↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネコゴ  作者: ハクノチチ
18/25

あさみとぱつ -人の顔って案外柔らかかった-

 「お金の問題なのか、嫉妬の問題なのか、あなた自身はっきりしないんだろうけれど、私はどうしても、どうしてもよ、いつかは死ぬまでにどうしてもかっこいい男に抱かれてみたかったの。抱かれるって言うか、こっちが抱く、みたいな。どうしても一度だけしたかったの。私は自分のお金でそれをした。あなたの気持ちや、あなたへの気持ちなんて関係なくだし、自分をお金で売った彼がこの先どんな後悔や、歪みを持とうとも、何もかも関係ない。私はこの機会に実行するしかなかったの」やや逆ギレ気味だった。

 「お前、電気代だって一度も払ってねぇからな」まるでこのときのために、今まで口にしてこなかったのかもしれない、と思えた。

 「確かにそうね。月曜にまとめて払うよ。用意しときます。一万かける12カ月でいいかしら?」あさみは、うんうん、と頷いた。

 「嘘ばかりつく乞食みたいな女だな」でもどうあれ、言ってやった。

 「あの空気銃のじいさまから色々聞いたのでしょうから、初めはじいさまと暮らす予定だったのも聞いた?」

 「・・・・・・」空気銃ってなんだろうか、と一瞬思った。今になって思えば、それは怒りを抑える最後のチャンスだったのかもしれなかった。

 「もしそうしたら、電気代も払わなくていいことになっていたから、まぁあなたには自分で言い出した約束だったけれど・・・・・・なんて言うか、なんだかな、って思っちゃていたの。ごめんね。ちゃんと払うよ」

 空気銃ってあのじじいのナニのことだ、と思いついた。素直じゃないあさみがぼくとの和平を望む最後のサインだったのかもしれない素敵な揶揄だったのだが、でもぼくは密かにさえ笑えなかった。

 「なんだかな、って冗談だろ?」

 ここから腕を伸ばしてもあさみの濡れている、少し短くなった髪はつかめないので立ち上がってそばに行って掴んだ。あさみは下からじっとぼくの目を見た。

 拾われて十年、互いを支え合うかけがえのない相手の帰宅を察知したぱつが、誰もいない玄関でドアノブを見上げるのと似た角度で見つめる女の目に恐怖は宿っていなかった。口よりも嘘をつくのが苦手な女の目は、怖くなんかないぞ、とも言ってはいなかった。話さないだけで、実は殴られ慣れているのかもしれないその目が何かを言っていたとすれば、どうぞ、だった。

 人を殴ったことのないこっちの方がよほど怖かった。でもその恐怖心は怒りを増幅するだけでしかなく、ぼくはおもいっきり殴りつけた。人の顔って案外柔らかかった。

 熱い衝撃にあさみは目をつぶって首を後ろにのけぞらせたが、反対の手が濡れたままの髪を掴んでいたので、椅子事倒れることはなかった。そしてもう一発殴ってしまった。もう一度今の感触を味わってみたかったからだ。性癖とは違うような、似ているような・・・・・・似ている酷い人生でも、それを生きている他人の生き方は全く違う・・・・・・そんな気がして、もう一度殴ったのだから、二発目に怒りはなかったのかもしれない。

 あさみはまるで懐かしい風景を思い出したかのように目を閉じて座ったままだった。掌で殴られた直後の痛みを感じとるか、確かめるかもせずに両手を組んでじっとしていた。

 拳の先で射精した気味のぼくの怒りは鳴き続けるぱつの声へ向かい扉を開けた。ぱつは直ぐそこで腰を抜かしていて、後ろ足が動かないような姿勢のまま目は限界まで丸く開いていた。左右、配色の違う両耳は平らなほど斜め横に寝ていた。

 「その子に手を出したら間違いなく殺すよ」あさみはぼくの後ろに立っていて、越してきてから五年間、夏から秋にかけ「梨」の皮を剥くとき以外ではまず使ったことのない、キッチン包丁を腰の高さで構えていた。嘘しか言わない女だったが、この言葉は間違いなく本当だったろう。

 「おまえはおれよりもたまなしやろうだ」

腰を抜かした上にシャー、シャーすら言えず、一人では立てないほど、いざれもしないほどの体勢で、それでも(かなり立派だったのかもしれない)ヒャァー、ヒャァー言って威嚇する直ぐそこの三毛猫は、ぼくに向かってはっきりと言葉を発したのだ。もっと言えばそれは間違いなく「日本語」だった。そしてまたそれはぼくがぼくの中から発した言葉ではなく、つまり心や頭の中じゃない、明らかに外部の第三者がはっきりと言い、ぼくは鼓膜で聞いたのだ。

 「出ていけよ。明日の朝九時に帰ってくるまでに、このブス猫を連れて出ていけ。それと現金で三十万を机の上に置いとけ。行く場所がなかったり、金を用意できなければ、この部屋で首をつって身体だけ残して、それでどこかに出ていけ。いいな? 帰ってくるまでに出ていけよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。