あさみとぱつ -冬と春の境目-
冬と春の境目にぼくは不動産屋へ連絡して「今度猫を飼いたいんですけれど」と問い合わせた。小動物なら可、と契約書にあったのを覚えていたのだ。
「でしたら、毎月5000円の上乗せになりますが」と言われた。
「もちろん構いませんのでよろしくお願いします」
「あらたな契約書の必要があるので、今月中にはこちらへお越しいただきたいのでよろしくお願いします」と言われた電話の切り際に「どんな猫ちゃんなんですか?」と聞かれた。
「オスの三毛猫です」
「えっ、三毛のオスですか?」
なぜ驚くのかを理解していなかったぼくは、この時までオスの三毛猫がどれほどなのかを知らなかったのだ。十年共に暮らす「ママ」も知らなかったらしくスマホで検索した。
「ぱつがいるから三人(共ブスだろうけれど)のこれからの航海に悪いことは起きないよ」後に実家の部屋に引きこもるほど能天気だったぼくは得意げに笑ったものだ。
あさみは配達専門の弁当屋と高級スーパーの弁当を製造する食品加工工場でアルバイトのWワークを何年も続けていて、朝の七時から午後一時までを弁当屋で、午後五時から九時まで工場で働いた。時給はどちらも同じで土日出勤だった。休みは基本的に水・木だった。朝六時半にはスクーターで家を出て、午後の二時前には一旦戻りしばし猫と過ごしてから四時半には再び出かけた。どうしても疲れた時は工場の方を休んだ。
ぼくは朝の五時に出かけ、帰りは遅くても夜の六時には戻る。同居していても食事はバラバラだった。あさみが食品に関わる仕事を選んでいたのは「まかない」によった。どちらのバイト先でも提供されていたのだ。
昼も夜も「一人の外食」が基本だったけれど、あさみと暮らすようになってから、彼女の休日の水・木の夜は二人で居酒屋へ行き、たまには駅前のホテルで休憩したりもしたけれど、ほどなく休憩は完全にしなくなった。あったはずだよな、としか思えない恋の季節は微塵もなく過ぎ去ったのだ。でもそんなのは自然の流れだと思っていたし、向こうはむしろ望んでいたのかもしれなかった。たぶんそうなのだろう。
プラスチックの衣装ケースが幾つかと新調した布団と猫のケージだけで越してきたあさみは寝る時もフローリングにコルクシートを貼った隣の部屋でぱつと添い寝した。初めこそこっちの畳部屋に新しいふかふかの布団を並べてみたものの、ぱつが新しい環境と同居人のぼくに慣れていないのでケージから出てこれない、という問題と共にぼくの鼾でどうにもならない、と憤り直ぐに「別居」が始まった。寝ているときに自分が鼾をかいているのをぼくはこれまで知らなかった。
一人だろうが二人で暮らそうが、家賃は変わらないので(もちろんぱつの分は増えたけれど)折半しましょう、というあさみからの提案を断った。電気代などの光熱費は確かに増えたけれど、人生を謳歌したことなどないぼくは、それくらいの負担増は特別な問題ではなかった。
「夏場はクーラーを点けっぱなすからすごいことになるよ」と、ぼくから折半を却下されたあさみは、隠そうとした安堵の表情を隠しきれずに「だからお願い。電気代は出させて」と言った。でもそうしてくれた月は、結局最後まで一度もなかった。まぁ、そんなもんだろう。
ほぼほぼの当初から「同棲別居」の生活が続いていたので、果たして二人で暮らす意味などあるのだろうか? と悩んだことがなかったわけではない。しかし「幸運の猫」は、二人の人生が、地味なりにも襲われることもあるだろう荒波にあったとき、転覆せず護ってくれるかもしれないと思うと、それは共に暮らす一つの立派な意味なのかもしれない。世間から見れば薄ら寂しい人生の日陰だろうともぼくには十分な陽だまりだったりする、そんなどこかへと導いてくれている気がしないではなかった。それになんていうか、今更理由を探し、あるいはそこら辺にいくらでも転がる理由(あさみは二人で決めた洗濯の仕方―大体は物干しざおの使い方なのだが―やゴミ出しの決め事をよく無視してくれたもんだ)を拾い上げてさよならバイバイで別れるよりも、このまま同じ屋根の下で別居しながらズルズルし続けていた方が、実はお互いにとっての正解な気もしていたのだ。つまり、今は二人が出会ったのはただの偶然であっても、そのうち今世での「運命」へ化けるために要する醸成期間なのかもしれないぞ。あさみのいない休日に、最近では喉を鳴らすようになったぱつを撫でながらぼくは割と本気で考えることもあった。
醸成期間が終わるときは籍を入れるとき。それからの人生がぼくらの「運命」になるんだと。




