ネコゴ -はじめまして「ネコゴ」と申します-
仕事を探しもせず部屋の中にいる生活には必要のない曜日の把握だったけれど、その日が金曜だったのは知っていた。
毎夜十時になると、玄関の靴箱の上にあったのを持ってきていた卓上カレンダーの「今日」にバツ印を付ける日課を自らに強いていたからだ。
大袈裟だと思われるだろうけれど、昨日と同じことを今日もするのだから、それは間違いなく「死んではいない」証だった。今日も生き延びれた、というニュアンスとは少し違う。ぼくは「そんなこと」などこれっぽっちも考えなかった。ただ、感じていたのは生きてはいるけれど、死んでいてもベッドの上に差異はなかろう、ということ。起き上がりたくないのか、起き上がれないのか、そういったものも曖昧だったりした。
考えれば考えるほど全く違うその二つを隔てる境界線の幅は太くなっていき、それでもベッドの上で眠れないままだろうとも続けた「日課」は、こういう状況のときに行えば効果がある、と誰に聞いたわけでもなく、何かで読んだというのでもない。なんとなく思いついたので実践していたのだ。心が元気だったら「閃き」と呼べたかもしれないけれど、道に落ちていたものを「拾った」感じで、卓上カレンダーを用意した(もちろん母親に玄関から持って来てもらったのだが)。
小さいカレンダーに一日一回小さなバツをするだけなのに、とても面倒臭い作業になる日は度々あった。でもそういう時ほどつけ終えると達成感があり、一日中ごろ寝をしていただけの自分に対する(細やかな)肯定感を持てて、励みにもなった。うまくは説明出来ないけれど、思い返しても「拾った石」の力は不思議なほどだった。
父親が部屋のドアをノックした金曜の夜はもちろんバツをつけた。しかし次の日の夜は付けなかった。部屋の明かりは消していたけれど、もうバツをつける必要がなくなったような気がしたからだ・・・・・・焦ることなく仕事を探しながら「ネコゴ」を開始した頃には、秋になったらトレッキングを始めようと考えているらしい父親が、顔の大きなスントを腕に巻いていたので、マジか、とかなり驚いたものだが「いいねそれ」って言った。
「気圧も測れるんだぞ」と父親は言った。
あさみと二人でスティングとかテイラースウィフトに生まれ変わりたい、と冗談を言い合った夜以来初めて声を上げて笑った。
はじめまして「ネコゴ」と申します。私はおそらく猫の言葉を翻訳できます。大切な愛猫が何を語り掛けているのかお知りになりたい方は5~10秒の動画をDMに送ってみてください。
翻訳料は一件につき500円としますが、支払いはこちらかの返信後で構いません。ただ納得しない場合、嘘だとお思いの場合は不要です。また何かしらの詐欺だとお思いの方はブロックしてください。
以下、支払先は云々・・・・・・
「おまえはおれよりもたまなしだな」ぱつの言葉は今でもはっきりと覚えている。あの時の聞こえ方を、今はたとえでなら説明できる。
あるメロディーの一節を「同じ声」が「ラララ」と「歌詞」を同時に被せて歌っている、としてそこからメロディーだけがない感じである。つまりあの時は「ヒャァー、ヒャァー」と腰を抜かしても威嚇する、怒れる猫語と、普段目を見ながら何かを喋りかけていたぱつの声色の「あいうえお」が同時に聞こえたのだ。
ぼくはもう一度猫の言葉を聞いてみたくなった。ネットに溢れている猫の動画をもちろん沢山観たけれど、一度も叶わなかった。どれも猫の言葉で何かを訴えたり語り掛けたりしているのだけれど「ラララ」ばかりで「歌詞」は分からない。当たり前だ。相手は猫でこちらは人間なのだから。
でも「多くの猫」は人の言葉を理解しているようにも思う。そこで考えたのは、動画に映る猫には訴える「切実さ」がないからかもしれない。どの猫たちも基本的には平和で、少しの不満があったとしてもそれは重大な訴えではないのだろう。もしそのような場面であったのなら飼い主は動画など撮っている場合ではない。でもそのようなとき果たして飼い主はぼくのように「歌詞」を聞き取れるのだろうか? 少なくともぼくはこれまで誰かから猫が人間の言葉を話した、という話は聞いたことはない。ならばぼくには、ぼくにしかない特別な能力があるのだろうか? ・・・・・・そうではない気がする。少なくとも自覚はない。ぱつのときは、いくつかの条件が揃っただけな気がする。




