「B」「ジャナイ」に落ち着いた。



「なんかお前だけかっこいいな」とAは笑いBが肩に腕を回してきたとき、ぼくらは友達なんだ、と思ったもんだ。それぞれ違うクラスで、整列時の先頭になるぼくらは互いに下の名前で呼び合った。だから本当はみんな「嫌」だったのかもしれない・・・・・・。

 

 ケンタ(A)はかなり頭のいい奴で、学年でもトップクラスだった一方、トシヤ(B)とぼくは成績も最ボトムだった。チクチクしたいじめ的な体験は確かにあったけれど、自分としては重大な事案ではないものだったし、二人もそのような些末をやり過ごすのは可能だった。三人共がクラスや学年のグループLINEに属さないのは、むしろ救いだったし。

「これ、ジャナイのことだぜ」とわざわざ画面を見せてくる意地悪が同じクラスにいたけれど、暴力を振るってくるような奴は誰一人いなかったのはかなり幸運だった。

「俺は親切で教えてるんだ。みんなが言ってるのは臭いから毎日風呂に入ってくれっ、てことだからな」そいつはぼくにそう言ったのだ。

 でもぼくは毎日風呂に入っていたし、臭い自覚などなかった。そのことを二人に相談すると二人とも顔を近づけて首を振った。大丈夫だから気にするな。いいか? お前がそんなでっち上げを気にしないでいたらわざわざ言ってきたそいつか、違う奴かもしれないけれど、ワイのワイのしてる連中の誰かがそのうち報いを受けることになるんだ。期待して待ってようぜ・・・・・・ケンタはいつもぼくとトシヤを励ましてくれた。

 卒業するまでに陰日向での友人関係が起因して不登校になった生徒は学年で八人いた。ぼくに密告してくれた「親切な級友」も含まれた。何人かを名指した遺書をクラスのグループLINEに書き込んだらしく、さすがにそれは複数の父兄をも巻き込む大問題となり、表向きは学年グループ、クラスグループのLINEは閉鎖されたらしい。何があり、その後隠密に再開されていたに違いないグループLINEで何が語られていたのかは知る由もないのだけれど「親切な級友」が宣言していた二学期末の朝、それはちょうどクリスマスの朝でもあったのだが、彼はプールに浮かぶことはなかった。以来彼が初めて登校したのは卒業式の翌日の校長室だった、と言われている。

「マジでざまぁだな」勝者のように高笑いしたのはトシヤだった。そのときの喜びようは少し常軌を逸しているように思ったけれど、それくらいぼくのことを気にかけていてくれていたのかな、とも思えた一方で、密かに自身の体臭を気にしていたのはトシヤだった。夏場よりも梅雨時に「獣チック」な日があったのだ。もちろんぼくは口になどしなかった。


 ケンタは学年で二人しか進学できなかった都立の進学校へ進み、ときどきLINEのやり取りはしていたけれど、成人の日に式場で再会するまで直接会ったことはなかった。東大生になっていた彼は無精ひげを生やして背もそこそこ伸びていた。ちょっとかっこよくなっていたわけだ。彼と会ったのはいまのところそれが最後である。風の噂では国の行く末に憂えて行動する宗教団体にはまってしまったらしい。


 トシヤはと言えば高校に入ってすぐに辞めてしまったことを(まだ繋がっていたときの)ケンタのLINEで聞かされたので連絡してみたけれど既読がつくだけで返信はなかった。通話も何回か試したが折り返しはないまま、夏休みになったので久しぶりにLINEしたらいつの間にかブロックされていた。

 高校の最初の一年を無事終えた帰りにふと思い立ち、そのまま自転車で彼が母親と二人で暮らしていたアパートまで遠回りしてみると、いつの間にか新しい縦長のマンションに建て替わっていた。LINEのブロックもかなりだったが、三人でよくアダルトDVDを観ていたアパートがなくなっていたのもなかなかやるせなかったのを覚えている。後の成人式場にも姿はなかった。

 偶然出会ったのは成人の日からニ、三年後のことだ。ぼくが今の運送会社で働き始めた当初、今でもほぼ毎日回る吉祥寺ですれ違ったのだ。厚底のブーツを履いていたけれど、実際の背の高さは相変わらずぼくと変わらないくらいだった。でも身体を鍛えているみたいで胸板が厚かった。そして明らかに整形手術をしていた。目元がキリっと鋭くなり、四角い顎は細くシュッとしていた。鼻も高くなっていた。しかも女の腰に腕を回して、なんなら胸を触りながら、ときどき相手の頬にキスして、堂々と井の頭通りを歩いたのだ。

 田舎の小金持ちの若者か、中卒の若いチンピラが着なければ、日本人にはなかなか合わせにくいだろう、ヴェルサーチのブラウスを腕まくりして、ごつくなっていた腕には手首まで青黒い模様のタトゥーが入っていた。オールバックにする頭にはエッジの太い真っ赤なメガネをかけていた。

 ぼくは道の端にトラックを停めてすぐそこのビルへ運ぶ荷物を台車に積んでいるところだった。


「コウキ?」きつい香水の匂いと共に歩道から声を掛けられた。でも人違いだろうと無視した。

「コウキじゃないの? なぁ、お前ジャナイだろ」


 こいつレベルの中国人(の女)でいいならいくらでも紹介してやるよ、と言った。でもぼくも彼も、彼の外見やたぶんそれにより得られたのかもしれない内面の変化には触れないまま、そして多くのことに触れないまま五分程度の立ち話を終え、結局ぼくらは連絡先を交換しなかった・・・・・・それにしても音がしそうなくらいきつい香水をつけていたのが、色白で長い黒髪の勝気そうな、ぼくら二人よりもずっと背の高い「中国人のウルトラ美人」ではなく、明らかに整形手術をした同級生がつけていたのにも驚いたものだ。どうあれ、彼は自分の人生を、自分が願っている、あるいは願っていた通りに、真っ直ぐ歩んでいたのだし、願わくば今もそのようでいられているのならいいのにな、と心から思う。



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