ネコゴ ー汎用性ある(趣旨としての)2パターンー
多くの猫は人の言葉を理解するのだろうけれど「歌詞」を被せられる猫こそが特別な個体で、今回は被せなければならないぞ、とそれらの個体が判断したとき、こちら側も普段とは違った、ある意味で前世の名残かもしれないくらい、自分ではないような心理状態にあるか、疾患で幻聴に悩まされてしまうとき、または違法なドラッグを決めて朦朧とした状態のときが重なれば「聞き取れる」のかもしれない、とこの時点でのぼくは思った。あるいは実際に「聞いた」ことがあるけれど、何かの勘違いだった、と自分自身の経験を否定して誰にも黙っている人が実は沢山いるのかもしれない・・・・・・後に沢山の猫の鳴き声に特化した動画を見た中で、「翻訳」することが出来た二つの特別な例から考察するに、こちら側、と言うかそれはぼく自身なのだが、自分ではないような心理状態でもなく、幻聴に悩んでいたわけでも、もちろんドラッグを決めていたわけでもなかったので、おそらく「猫」の側に対する推測だけは「完全に外れている」わけではなかろう。つまり特別な個体が「切実さ」を持って喋ると「歌詞」を被せることがある。それ以上は分からない。なぜなら相手は「猫」でこちらは「人間」なのだから・・・・・・。
どう告知したところで半ば冗談で始めた感の否めない「ネコゴ」への誹謗中傷は、それなりに送られてくるだろう。でももう一度声を聞いてみたかった。もう一度聞いてみたいのは「ぱつ」本人の声だったことに思い至ったのは実際に開設してからだ。
こっちからLINEしたことはないけれど、あさみとは互いにブロックし合っているだろうから連絡の手立てはないし、そもそも今さらどの面下げて連絡しようもないので、どこかで「ネコゴ」を知ったあさみが、実はぼくであるのを知らずにぱつの動画を送ってこないかな? と思ったのだ。期待を持たず、とにかく新たな仕事が見つかるまでやってみようとしただけだった。
初日は誹謗も含めて無風のままだったが、二日目になると「依頼」が一件あった。ちょっとうれしかった。
動画に映した猫の名前や歳や性別などの情報を添えて欲しい、等とは一言も書いていなかったのだが、記念すべき最初のキジトラは12歳の「カキオ」くんだ。今後判明するのだが、DMに動画を送ってくる愛猫家たちは全員(と言っても差し支えないだろう)自分の愛猫の名前と年齢と性別を記した。中には簡単に「出会い方」まで書いてくる依頼者もいた。我が家の猫を少しでも多く文字にしてみたかった、その表れだったのかもしない。きっとそうだと思う。
カキオくんはカメラに向かって「ニャ~、ニャ~」言っていて飼い主の「トゥナイト」さんは「なに、なに? ごはんは食べたでしょ」と言っていた。
そんなわけで、何も分からないので「大好き、大好き。いつもありがとう」と訳した。もちろん100%適当に。
「そう思ってくれているんじゃないかな、と思っていたので、その通りだったのはとてもうれしいです。どうもありがとうございました」
このような返信が来て五百円も送金された。ぼくは夕飯を食べに下りていた一階のキッチンテーブルに座ったまま呆然とした。
食事の用意をしている母親が、口を開けてスマホを見ているぼくに「どうしたの?」と聞いた。「別に何でもないよ。少なくとも悪いことではないから大丈夫」そう答えた。
次の日は二件の依頼が来た。5歳の白猫「チーロ」ちゃんと9歳の茶トラ「ケイト」くんだ。もちろんどちらの猫も「ニャ~、ニャ~」鳴いている、あるいは喋っているだけだったし、二人のママは「なに、なに? 何て言ってるのかな? ネコゴさんに聞いてみようね」みたいなことを言っていた。「チーママ」さんも「ケイポップ」さんも「トゥナイト」さんから紹介されたようだった。送られてきたDMにそのようなことが書かれていた。
マズイかな? と思いつつ「大好き、大好き。いつもありがとう」と全く同じに訳した。
二人のママは「私にも、本当にそう言ってくれているのなら、とてもうれしいです」のような返信が来てそれぞれ五百円の送金をしてくれた。
そこから少しずついわば枝は伸びていき、始めてから一週間後には日に20件前後の動画が送られてきて、どの猫も何を言っているのか、これっぽっちも分からなかったけれどーむしろ飼い主の方が言葉を理解してはいませんか?ー汎用性ある(趣旨としての)2パターンをモロ適当に使い分けて返信した。
「大好き、大好き。いつもありがとう」「ずっと一緒だよ、約束だよ。絶対だからね」
深く愛する何者かに言われたら、いや「あらためて」言われたらうれしいだろうことを、誰とも知らない者であろうが、文字にして伝えられるのはたぶんうれしかった、ということなのか? だからぼくの猫語の翻訳を信じていようがいまいが関係ないのかもしれない。と言うか絶対に信じてなどいないけれど、そんなのは関係ない話だったに違いない。でもだからと言って五百円を支払うのはやはり不思議ではあった。だっていいか? 支払う義務はない、とこちらからわざわざ断っているし、なんならこっちもそっちも「嘘」だよね、との共通認識すらあるのだ。でも彼らは払ってくれる上に、礼まで書いて寄こした・・・・・・。




