あさみとぱつ -老人が声を荒げたのはこの時だけ-
手の指を一本あげて今日も煙草をねだった。見計らったように後をついてきたに違いない老人へ嫌な予感を抱えながら、なるべく微笑んでセブンスターを箱ごと渡しライターも渡した。久しぶりなんじゃないですか? とヤスさんは言い、煙草とライターを返した。
「セブンスターの味って、何にもたとえられないと思いませんか?」ヤスさんは上を向いて、暗くなり始めた空に煙を吐いた。
「まぁ」としか言いようがなかった。違った気持ちだったら違った態度を取っていたはず。ぼくも昔からセブンスターを吸うたびに同じ感想を持っていたのだから。
・・・・・・いまね、鎌田くんが、上田さんとデートしているんだけど、二人からたまにLINEがきてさ、ぼくに報告するんだよ・・・・・・鎌田くんって知らない? ・・・・・・二十二歳の大学生でモデルみたいにカッコイイ男の子。そうか知らないか・・・・・・上田さんは分かるでしょ? ・・・・・・彼女、鎌田くんに十万円で話をつけたんだ・・・・・・もちろんその他の経費っ、て言うか諸々のデート費も彼女の持ち。なんだか二十万の予算を組んでいるらしいよ。かなり豪華な疑似恋人デートなんだろうね・・・・・・ぼくも信じられないけれど、今日一日の為に二人の指輪も買うって言ってたよ・・・・・・上田さんが自分で言ってたから本当だと思うよ・・・・・・ってか、昼過ぎにこんな写真を送って来た。値段は書いてなかったけれど、銀座で買ったんだから、高校生の恋人同士が駅前のファンシーショップで買うみたいな額じゃないんじゃないの、さすがに・・・・・・これ・・・・・・でもさ、上田さんって顔半分を隠したらなかなか美人だよね。結構な小顔だし。
かっこいい敵キャラのような、おしゃれデザインされた黒マスクで「鷲」と「魚」を隠すあさみが、赤いボタンを首までする黒シャツの広い胸に顔を寄せ、薬指に嵌めた銀色のリングを見せつけるように、裏返した左の拳をこっちに向けていた。あさみの肩を抱く黒シャツの男の左手も薬指のリングを強調するよう拳を同じように見せていた。男の顏は映っていなかった。
上田さんが昼過ぎに自分でLINEして来たんだ。そしたらさ、鎌田くんからも来てね、本当にぼくの人生はこれで終りにはならないんですよね? (笑) ってさ。そっちも見る?
ぼくは断った。
もちろんぼくが鎌田くんを紹介してあげたんだ。あの子とナニをしたいから紹介して欲しいって言われたんだ・・・・・・鎌田くんは初め嫌がっていたけれど、五万から十万に値上げしたら一晩考えるって言って、それでまぁ了解したってわけ。年上でブスの女に自分の身体を売るって、どんな気持ちなんだろうね?
・・・・・・どうしてぼくに教えるんですか? ・・・・・・楽しいじゃん、って何が? ・・・・・・だから他の誰かには言ってないのに、なんでぼくには言うのかってことを聞いてるんですよ・・・・・・あんたさ、一緒に暮らしているのを知ってるからわざわざ教えたってわけ? ・・・・・・帰るよ。当たり前だろ・・・・・・そうだ三十円返せよ。今日の一本だけにしてやるから、返せ・・・・・・釣りなんかねぇよ。なら百円寄こせ・・・・・・言ったけど、釣りなんかやらねぇだろ・・・・・・今はそうやって幸せそうにニヤニヤしてるけどろくな死に方しなねぇぞマジでよ。
ぼくは一円の価値もない百円を受け取ると、不潔すぎて財布には入れたくなかったのでズボンのポケットへ入れ残りのビールは道の隅に捨てた。空になった缶をクソ老人に投げつけてやりたかったが表のカウンターへ戻した。
干支が一回り違う年上のブス女に金で買われる若いイケメンの詳細な気持ちは分からないけれど、ブスで嘘つきな女を巡り、親の年齢と変わらないくらいの老人に嫉妬され、あからさまかつ陰湿な攻撃を受けたブスな男の気持ちにもし何か共通点があるとしたら、この一言に尽きるだろう。
親に申し訳ない。
君に嫉妬しているからさ、と老人は言った。去年の春、あの女は自分の家で暮らす予定だったと言ったのだった。
でもぱつが老人の何かを嗅ぎとったのか、甘い加齢臭を単に嫌ったのか、初対面したときケージの中でシャーっと威嚇したらしい。それは本当だったようだが、実際は「尿道とその周りのぶ厚い皮膚でしかないくらいに起たないまま、微妙な臭いを残す気体を射精する」現実を突き付けられたことで、他人を怖がる猫のせいにして同棲をキャンセルされてしまったした、と今も老人は考えているようだった。
いいか、透明な水ですらないんだぞっ!! 老人が声を荒げたのはこの時だけだった。
君のような、小さいブスな男に、まさか敗北するなんて自分でも信じがたいよ、と言った。信じがたい敗北を乗り越える方法は、有り余るネチネチ感を持って復讐するしかない、と亡き妻へ誓い、今デートしている「二人」の現場写真をいつかはぼくに見せつけてやるべく、今夜から寝る前には必ず「明日どこかであのちっちゃなブ男とすれ違えますように」と、昔々、夏の奥多摩で浮き輪に掴まり川に流され泣いていた幼い少年を救助して警察からもらった「感謝状」に祈るつもりだった、と言った。あのとき、ぼくのKAWASAKIが故障して止まっていた偶然がなければ、あの子はついに海まで流されてしまい、そしてサメに食われていたかもしれないんだ。あの子は今こそ、あの夏にぼくとぼくのバイク(Z1)が起こした奇跡の借りを返すときが来たんだ。「おい、とてつもなく立派になったたかむらたかしくん、君は今こそ、この男があの猫に受け入れられた罪を償わせてやることに協力しなければならないんだぞ」と、少なくともぼくには誰も見えなかったすぐそばの空間に向けて言い放った。
あぁ、そうか。さすがに痴呆が始まっているんだ、と思えたのは、道に捨ててもいい稀有な百円硬貨をズボンのポケットの中でいじりながら家に戻る途中だった。どうでもいいのだが、銭湯のロッカーに百円残してきてしまったのに気が付いたのはこの時だ。




