ネコゴ -100は欲張らず、80で十分納得する-
その日に「獣医師レイ」は「ネコゴ」を引用して「この人は本物です。獣医師の私が断言する理由は後日ユーチューブにて解説します」とポストした。
翌日「ネコゴ」はトレンド入りした。そして二日後には「獣医師レイチャンネル」の新たな動画もアップされると、翻訳の依頼だけではなく、有名無名の複数のユーチューバーからチャンネル出演の依頼がどしどし来て、ついには地上波のワイドショーからも何件か問い合わせがあった。もちろんぼくは「獣医師レイチャンネル」の熱烈なオファーを含めて全て断った。とにかく出演に関する問い合わせへの返信と翻訳を日に50件続けながら、収まらない大爆発に困惑する日々を過ごした。
・・・・・・これは余談だが、そんな最中に、今日は駅前駐輪場の管理人バイト(シルバー人材)が休みだった父親と三人で昼食の冷やし中華を食べているとき「お前、ネコゴって知ってるか?」とビールを飲む父親に言われたので「知らないよ」と嘘をついた。
「最近すごい人気があってな、猫の言葉を翻訳するらしいんだ。でも世間がどう評価しようとあいつは嘘つきだぞ」と父親は言った。「人気が出る前から俺はずっとそう思ってたんだ」
「だろうね」とぼくは答えた。父親の意見はほぼ間違ってはいないのだから。
「でもだからって、変なアンチコメントとかしないでよ」母親は父親のコップにビールを注いだ。ぼくはまだ昼も夜も飲まなかった。
「今年、めずらしく花を咲かせなかったうちのサボンテンの動画でも送って訳してもらうかな」と言って父親は一人で笑った。
「・・・・・・」ぼくは死ぬほど本気で嘘だろ、と思った。
ウルトラ適当な翻訳一件五百円は変えなかったのだが「レイ」さんを除けば、一番高額な翻訳料は1万円になってしまい、しかもその額を送金してくる飼い主は少なくなかった。旧盆に入った時には百万円近くが手元にあった。これはもう完全に「運」が舵を握る、ある意味で完璧なまでに無責任な事象へ変わっているぞ、と思うようになっていたので、もちろん欲など出さず、そろそろアカウントを消すか、むしろスマホを捨てるかしなければならないかもな、と感じていた。
再びぱつの声は聞けなかったけれどエジの声、つまり猫の言葉を聞けたのだから、それだけで十分だと思っていいはずだ。100は欲張らず、80で十分納得する。実はそれこそが正しい判断なのだ・・・・・・でもどこかにあるのかもしれない「ぼくの星」から届く幸運、不運はこの度「幸」を届けてきた。
ぱつの動画が送られてきているのを、たぶん偶然見つけた。どのように見つけたのかはよく分からない。夕飯を食べ、風呂にも入って、そこらじゅうで鳴く命がけのセミの鳴き声を聞きながらコンビニへ行き、ドリンクとスナックを買って戻るとまた汗をかいたが、明るい電気と何の問題もないエアコンがつく部屋でTシャツを脱ぐと気持ちよかった。
小学生のころと同じ配置のままの勉強机に座り恐ろしく割のいい「仕事」に取り掛かるのだ。
そんなわけで今夜も動画を添付したキリのないDMを右の親指で弾きながら、勢いが止まったところの「猫」に、いつもと同じセリフを返信して、傍らの紙に「正の字」で五十まで数える作業をしている中、突然あのブス猫ーぱっつん11歳オスーは現れた。前髪を短く切り揃えたような、変な柄の三毛猫は腰を抜かしているわけでもない座り方をしてこっちを直視し鳴いていた。どんな猫とも似ていない顔をする猫はまたしてもはっきりと「日本語」を喋った。ぼくは余りに完璧すぎる偶然と言葉の内容に無言で固まった。
「おなかにわるいのがあるからやまちゃんにいって」
やまちゃんとは、あさみがたまにぱつを連れて行った動物病院だと直ぐに理解した。あさみはそこの女の先生を「やまちゃん」と、家では呼んでいたのだ。
おなかにわるいのがあるからやまちゃんにいって・・・・・・ぱつのお腹の中に悪いモノがあるのか、あさみのお腹なのか、ぼくは考えた。ぱつのお腹ならあさみは気が付いている気がしたし、あさみのならぱつは気が付くだろう。二人ならそれくらいわけもないはずだ・・・・・・結論はぱつはそれほどバカじゃないけれど、あさみはかなりバカだから、ぱつは自分のことであれば、やまちゃんに「いって」と、間違った言い方などしないはずで、ただ動物病院と人間の病院の違いまでは分からなかった。一方バカなあさみは、たとえ何かしらの自覚があったとしても「お金がない」とかの理由で放っといているような気がした。血を吐いたり血便が出たりしているのなら違うかもしれないけれど、たぶん我慢できるうちは我慢するだろう。
思えば七月に入るまであさみとぱつを如何に殺してやるか等を寝ずに考えていたものだったが、あるいは少なくとも殴るべきじゃなかったし、投げつけた言葉も酷すぎたな、と寝ずに後悔していたものだった。
「ママのお腹にわるい兆候があるから病院で診てもらって」と訳して返信した。相手が「あの」あさみだとこっちだけが分かっているので、言いようのない後ろめたさがあったし、相手が誰だろうと不穏な旨を伝えるのは嫌なものだ。
「本当にそう言っていたのでしょうか? 実は以前よりちょっとした自覚があります。きっとネコゴさんの能力は本当なのですね。どうもありがとうございました」
一時間もすると、今夜返信してきていたその他の人たちに混り、あさみからの返信がありちゃんと五百円も送金された。
「確かに自覚はあるけれど、お金がないので、もうさすがにギリギリじゃねぇ、って所までは我慢します」とぼくは「朝の実」さんからの返信を「翻訳」した。もし「あの時計の話」が何から何まで嘘だったとしたらさらに「翻訳」は続いたことだろう。
「・・・・・・ってか必ず返すのでお金かしてくれませんか?」
今夜は久しぶりに眠れなかった。




